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音色を楽しむ~ベートーベンの七重奏曲~

ベートーベンの七重奏曲を聞いている。ラジオでたまたま流れてきた。僕は大学生のころから、NHKのクラシックカフェ(当時はミュージックプラザ)という番組に親しんでいた。ちょうど朝の登校、出勤時間に重なるということもあるけれど、日常の中でクラシック音楽に触れる貴重な機会だった。

僕は熱烈なNHKファンなのだけれど、それを決定的にしたのがラジオ番組だ。今のようにナクソスでクラシック音楽を聴くということはなかったから、初めて聞くクラシック音楽への入り口は、ラジオだった。中高生のときには民放を聞いていた時期もあったけれど、その中ではクラシック音楽に触れる機会はなかった。

それに対して、NHKFMでは、朝と昼過ぎと夜にクラシック音楽が流れていた。まだまだ多くの曲に触れていなかったころに、たくさんの刺激を与えてくれた。今特に好きな曲のほとんどは、ラジオで聞いたことがきっかけで知ることができた。たまたま、偶然に耳にした曲が印象に残って、様々な演奏を聴くようになっていった。

だから、ふと耳寂しくなったときには、NHKFMをつけていることが多い。そして今は、ベートーベンの七重奏曲が流れている。

この曲はとてもおもしろい編成をしている。バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスに、クラリネット、ホルン、ファゴットが加わる。

まず、弦楽器だけでも特殊だ。例えば、弦楽四重奏曲といえば、バイオリン、バイオリン、ビオラ、チェロの編成が一般的だ。まず、バイオリンを一本にしたという思い切りがいい。弦楽四重奏では、二本のバイオリンが織りなすやりとりに一つのおもしろさがある。しかし、それを捨て去って、なんとコントラバスを入れている。コントラバスを室内楽に入れると、全体の音域が一気に広がる。音域が広がるということは、全く違った響きを得ることができるということでもある。

そしてそこに、クラリネット、ホルン、ファゴットを加えている。室内楽ではお馴染みのメンバーだけれども、いつもずるいなぁと思うのが、ホルンだ。金管楽器の圧倒的存在感を持って印象的な働きをすることもあれば、驚くほど周囲の楽器の中に馴染んで、つなぎの役割をすることもある。多分技術的にはとても難易度が高いのだろうけれども、聴いている側としては、いいところを持っていくなぁ、おいしいなぁ、と思ってしまう。

果たして演奏を聞いていると、実に音色が多様に用いられている。音色の使い方は、大雑把に分類すると「重ねる」と「独奏」とがある。

例えば、この曲の第一楽章の冒頭のように、同時に同じ音型、同じ音価の音を演奏する。すると、それそれの楽器の音色が混ざり合って、全く違った音色が生まれる。聞いている側は、聞いたこともない音色にとまどい、おもしろみを感じる。楽器の組み合わせや演奏方法の組み合わせで、それぞれ違った音色を生み出すことができる。これが「重ねる」である。

一方、それぞれの楽器単独の動きをするのが「独奏」である。あえて他の楽器の動きとは違った動きをさせたり、場合によっては他の楽器を完全に休止させることで、一つの楽器の個性を表に出す。これは楽器の魅力を引き立てるとともに、演奏者の表現力を表に出しやすくする効果を持つ。だから、演奏会では一つの聴きどころになる。

僕はどうも音色フェチなところがある。旋律やリズムといった時間的要素は意識から離れて、音色にばかり耳が行ってしまうことがある。勝手な感覚だけれども、打楽器奏者は、えてして音色フェチなところがあるんじゃないかと思う。もちろん、打楽器の魅力といえばリズムなのだけれども、同じくらいこだわるのが音色だ。なぜなら、音色の微妙な違いが、心地よいリズムを生み、グルーヴを生むからだ。

また打楽器奏者は、基本練習で何度も打面を叩く。同じ音をひたすら叩き、ひたすら音色をコントロールできるように練習する。または、音色に違いが出せるように練習する。そんな原体験があるから、音色の違いにはセンシティブになってしまう。

その結果として、様々な音色を楽しめる耳を持てる。とても細かいモノサシを持った耳は、あらゆる音楽を解像度を高くして聴くことができる。時には、それが煩わしくなるくらいに、音色の違いが気になってしまうこともある。僕はだんだんと解像度を低くできるようになったけれども、本格的に楽器を勉強するようになってしばらくは、解像度を高くしすぎて自分の演奏も他の人の演奏も楽しめないこともあった。大人になるということ、熟練するというのは、この耳の解像度を調整できるようになるということかもしれない。

この音色の違いを楽しめるという感覚があると惹かれるのが、現代音楽だ。現代音楽の大きな魅力の一つが、音色だ。時には新しい奏法や新しい楽器、新しい組み合わせを用いて、未知の音色に出会う機会を与えてくれる。

現代音楽と言われてもピンとこなければ、映画の背景音楽をイメージしてみればいい。特にスコア版のCDを聴くと、その音楽の特殊性がわかりやすい。はっきりとしたメロディーや和音が感じられるものもあるけれども、「何か」の音が鳴っているようにしか聞こえないものもある。音楽とは認識できないようなものもあるはずだ。それはまさに音色や響きによって、映像に効果を付加するという働きを持つ。ホラー映画のBGMには、明確なメロディーがあるよりも、徹底的に音色や響きで恐怖心を煽る方が向いている。(私はホラー映画は苦手なので、絶対に観ない。)

そんな感じで音色に目がない僕としては、ベートーベンの七重奏曲は楽しめるものだった。当時は大人気の曲として愛されたというのも頷ける。メロディーや構成のキャッチ―さもあるけれど、何よりも様々に遷り変わる音色が心地よい。音色は、各奏者のさじ加減でいくらでも変わってしまう。楽器自体の音色を変えることもできるし、音量のバランスや音型の微妙な変化によって全体として聞こえる音色は変わってしまう。

これこそが室内楽の大きな魅力だろう。編成が少ないことで、各奏者の裁量権を行使しやすくなる。それぞれの意志がより明確に感じられることで、音楽自体に緊張感が生まれる。臨場感が生まれる。

ということで、実は書いているうちにラジオの演奏は終わってしまったので、ナクソスで別の演奏で七重奏曲を聞いている。ちゃんと聞いていたわけではないけれど、また違った魅力を感じる。今回はファゴットが結構攻めた演奏をしている。

そうそう、室内楽で一番注目してしまうのはファゴットだ。吹奏楽では今一つ存在感がないようにも思われてしまうファゴットだが、オーケストラでは注目を浴びることが多い。しかし、やっぱり室内楽だろう。室内楽においては、ファゴットの音域の広さと特徴的な音色は重要な役割を持つ。音色業界においては、ダブルリードの存在感は大きく、ファゴットは特に注目される。

思わず音色業界と書いてしまったけれど、音色というモノサシで捉えられる世界は、とても心地よい。そこには上下の区別はあまりない。どんな音色にも市民権があり、その音色にしかない魅力や役割がある。ある音楽では魅力が感じられなくても、違う音楽の中では魅力的に聞こえたりもする。そんな感覚が、多様性フェチの僕が惹かれる理由なのかもしれない。

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