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メディカル・ハック 第2話

「ミモル!!!!」
 隣を見ると、不思議なことにミモルは無事だった。確かに撃たれたはずなので、本人も何がどうなっているのか分からないという顔をしている。
 弾が当たらなかったのかとも思ったが、その頬には小指の爪ほどの何かが刺さっていた。俺が手を伸ばすも、
「それには触るなよ。治療中だからな」
 先ほどの男が言う。平然とした口調に、俺は苛立ちを隠せなかった。
「治療中だと? ふざけんな!! テメェ、会っていきなり銃で撃って来るとか、頭イカれてんのか!!」
「おいおい、エルピスも知らないのかよ。都会と田舎の情報格差がここまで広がっていたとはな…」
 男は困ったように項垂れ、ハンドガンを持った手でポリポリと頬をかいた。
「これは銃じゃなくてエルピスだ。正確にはエルピスっつーシステムを使うためのデバイスで、最新の医療機器だ。極小の針を打ち込むことで、そこからナノサイズの治療用ドローンを体内に送る。その中に搭載されたAIと連携して治療する。見ろ」
 顎で示されるままにミモルのほうを見やると、驚くべきことに、頬の傷がほとんど消えつつあった。
「傷が………!?」
「治療完了。ダイブを終了する。戻れシリウス」
 その言葉を合図に、男の隣に突然、黒い犬が出現した。半透明なのでホログラムであることが分かる。機械的な音質の声がする。
『電気治療で交感神経の緊張を緩和、血液循環を促しましたが…、赤血球が平均値を下回っています。というかそもそも患者は栄養が全く足りていません』
「だろうね。一先ずは応急処置したならそれでいい」
 ホログラムの犬は、電源が切られたテレビの映像のように、また唐突に消えた。
「シリウスは僕のエルピスに搭載されたAI、要するに僕にバディーだ。お嬢さん、もう頬の針は取っても大丈夫だよ。でも瘡蓋になる前の、まだ皮膚が薄い状態だから、引っ掻いたりしないようにね」
 男はエルピスというハンドガンのような医療機器を懐に仕舞う。その際、エルピスの側面に描かれたマークが見えて、俺はどこか見覚えがある気がした。
 ミモルはそっと頬に触れる。赤い腫れが引いている。俺はくっついたままの針を抜いてやった。
 俺とミモルは理解が追いつかず口をパクパクとさせて一連の出来事を眺めていたが、男に治療されたのは間違いないので、段々と冷静になっていた。
「ありがとうございます。でも…私、治療費を支払うお金が……」
 ばつが悪そうに俯くミモル。確かに、高額な治療費を請求して来るつもりかもしれない。ここまで強引な治療なら、有り得る話だ。俺もまだ警戒を解ききらずに距離を保ったままだった。
「治療費はいい。俺の独断だ。まぁ、バレたら懲戒処分になるから内緒で頼むよ」
 思わぬ回答に、俺とミモルは顔を見合わせた。
「懲戒処分って……クビになるってことですか? 赤の他人なのに、これくらいのケガで、どうしてそこまで……」
「女の子の顔が腫れてて放っておけるような人間じゃないんでね、僕は。クビにはならないかもしれないけど、これまで何度か減給を食らってる。まぁ、僕は正直もうこの仕事、辞めたいんだけどね」
 〝この仕事〟が具体的に何を指すのか、俺は少し興味を持ち始めていた。
「あんた、……介錯士か?」
「なんで急にそうなるんだよ」
 男はギョッとした表情で聞き返す。
「銃についてるマークが、」
 あぁ、と呟く。理解したらしい。
「目ざといな。銃じゃなくてエルピスね。確かに同じものだよ。ただ、このエンブレムは介錯士のものではなく、医療変革機関MCOのものだ。世界医療の中枢組織。そこに介錯士も僕も所属しているけど、僕の仕事は介錯士ではなくて〝潜身士〟だ。さっき見せた通り、エルピスを通して身体に潜って治療する治療員だよ」
「体に…潜る……?」
「バディーのAIが潜っている間、その情報が脳内に直接共有されるんだ。この状態をダイブと呼んでいる。潜身士は一応、国家資格だよ」
 巨大な組織に属していて国家資格を有し、人命を救う特別な仕事に就いているという。話を聞く限り、男は何も不自由無さそうに見える。
「辞めたいなんて、贅沢な話だな」
「アノン……」
「ここで暮らしている人間は、毎日食うのに必死なんだ。家と職があるだけ有り難いし、そんな良い身なりで『仕事辞めたい』なんて贅沢以外の何でもねぇよ」
「…………」
 男は暫しの沈黙の後、視線を落とした。雨だからか、その表情は一層、憂を帯びて見えた。
「所得に関係無く、等しく救いたいと思っても、医療費が全額自己負担のこの国ではそれが許されない。僕が無償で治療するのは違反行為だ。確かに君たちから見れば贅沢かもしれないけど、辞めたい気持ちは変わらないよ」
「それで、職場から逃避して、この街に辿り着いた…」と、ミモル。
「いや、この街に来たのは仕事だ。辞職を申し出たら、後任を見つけて育てるよう言われた。エルピスのAIたちは個性的で特殊だから、バディーとの相性が大事なんだ。どのエルピスにも適合できなかったらバディーを組めないから、潜身士の資格を持っていても仕事がほぼできない。逆に適合者を見つけてから潜身士として育てるほうが合理的ってわけ」
「さっきの黒い犬の新しい相棒になる人を探しているということですか?」
「シリウスを引き継げる適合者はいないわけじゃない。今探しているのは別のAIの適合者なんだ。何年も前からバディーが見つかっていないAI。適合者を見つければボーナス三倍にするって言われてるんだよね」
 さっきまでの哀しげな表情はどこへやら。指を三本立てて、またヘラヘラと笑う。俺はもう警戒心が解けていたが、少し呆れ気味に見やった。
「どうやって見つけるんだよ」
「それは秘密だけど、まぁ色々調べた結果、この街へ来たというわけだ。因みに僕の名前はリゲルだ。よろしく」
 あれだけ喋っておいて急に秘密と来た。基本的に嘘が無さそうな人物ではあるが、重要なことは平然と隠していそうにも思える。
「それで本題だけど、赤い…」
 リゲルが言いかけたその時、すぐ近くで爆音が響いた。
 雷光は無かったが、雷でも落ちたかのように激しく何かが崩れる音。地面も微かに揺れ、ただ事ではないのは一目瞭然だった。雷だとしても地震だとしても、違法建築でツギハギだらけのこの街はひとたまりもないだろう。俺は背筋が寒くなるのを感じた。

  *  *  *

 落盤だ、と誰かが叫ぶ声がした。
 陽がほとんど当たらない暗い街に、轟音が繰り返し響いている只中では状況など分からない。ただ、少しでも遠くへ逃げたほうが良いことだけは確かだった。
 俺たちが立っていた場所も微かに揺れている。眼下には混乱して逃げ惑う人々。まるで世界の終わりのように感じられた。
「ここを離れるぞ!!」
 言うな否や、俺たちは走り出した。
「あっ……!」
 急いで階段を降りて高所を離れたものの、運悪くミモルが転んだ所に瓦礫が降って来る。
 俺は反射的に庇おうとするが間に合わず、ミモルの足に直撃する。尋常ではない鈍い音がした。
「うぐぅっ!!」
 痛々しい呻き声が上がる。
「ミモル!!」
「ッ……!!」
 立ち上がろうとするも、ミモルは苦痛に顔を歪ませる。立てないらしい。
「掴まれ!」
 背中を向けると、ミモルが苦しげに這うように身を預けて来た。俺はミモルを背負い、再び走り出す。濡れた地面に足を取られながら、できるだけ建物が少ない、開けた所へ向かう。
 もし、さっきミモルを撃ったのが、治療機器ではなく本物の銃だったら。もし、今直撃したのが足ではなく頭だったら。その想像が頭を過り、俺は自分が情けなくなっていた。
 ミモルを二度も守らなかった、という事実がどうしようもなく自分の胸に重く刺さる――。

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