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小さな子にとって「触る=見る」だとしたら

「汚いから触らないで」
小さい子に対して親がよく言う言葉であるが、今年はコロナ禍でもあるので、その言葉を今までより多めに聞く機会があると感じる。
子育てをしたことがある人や発達心理学を学んだことがある人は知っているだろうけど、生まれたての赤ちゃんは視力がほとんどなくて、3歳ごろになってようやく1.0くらいの視力になるんだそうです。
6歳くらいになって、ようやく大人と同じようなものの見え方(立体視)ができるようになるんだそうですよ。だとすると、それまでの間の子どもは、どうやってものを「見て」いるのでしょうか。

情報のインプットが視覚に偏っている現状

人の五感には、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚がありますよね。視覚と聴覚は対象物に触れずに感じ取れる感覚であるのに対して、触覚、味覚、嗅覚は対象物に触れないと感じられないという特徴があるそうです。(嗅覚は微妙なところだが、においを発する分子が鼻に触れるという意味では接触とも言えますね)

で、いわゆる五体満足に分類される人は、視覚でインプットすることが9割くらいだといわれています。
では、その視覚がシャットダウンされた状態とはどんな状態でしょうか?

東京の国立競技場近くに「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という施設があります。コロナ禍で営業できていないのが非常に残念なのですが、昨年末に私はこの施設で初めて「100%闇の世界」を体験してきました。

目を開いても本当に何も見えない。そうなると、手や足や全身の感覚が急に敏感になるのです。視覚がまったく使えないので、足の裏で段差がないか感じたり手のひらや白杖で壁などの障害物を感じたり、全く初対面の人と協力しあわないと前にもすすめないという経験をします。
(正直言って、あれは、小学校高学年か中学生の社会科見学でみんな体験してほしいレベルですw)

いかに普段の生活で視覚に頼って生きているかが分かりますし、視覚をシャットダウンされて他の感覚だけで生きている視覚障碍者の感覚がすごいか分かります(暗闇の中でコップに水を注ぐとかできないし)。

そんなことを感じたことがあるな、ということを思い出しながら「見えない人はどういう感覚なのかが知りたくなり、 #目の見えない人は世界をどう見ているのか を読んでみる。
もともとは、小学校の読み聞かせでヨシタケシンスケさんの「見えるとか見えないとか」を読み聞かせしようと調べていた時にこの本を知った。偶然、noteの #読書の秋2020 の課題図書になっているので、感想がてら書いてみようと思った。

「見る=視覚」ではないのかもしれない

そう、乳児や幼児は「目でものを見ていない」のではないかと感じている。目でものを見ない代わりに指で触れて鼻や舌でその物質を確かめるのではないかと考えるようになった(うちの子は小さいころ、石を口の中に入れるのでよく焦って取り出したっけ…)。
これからの長い人生、ほとんどの期間において、「目で見る」ことでかなりの割合の情報をインプットするのだろう。
視力が成長する6歳までの期間は、視覚以外の感覚を研ぎ澄ませることが出来るチャンスなのではと考えたら、なんてもったいない過ごし方をしてしまったのかということに気が付いた。

最近は、はだしで砂場に入って砂遊びしたり、積み木をなめたりするのを嫌がる親御さんも増えているであろう。しかし、視力を獲得する前のこの時期だからこそ、「視覚以外で何かを感じ取れる訓練ができる貴重な時期」なのかもしれない。
小学校に入ったら、嫌でも視覚でインプットすることを重視する方向にシフトしてしまうのである。
そういう風にとらえたら、幼児が何かを触ったりなめたりするのは「見る代わりにものに対してアプローチしているのだ」という風にとらえて、出来るだけ感覚を刺激してあげられるといいのかもしれないと感じたのである。(さすがに誤飲につながることは止めないといけないですがね)

そういう意味では、育児中の親御さんにもおススメの本であると私は感じたのである。



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