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とある大学教員の自己紹介(2022年1月5日版)

僕は現在、大学教員として働いている。noteは以前からたまに書いていたのだが、2021年10月から心機一転して再スタートをした。年も変わったタイミングでこれまでの自分を振り返りつつ、自己紹介を書いた。結構長くなってしまったので、目次を見て、気になる箇所を拾い読みして頂けると嬉しい。


これまでの学びと夢と憧れ

幼稚園~小学校前半:博士になりたい

幼稚園も小学校も行きたくなかったことは覚えている。それ以外で覚えていることは、親が買ってくれたDeAGOSTINIの『恐竜サウルス』が好きだったことだ。それもあって、将来は恐竜博士になりたいと思っていた。小学校に行き始めた頃からは、図鑑や『ファーブル昆虫記』の影響もあって、昆虫博士になりたいと思い始めた。

恐竜博士や昆虫博士。なぜ「博士」になりたかったのか、は今でも分からない。何かを調べることが好きだったのかもしれないし、「博士」という響きが好きだったのかもしれない。

小学校後半~中学校:科学者になりたい

相変わらず学校には行きたくはなかった。その一方で、僕はこの時期に夢を抱くことができた。小学校の中学年くらいの頃だったと思う(高学年かもしれない)。抱いた夢は科学者になることだった。

きっかけは宿題の読書感想文だった。僕は読書感想文のために読んだアルフレッド・ノーベル博士の伝記から「ノーベル賞」の存在を知り、「ノーベル賞を取りたい」と強く思った。その後はノーベル賞をとった人の伝記を探して読んだ。それらの中にはアルバート・アインシュタイン博士や湯川秀樹博士の伝記もあった。元々、「博士」に興味があったので、そういった選書をしていたのだろう。

こうして僕は伝記を通して、初めて「科学」を意識した。と同時に、科学を職業とする「科学者」も意識し始めた。これが僕が科学者を夢見た理由だ。

科学者を夢見ると同じく、僕の胸に刻まれたことがあった。世の中は不条理で、科学って単純じゃない、ということだ。この感情はノーベル博士が世の中のためにダイナマイトを発明したにも関わらず、その意に反して兵器に使われ、「死の商人」と揶揄されたエピソードを知ったことから生まれた。

高校:ほとんど何も考えず

地元の進学校に進学した僕は、学校に行って、塾に行って、家でテレビを見て、休みの日は友達と遊んで、をただただ繰り返す生活を送っていた。だから、ほとんど何も覚えていない。何も考えていなかったのだと思う。いつの間にか、科学者になる夢のことも、忘れていた。

卒業間際の国語の授業で、先生が「日本人でノーベル賞をとった人には誰がいるか知っているか」という話をしたときがあった。どんな文脈だったは覚えていない。でも、自分がそのときに誰も思い付かなかったことは明確に覚えている。中学校の頃だったら、寝起きでも答えられたのに。帰宅して、「そういえば僕って、科学者になりたかったんだよな」「ノーベル賞とりたかったんだよな」とぼーっと考えた。

さて、大学進学の話だが、第一志望の大学には到底合格しそうにもなく、受験先を悩んでいたのだが、新潟大学理学部地質科学科を受験することにした。理学部に進学したいという希望といくつかの模試の成績判定を見合わせて決めた受験先だった。

当時通っていた塾の先生には「そこに行って、地質学を頑張って勉強して、地質学者になればいい」と言われた。この塾の先生は、僕が高校卒業までに出会った親族以外の大人で、唯一、科学者という夢を肯定してくれた人だった。彼とは高校卒業以降会ってはいないが、今でも感謝している。

大学:転科をして物理学を真剣に学び始める

新潟大学理学部地質科学科には合格することができた。高校にはちゃんと行っていたし、受験勉強はしたし、塾にも行っていたのが功を奏したのだろう。入学して、一人暮らしも始め、とうとう学校生活が終わると浮かれていたのだが、オリエンテーションや入学式があったり、時間割を自分で決めねばならなかったり、授業にも毎日行かねばならず、落胆した。それで、授業にもたいして行かず、たくさん落単もした。

大学生活に張りがなかった理由は「地質学をこのままずっと勉強して、地質学者になることが僕の夢なのだろうか」「僕が憧れていたのはアインシュタインや湯川秀樹だったのでは」などと大学の授業にも行かずに考えていたからだ。

大学2年生のときに物理学科に転科しようと決心した。益川敏英先生らがその年にノーベル物理学賞を受賞されたことも大きい。僕はテレビを見て、「益川先生みたいになりたい」と強く思った。彼に憧れたのだ。

地質学科と物理学科の双方の先生に相談しながら手続きを進め、なんとか転科することができた。単位を十分にとっていなかったこともあり、年度をまたぐタイミングで地質学科の2年生から物理学科の2年生になった。だから僕は、学部卒業までに5年かかってしまった。

物理学科に移った後は真剣に勉強もした。高校のよりもずっとたくさんした。大学3年生になる前の春休みに、休み明けに受講する量子力学、統計力学、特殊相対性理論の授業で使う教科書を予習したりもしていた。ただ、成績はあまり良くなかった。テストが解けず、単位を落としたこともあった。でも充実感はあった。もっともっと頑張れば、いつか、夢や憧れに近づけるかもしれない、というワクワク感もあった。

大学4年生になるときに研究室配属があった。素粒子論研究室と原子核理論研究室で悩んだ挙句、僕は原子核理論研究室に進んだ。これ以降、原子核物理の研究をしていくことになる。

大学院:悩み続けながらなんとか博士に

大学卒業後はそのまま新潟大学の大学院に進学した。他大学の大学院も受験したのだが、玉砕した。試験問題が全然解けなかった。頑張って勉強していたのに情けなかった。悔しかった。あの試験問題を解いて合格した人たちと肩を並べて自分は生きていけるのか、という不安も膨れていった。

大学院進学後は、頑張って研究に励んでいた。博士前期課程(いわゆる修士課程)のときから、国内外で研究発表を積極的にしたりしていた(今考えると、研究室の環境に感謝)。その甲斐もあって、博士後期課程(いわゆる博士課程)進学時には、学術振興会の特別研究員になることができ、研究費と研究奨励金(給与みたいなもの)を頂きながら研究できるようになった。

博士後期課程でも研究を頑張っていたのだが、それ以上に、悩みの方が大きくなった。その悩みは将来のことがメインだ。「僕は研究者の世界で生きていけるのだろうか」といった悩みに押しつぶされていた。

話は変わるが、僕は大学院時代にサイエンスカフェや出前授業などの科学コミュニケーション活動にも取り組んでいた。これらの経験がその後のキャリアに強く影響することになる。


これまでのキャリアと瓢箪から駒

無給の博士研究員

博士号はなんとか取得することができたが、就職先を見つけることができないまま、学位授与式を迎えた。もう絶望だった。晴れやかな気分はみじんもなかった。

就職先が決まらないまま博士号取得後の新年度を迎えた。新潟大学の大学院から博士研究員(無給)の肩書を頂き、大学に身を置いた。気分は少し楽になっていた。3月末をもって、博士後期課程でずっと僕の心を押しつぶしていた「僕は研究者の世界で生きていけるのだろうか」という悩みに一つの結論が出されたからだ。

とはいえ、博士研究員(無給)の生活を続けるは金銭的にも精神的にも続かないと思い、6月から実家に帰ることを決めた。

九州大学でファカルティ・デベロップメント

そんな中、5月中旬に応募していた九州大学基幹教育院から採用を頂くことができた。そして、翌月から九州大学基幹教育院次世代型大学教育開発センターの特任助教として働き始めることができた。業務内容はファカルティ・デベロップメント(以下、FD)に関わるもの。FDは大学の教育・研究能力を高めるための活動のことだ。具体的な業務としては、大学教員向けの研修会やセミナーの企画・運営などをしていた。

九州大学での仕事は研究メインの職ではなかったので、僕は研究をやめるつもりで福岡に引っ越した。面接でもその旨を伝えていた。着任したとき、当時の上司から、研究をやめようとしていることを「面接で唯一良くなかったこと」と指摘され、「研究はやめない方が良い」という旨の言葉をもらった。そのおかげで、今も研究を続けられている。

九州大学でのFD業務から、僕は多様な経験を積むことができたし、多くのことを学ぶことができた。いろんな人に出会うこともできた。研究をやめるつもりで行った九州大学での経験を大学院時代の指導教員に話したとき、「瓢箪から駒ということもある」と言ってもらえた。まさに「瓢箪から駒」だったと思う。九州大学での経験と「瓢箪から駒」という言葉は僕の心の拠り所だ。

北海道大学で科学コミュニケーション

九州大学で3年ほど働いた後、2020年9月から北海道大学高等教育推進機構科学技術コミュニケーション教育研究部門(CoSTEP)に特任助教として着任した。CoSTEPでは科学コミュニケーションに関する教育、特に、サイエンスライティングに関する教育に携わっていた。大学院生時代に行っていた科学コミュニケーション活動や九州大学での経験を評価してもらえたから採用してもらえたのかな、と思っている。原子核物理の研究も、低空飛行ながら続けることができた。

博士号取得時には行き先がなかったのに、九州大学で働くことができて、その後、北海道大学でも職を得ることができた。なんか感慨深かった。高等教育推進機構が発行しているニュースレターに書いた「着任のご挨拶」に、僕は以下ようなことを書いた。

 「人生は何が起こるか分からない」という旨の言葉を良く耳にします。人生経験がまだ少ない僕にとっては、あまり実感のない言葉でした。しかし最近は、少しずつですが、その言葉の意味を噛みしめる経験を積み始めています。
 学部生の頃に考えていた予定では、今頃、僕は世界から注目される天才物理学者になっているはずでした。そんな予定のことは露知らず、科学技術コミュニケーションの経験を積み、FDの仕事をして、今後は科学技術コミュニケーションの教育研究の仕事をすることになる、と人生は進んでいきました。
 まだ数か月しか経っていませんが、CoSTEPにおける教育・研究・実践は、とてもやりがいのある仕事だと感じています。幸運にも、原子核物理の研究も続けられています。指導教員だった先生から「瓢箪から駒、ということもある」と言われたことを思い出します。
 きっとこれからの人生も、何が起こるか分からないのだと思います。でも、瓢箪から駒、ということもある。だから、決して悲観的にならず、アクティブに、そして、誠実に、歩みを進めていきたいと思います。それと、“Be gentleman”も忘れずに。

北海道大学高等教育推進機発行 ニュースレター119号 p10 より抜粋

大分大学教育学部へ

2021年の夏に大分大学教育学部から物理担当の教員公募が出た。北海道大学着任から1年も経っていなかったが貴重なチャンスだと感じた。僕がこれまで関わってきた物理・科学コミュニケーション・FDの経験を全て活かせるかもしれない職だと思った。急いで応募書類を準備して応募した。

そして、幸運にも採用を頂き、10月から大分大学教育学部で働き始めた。現在は、教員養成課程において、物理の授業を担当している。物理に関する仕事ができていることはとても有難いことだ。気を引き締めて、より一層、教育・研究に励んでいきたい。いろいろとチャレンジもしていきたい。


「これまで」を振り返って

僕の「これまで」は「夢」や「憧れ」に強く影響されていたと思う。幼い頃からずっと、それらに勇気づけられ、ワクワクさせられ、励まされていた。まさに僕を支えてくれるものだ。

でも、大学院生のときには、「夢」や「憧れ」が呪縛のようにもなっていたような気がする。僕はアインシュタインでもない。湯川秀樹でもない。益川敏英でもない。僕は僕の前を走っている先輩研究者たちの誰でもない。なのに、「彼らみたいにならねばならない」と自分に言い聞かせて、「なれない」自分を自己否定していた。

そんな自己否定は、九州大学、北海道大学、大分大学で仕事をしていく中で少しずつ薄れていったと思う。大分大学に着任したことを大学院生時代からお世話になっている先生にメールで報告したとき「小林さんがこれまで撒いてきた種によるもの」と返事を頂いた。この言葉にも救われた。

科学コミュニケーション活動をしながら大学院生時代を過ごし、原子核物理の研究で博士号を取得し、九州大学でFDの仕事をして、北海道大学で科学コミュニケーションの仕事をして、大分大学教育学部で働いて…

僕の「これまで」はアインシュタインも湯川秀樹も益川敏英も僕の前を走っている先輩研究者も経験していないことだと思う。だから、誇り思っても良いのかもしれない。何も否定するものではないと思い始めている。

アインシュタインも湯川秀樹も益川敏英も僕の前を走っている先輩研究者も僕にとって今でも「夢」や「憧れ」だ。でも、大学院生のときのように、それらに囚われる必要はない。「夢」や「憧れ」と良い感じに付き合いながら、自分を形作っていきたい。


noteで何を書いていくか

さて、「ここまで」の話が長くなってしまった。僕の研究分野は「これまで」の経歴に呼応して、原子核物理、科学コミュニケーション、高等教育開発だ。研究業績については、Researchmapの個人ページを参照してほしい。

noteでも、研究分野に関わる以下三つの内容を書いていきたい。それぞれマガジンにまとめている。いつか本とかも書いてみたいなぁ、などと夢見ていたりもしている。

原子・元素・原子核に関わること

科学コミュニケーションに関わること

大学教育(高等教育開発)に関わること

読んだ本の感想

日々読んだ本の感想も書いていきたい。上述した三つの研究分野に関わるものが多くなってしまうかもしれないが、特に分野は制限せずに読書感想文を書いていきたい。

その他いろいろと考えたこと

あとは、研究分野に関わるものでもなく、読書感想文でもない、考えたことや書き留めておきたいことなどもつらつらと書いていきたい。最近では、釧路旅行に行ったことも書いた。


読んで下さった方、誠にありがとうございます。ぜひ他のnote記事を覗いてみてもらえると嬉しいです。また、「これまで」の話では書ききれなかったこともたくさんあるので、大学教員や研究者に興味がある人は、ここの話をもう少し詳しく聞きたいなど、気軽にコメント下さい。

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