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思春期という時限爆弾が爆発する前にしておきたいこと

先日、同じ小学校に子供を通わせるママ友とランチをしていた。
給食試食会において出された冷凍みかんで身体が冷えてしまっただとか、子どもの給食風景をリモート参観する予定だったはずが学校の都合で出来なくなってがっかりしたとかいう話を彼女はしていた。

うちの小学校の給食試食会は年1回開催される。しかも、第1子が1年生の時だけ参加できる、子どもが何人いようとも機会は1回しかない貴重な経験なのだ。
私の子は5年生なので、4年前の自分の記憶と照らし合わせても、給食の参観はなかったはずだ。
私が給食試食会に行った頃はリモートどころか参観そのものがなかったぞ、ただ給食を食べて栄養士さんのお話を聞いて終了、だったはず。しかも冷凍みかんに生姜焼きだと、なんともテンション上がるメニューじゃないか、うらやましい……という話をしてこの話題は終了した。

そう、私にとって給食試食会は、楽しみにしていた分落胆が大きかった行事として非常に心に残るものとして認識していたことを思い出した。

私が住む自治体の小学校は、今でも自校給食というシステムを取っている。
自分が小学生のころを振り返ると、私が生まれ育った自治体は、40年以上前から……当時は時代の最先端であったが当の小学生にとっては全く嬉しくない、給食センターで市の小学生すべての給食を作って各小学校に配送するシステムだった。よって、中休みになると給食室から美味しいにおいが漂うと聞いている自校給食の自治体を少しうらやましく思っていたことを思い出す。センター式の給食は市内全域で献立が同じだったのだが、自校給食の特徴としては、各校ごとに給食のメニューが違うということも子が小学生になって初めて知った。

給食試食会の参加頻度も、学校の規模や方針によって違っていた。
市内の隣の学区の小学校は子どもが1年生ではなくても毎年参加出来るらしい。しかも、メニューがシチューなど、子供が喜びそうなメニューだったと聞いていたので、うちの小学校も勝手にそういうものだと思って期待していた。

私が小学校の頃にあったソフト麺は今もあるのだろうか、そういえば給食で食べたミートソースやボルシチが好きだったな、冷凍みかんも美味しかったよね……と、自分が小学校の給食で食べたときの思い出を思い出しながら、わくわくした気持ちで給食試食会の申し込みをした。

うちの小学校は1回しか参加できないと知った時も少し残念だなと思ったが、試食会がある月の給食の献立表を見て、私の期待とテンションは真っ逆さまに墜ちていった。

別にファミレスのようなメニューを期待していたわけではないが、子供も親も普通に楽しみにできるメニューなのだと勝手に思い込んでいた。

そう、なぜ、私の期待とテンションが一瞬にして地に堕ちてしまったかというと、私が参加した日の給食のおかずが

秋刀魚の梅煮

だったのである。

さ、さ、さ……秋刀魚?百歩譲って塩焼きや蒲焼なら分かるけど、「梅煮」って何???
私の頭は混乱と落胆が入り混じっていた。かわいい我が子と給食の思い出を共有できる、たった1回しかない試食会。私の小学校時代を思い起こしてどれだけ楽しみにしていたかなんて、栄養士さんは知る由もないよね……。

試食会当日、私は地に落ちたテンションの身体を引きずって、試食会へと出向いた。
給食は想像したより量が多くて、食べ終わるのに少し苦労した。
自分が小学生の時はあまり気にしていなかったのだが、ご飯の献立につく飲み物が牛乳であることに違和感を感じつつ給食を食べていた時、栄養士さんが、あえてこのメニューを試食会に選んだのか理由を説明し始めた。

子供が魚を食べないのは親も魚を食べる機会が少ない、食卓に魚が出ることが少ないからだということらしく、家庭でももっと魚をという意図があったので試食会のメニューにあえて「秋刀魚の梅煮」を選んだということだった。
で、何で「秋刀魚の梅煮」なのかというと、秋刀魚を煮ると骨まで食べられることを知ってほしいとのこと。

まあ、分かる。栄養士さんの立場も分かる。私だって子供じゃない。アラフォーの立派なおとなだ。だから言いたいことも分かる。でも、「分かりたくない」とゴネている私も確かに存在する。
これは学校行事の一環で、「食育を目的にした試食会」なんだと思えばこのメニューでも納得するしかないのだが、心のどこかで「いや、違う、そうじゃない」と納得できないことを強く訴えている私がいたのを思い出した。

将来のために勉強は大切だよ、って親から言われてすんなり納得して勉強する子供って少数派ではないだろうか。
いくら大人が、教育のためといったところで、相手が受け取れない内容を押し付けても狙った効果は出ない
そんなことは自分の子供時代を思い起こしても、現在進行形で小学生を育てていても分かりすぎるくらい分かっている。

私は親として、しつけや教育と称して我が子に対して「違う、そうじゃない」ということをたくさんしてきているのだろう。
その違和感に対して、声を大にして「違う、そうじゃない」と言い出すのが思春期ではないかと思っている。あと数年で時限爆弾も発火するであろう、迫りくる思春期に対して私が出来ることは「違う、そうじゃない」という違和感を1つでも減らしておくことだと悟ったのであった。



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