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歩く教室 #シロクマ文芸部

 『TADA 歩く教室』という看板が見えた。

 ネットで検索して探し当てた「歩く教室」。講師は有名なモデル、ただ文華ふみか。ふーみんという愛称で知られ、YouTubeやInstagram、TikTokなどで驚くべきフォロワー数を誇っている。
 モデルとしても現役で、かつてはパリコレでランウェイを歩いたこともある。女優としても活躍中だ。当然、「歩く教室」は人気が沸騰、おいそれとはレッスンを受けられない。
 モデルを目指している紗綾さあやは、抽選に何度もチャレンジしてようやくレッスンチケットを手にした。今日はその第一回目だ。

 現代人は歩くということが下手になってしまっています、と映像の中で美しい微笑をたたえたふーみんが言う。歩き方次第でいつまでも若々しく、美しいプロポーションを維持することができます。「歩く」ということを取り戻しましょう。

 ほうら、私を見て、と言うように、ふーみんは、モデル立ちをしてウォーキングをした後またくるりと回ってポージングをしてみせる。紗綾はその映像を何度も何度も見て見飽きるということがなかった。
 こんなヒールを履いて、いったいどうやってこのウォーキングができるのだろう。くるりと回転した時の、脚の位置、手の位置。美しすぎる。
 第一プロポーションが見事だ。
 恵まれた手足の長さ、顔の小ささ、すべてにうっとりしてしまう。
 「歩く」ことを習得するよりなにより、とにかく「生ふーみん」が見たい、その気持ちが強かった。

 教室は、いわゆる都会の中心地、といっても騒がしい街ではなく、閑静な住宅街にひっそりと存在していた。芸能人などが沢山住んでいる地域だという印象ばかりが先行し、とにかく駅に降り立つだけで緊張してしまう。街行くおじいちゃんおばあちゃんまでお金持ちで素敵に見える。

 看板は結構普通だった。『TADA歩く教室』。KUMONやなんとか歯科といった看板のようなどこにでもありそうなさりげなさ。トップモデルなのにそんな気さくさ、庶民性が彼女の魅力でもあった。
 坂道を登り切って、ようやく瀟洒なマンションにたどり着いた。ついに、生ふーみんに会えるのだ。紗綾は緊張して、バッグからペットボトルを取り出すと、まずは汗を引かせなくちゃと水を飲んだ。

 マンションには案内などは一切ない。さすが有名人の教室だ。抽選に当たった時のメールを見ると、201号室、とある。緊張しながらインターフォンを押すと、少し年輩の女性の声が聞こえた。
 はい、抽選に当たられた方ですね。このままエントランスをお通り頂いて、はい。奥のエレベータか、その隣にある階段でお二階までいらしてください。お部屋の前で、もう一度インターフォンを押してくださいね。 
 親切な案内にホッとしながら、エントランスを横切り、エレベータを待つ。なかなか来ないので、隣の階段を上って、二階に到着した。

 インターフォンを押すと、入っていらして、という声がした。おそるおそるドアを開けると、廊下の突き当りにレッスン場が見えた。靴を脱ぎ、そっと入っていく。普通のマンションのリビングをリフォームしたレッスン場で、固めの床は美しいフローリング、壁は全面鏡張りだった。
 そこには既に3人の女性がいた。ひとりはこちらを向いていて、レオタードを着ている。もう二人はヨガレッスンのようなスタイルだ。紗綾が入っていくと、全員が一斉に紗綾を見た。
 普通に考えて、レオタードの女性は指導者だろう。ふーみんの助手だろうか。ふーみんと同じような年齢ながら素晴らしいスタイルで、バレエの先生と言われたらそんな感じがする。ふーみんに感じは似ているのだが、顔はまったく似ていなかった。どこからどうみても、大変失礼ながら普通、という感想しか出てこない。
「あの、田中紗綾です。抽選に当たって――」
 早めに来たつもりだったが、遅れてしまっただろうか。そう思って名乗ると、レオタードの女性は破願した。
「ようこそ、歩く教室の講師、惟です」
 瞬間、頭が空白になる。ふーみんの教室ではなかったのか。検索ミスだろうか。いや、HPを何度も確認している。ふーみんの動画が貼り付けられていたし、間違いはないはずだ。きっとこの後、ご本人が登場するのだろう。有名人なのだ。まずは助手が指導するのは当たり前なのかもしれない。
 疑念を振り切り、着替えを指示されたので仕切られた簡易の更衣室のようなところで着替え、リビングに出た。

「この時間の生徒さんは、初めての方ばかりですね」
 そういうと、レオタードの女性は胸を張り、いきなり目の前でウォーキングしてみせた。見事な歩き方で、うっかり見惚れる。ふーみんの教室に通えばこのレベルになれるというデモンストレーションなのだろう。
「もしかしたら、HPの説明をよく読まずに来られたかたもいらっしゃるかもしれませんので、お話しておきますね。わたくしはただ弓香ゆみかと申します。惟文華の双子の姉でございます」
 私と、もうひとりがえっと声をあげた。声の方を見ると、彼女も私を見ていた。間違いなく、私たちは「世界のトップモデル惟文華のレッスン」だと思い込んで来たのだ。声を出さなかったひとりは、じっと、惟弓香の方をみている。そんなことは先刻承知といった風情だ。
 生徒のそんな反応には慣れているのだろう、惟弓香は、ほほと笑った。
「たいてい、皆さんそのような反応なんです。HPには、ちゃんと記載してございますよ。私がお教室を開くと言ったら、文華が協力してくれたものですから、そのまま動画を貼っております。いい宣伝になりますでしょ」
 思わず詐欺だ――と喉元まで出かかったが、もう一人の女性が「ちょっとスマホで確認してもいいですか」と勇気ある発言をしてくれたので、惟弓香が「もちろん」と頷いたのを合図にふたりはスマホを確認した。

 ちゃんと、書いてあった。『TADA 歩く教室 YUMIKA TADA 惟弓香』。アイキャッチからもう、そう書いてある。完全に思い込みでちゃんと読んでいなかったのは紗綾のほうだった。
 あいさつ文の最後には※までつけて「妹の文華とお間違いございませんように!間違われる方が大変多うございます。笑」と書いてあった。

「あのぅ。ほんっと、申し訳ないです。私、完全に勘違いして、間違えてました」
 スマホで確認させてと言った女性は、三十代くらいだろうか、恐縮しながらもまっすぐに惟弓香にそう言った。紗綾も同じだったが、彼女が素直にそう言ってくれて助かった、と思っていた。自分はそんなことをストレートに言う自信がない。
「いいんですよ。わたくしもあえて文華の動画を載せているということもありますし、正直な話、勘違いなさっても来てくださる方がいるだけ、わたくしとしては嬉しゅうございますから。ですからね、第一回目のレッスン代はいただいておりません。来ていただいて、わたくしのレッスンでもいい、とおっしゃる方だけ、次回から来ていただこうと思っております。ふーみんじゃない!詐欺よ!と怒ってお帰りになるかたもいらっしゃいますが、わたくしのレッスンを気に入ってくださる方も多うございますので」
 そこには、彼女の密かな自信、のようなものも垣間見えた。
 弓香はすっと背筋を正すと、凛然と話し始めた。
「文華とわたくしは、ウォーキングの大家ダーク佐藤先生に師事いたしまして、一緒にデビューいたしました。双子のモデルとしていくつかのショーには出たのですが、残念ながら、次第にオファーが来るのは文華だけになりました。おわかりでしょ。わたくしもこの世の残酷を知りましたわ。整形をしようとまで思い詰めましたのよ」
 明るく話すのがかえって痛々しく感じられたりするものだが、彼女は本当に朗らかにそう言った。
「それでもね。わたくしは、わたくし。文華に負けないウォーキングの技術は誇れるものですし、ひとさまに教えることも、結構上手だと自負しておりますのよ。文華は文華で頑張る。わたくしもわたくしで頑張る。助け合う時は助け合う。わたくしが文華のウォーキングのコーチをすることも稀なことではございませんわ。姿勢を保ち、美しく歩くということは、そうやって自分を愛し、自分に自信が持てるようになることでもあるんですよ。わたくしのウォーキングを見て、いいなぁと少しでも思っていただくことが出来れば、そしてわたくしのレッスンを受けていただくことができれば、それがお分かりになると、わたくしは信じております」

 いつの間にか、私たちは惟弓香の弁舌とウォーキングの虜になっていた。
 計6回のレッスンが終わるころには、私たちは惟弓香に師事したことを誇りに思うようになっていた。
 先生、どうして先生の動画を使わないんですか、と最初に「間違えた」と申告したCOCOさんが言ったことがある。彼女はヨガインストラクターだったが、姿勢と歩き方について知りたいとこの教室に応募したらしい。
「ほほ。最初のご挨拶の時、言ったかしら。この世はルッキズムの世界。でもそれでいいじゃない?興味を引くのに、美しさって大事ですもの。それで騙されたと帰ってしまうならそれでもいいの。わたくしはね、イワナガヒメなのよ」
 イワナガヒメ?と、自称「最初から弓香先生に習いに来た」と言い張っている結奈さんが首を傾げた。
「そう。古事記にね、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメという姉妹がいるの。二人ともオオヤマツミノカミの娘でね。ニニギノミコトが美しいコノハナサクヤヒメに求婚した時に、一緒にお嫁に行ったのだけど、ニニギノミコトはイワナガヒメは無理!といってお父さんのところに返してしまうの」
「うわ。ひっどい」
 COCOさんが顔をしかめた。
「コノハナサクヤヒメは繁栄を、イワナガヒメは永遠をつかさどっていたのに、ニニギノミコトは繁栄しか選ばなかった。それで、得るはずだった永遠の命も、永遠の繁栄も得られなくなってしまったのよ。わたくしはルッキズムの世界では選ばれないかもしれない。でもわたくしは、末永く後継者につなげていく役割を得た、と思ってるの。それでいいのよ」

 うっかり勘違いして訪問した惟弓香の「歩く教室」は、その後末永く、スポットライトの当たるランウェイを歩く紗綾の背骨を支えている。

#シロクマ文芸部


 少々見切り発車で投稿してしまいました。
 投稿してからちょっと直しました。読もうとして読めなくなってしまった方、すみません。

 今週も楽しいシロクマ文芸部さんでした!
 メンバーシップ、興味津々なのですが、一身上の都合で参加できませぬ。
 残念です。
 でも気持ちは部員です!
 幽霊部員、っていうのでしたっけ、そういうのは。笑