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文字に触れることは、豊かさの象徴である…が…

今は、画像どころか動画で発信も当たり前の時代になった。本を読まない人が年々増えている。YouTubeなどの動画配信が主流になり、ブログなどの文字発信は廃れるとWEBマーケターが煽っていた時期もあった。(今も?)
だから私は、noteのユーザーが増えていると知った半年前は、本心は半信半疑だった。

実際、noteを始めてみると、アメブロにはない勢いがある(アメブロは完全に芸能人ブログ主婦向けコンテンツの充実にシフトしたことで、生き残りをかけているような気がする)。

そして、出来ないことが多いのだけど(htmlでのカスタマイズが出来ないとか)、純粋に文字を発信するという意味ではSNSに近いものがある。しかし、SNSのような書き方をしていてはnoteのアクセスが増えないのがなんとも歯がゆいところではあるがw
noteの文化になじむには、否が応でも読書量と文字の発信の量を増やして慣れていくことが必要だと痛感する。

高校時代はいじめに遭い、話し相手がいなかった時はノートに自分の気持ちを書いて時間を繋いでいた。
システムエンジニアで1人で客先常駐、夫は長期出張で話し相手がいなかった時もノートに自分の気持ちを書いて時間を繋いでいた。
この「ノートに書くことで時間を繋ぐ」という行為が潜在意識とつながり本音を心の奥底から呼び出していたことには全く気が付かずに、ただ、黙々と思いのまま言葉をノートに記録していた。(「綴っていた」よりも「心の声を記述していた」という意味合いのほうがしっくりくるな)

最近、リビングで手帳に自分の気持ちを書いたりnoteに投稿するためにキーボードを打っていて感じることは、文字を知ることが出来て、文字から情報を得たり文字で情報を発信できるのってすごく豊かなことだと実感している。

視覚以外の五感を文字で表す、読んだ人は書いた人の情景を自分の「価値観」を通して想像して読み進める…。
これが画像や動画との大きな違いである。画像は絵や写真などで伝えられるし、漫画は文字と絵のいいとこどりなので作者の意図が伝わりやすい。動画に至ってはそこに音声を付けることが出来るので、視覚と聴覚の両方を使って訴えることが出来る。

動画や漫画があるのに、あえて「文字で情報を受け取る」ということを選べるのは、本当に豊かよね。
書いた人の状況を、自分の「価値観」というフィルターを通して読み進める……。そのためには、自分の「価値観」を柔軟かつ豊かなものにしていかないと読み進められないんだものね。

今、リビングでは小5息子はYouTubeとスマホゲームに明け暮れているが、そんな息子にも文字で情報を読み解く大切さを知ってほしいな、と思うのでした。

…と、一般的な人だったらここで文章は終わるのだろう。
しかし、何せ我が子は学習障害。文字の読み書きが壊滅的に苦手
音声や動画ならば理解できる。文字からはかなり難しい。
文字で情報を取り情報を発信することの豊かさを享受していて、みんなにそれを伝えたいと思っている私の子供が文字が読めなくて、周囲から(本を読まないから語彙が少なくて)バカにされているのを見ていると、本気で歯がゆくなる。
息子の状態を否定せず、私に出来ることは何かと試行錯誤の日々なのです。

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