見出し画像

Vol.1_『承認の文化を作る』に感じる違和感

今日は、最近社内で動き出した「承認の文化を作る」ということについての感想を書きたいと思います。決して、承認の文化を作る事自体に批判的ではありませんし、むしろ歓迎するところなのですが、ちょっとした違和感を感じることがあって、書き留めておきたいと思います。

よろしくお付き合いください。

※貼り付けた写真はドライブに行った先々で写したものですが、特に意味はなく、本文とはなんの関係もありません。

画像1


随分前から『モチベーション』という言葉はどんな文脈からもぶっ込まれてくるし、少し前から『自己肯定感を上げる』『褒めるマネジメント』『心理的安全性の確保』といった言葉もよく耳にするようになりました。また、『承認する』や『認める』といった言葉も社内で日常的に聞かれるようになって来ていました。

そういう明らかな予兆(?)がある中で、社内で『承認の文化を作る』という話が出てきたんです。

1.経緯

我が社では、ここ1〜2年でポロポロと退職者が発生するようになりました。社長からすると、こよなく愛する自分の会社を、ネガティブな理由で退職していくのを見送る、しかも目をかけていた社員から批判されながら…というのは、ホントいたたまれない気持ちなるんだろうと思います。(以前、年間200人採用して年間200人退職するという企業を経験してきた私には、もうそのへんの繊細な神経は残っておりませんが。)

『とにかく、手を打たなければ...』という悲痛とさえ感じる社長の切実な思いに端を発し、管理職間での数回の議論を経て至った結論が、「特効薬はない。地道に改善を進め、” いい会社 ” にしていくしかない」というもの。付け焼刃的な退職防止策ではなく、時間をかけて企業風土改善に着手するという方向になりました。

そして、いくつかの課題がピックアップされる中で『承認の文化を作る』ということがテーマの一つとして掲げられたのです。

画像1

2.私の受け止め方

私自身は、テーマが壮大すぎる事に戸惑いながらも、社長の気持ちを考えると『何か動き出さなければ…』となる事も良く理解でき、

『一人ひとりの存在が認められ、誰もが自由に意見が言え、前向きに仕事に取り組んでいける...』そんな文化を持った会社にしていきたい、、、とても今風(?)な思いが込められていてナイスッ!

ゴールは果てしなく遠く、どうやってそこに到達するのかもわからず、ゴールに向かっているかどうかすらわかりにくい...まるで、吹雪で1m先が見通せない天候の中で冬山を行軍する " 八甲田山 死の彷徨 " さながら…。(そんなに大変ではない...)

そんな厄介なテーマではありますが、企業にはこういった『永遠の課題』というか、実現可能か否かに関係なく『目指さなければならない』といったことは付きものなので、全然OK!

また、そういう文化を醸成するのに参考になる事例の紹介や実際の取り組みの企画、マネジメントの基本的知識の共有や一体感を持って推進するための社内広報などなど、私の出番もありそな感じなので、少し高揚感すら感じる受け止め方をしていたのです。

画像3

3.ん~違和感あり...

しかーし、テーマアップ以降、段々と違和感を感じるようになってきて、どのようにこのテーマに向き合うべきか、今、少々頭を悩ませています。

『承認する』という言葉が、割と簡単に『褒める』という具体的な行動を連想させてしまい、『承認する=褒める』という認識が定着するのではないか、という懸念がその一つです。

で、褒める→否定してはいけない→指摘するのは控えよう、ってな具合で、「改善の余地があっても多くは言わない」傾向になるように感じるのです。(実際になってきているように思う…)

相手が萎縮するほどプレッシャーをかけ、フリーズしてしまうほど脅迫観念を持たせてしまう、そんな否定・指摘の仕方はいけませんが、こちらがそういうつもりがなくても、受け取り側は違うようです。

指摘したいくつかのことが、いわゆる「ダメ出し」と受け取られて落ち込み、次に向かう気力が萎えてしまう...というのです。

そんなことを聞くと、単に ” 嫌な思いをさせない ” もっと言えば、” 機嫌を損なわないようにしよう ”...そんな方向に向かうんじゃないかと、ますます心配に思うのです。

画像3

4.承認するってなんなんだ?

そもそもなぜ承認するのか?(褒めるのか?)

・褒められると承認欲求が満たされモチベーションが上がる人が多い。
・承認欲求が満たされないと不安を感じる人が多い。

承認欲求を満たすことにより、より一層前向きに取り組むようになり、色んなアイデアが自由に出てきて様々な議論がなされ、「いい仕事」が出来るようになる(成果を出せるようになる...)ということだと思うのです。

しかし、その褒められた彼(彼女)はその時点ですでに充分な経験や知識やノウハウを持ち合わせていて、今、その持てる力を遺憾なく発揮し、その仕事で充分な成果を出しているのだろうか...

そうではない場合、今この時点での承認欲求が満たされる事で、彼(彼女)は今後充分な経験や知識やノウハウを獲得して、成果を出せるようになるのであろうか…

もちろん、彼(彼女)が言っていることやしていることに対して、否定したり指摘したりするだけで彼(彼女)にいい仕事をさせることは難しいけれど、「それは違うと思うなー。こうじゃない?」「そこはもっとこうしないとだめだよねー。」「◯◯という大事な要素が抜けているよ」そんな感じのことを、どれだけ指摘を受け、吸収できるかが、その彼(彼女)の今後の仕事の充実ぶりに繋がるような気がするのです。

おそらく、「承認する=褒める」と考える人も、そのような主旨の指摘や否定までを否定しようということではないでしょうし、それはそれで、指摘の仕方やコーチング・ティーチングなどの問題であって、「承認」の問題ではありません。

しかし、「承認する=褒める」と認識されることで、そこから外れる「褒めない(指摘する・否定する)」行為がだんだんと排除され、重要な機会が失われていくような気がするのです。

だって、

言う方は「嫌な思いをさせたくない」「波風を立たせたくない」
聞く方は「気持ちいいのがイイ」「嫌な気持ちにはなりたくない」

そんな雰囲気の中で否定や指摘をするのは、なかなか....ね。

画像5

5.心理的安全性?

も一つ、もやもやしているのが心理的安全性の確保。

心理的安全性とは、

◾️他者からの反応に怯えたり、羞恥心を感じたりすることなく、自然体の自分をさらけ出すことができる状態

◾️職場で誰に何を言っても、どのような指摘をしても、拒絶されることがなく、罰せられる心配もない状態

つまり!
これは、誰かの発言に対して『(批判的な)何かを言った』『(良くない)何かを指摘した』時にも当てはまらないといけないことであって、誰かの発言に対して『何も言わないでおこう』とすることが、” 心理的安全性を確保する " ということじゃないと思うんです。

「傷つけないために言わない。だから誰も傷つかない.......」そういうことで心理的安全性を確保したと言うのは全くもって間違っていると思うんです。

ライオンの檻の中に入らずに「安全です!」と言われれば、そりゃそうだ。檻の中に入ってもライオンも人間も両方が安全に仲良くできるようになる...心理的安全性とはそういうことなんじゃないのか?(違うのか??)

画像6

6.まとめ

今回もつらつらと思いを書き連ねてしまいました。

が、今進んでいる「承認する、承認欲求を満たす、心理的安全性」といったことについて、社内の幹部社員それぞれで理解の仕方に温度差もあるし、ぬるま湯にまっしぐらに向かってなければ良いなぁ...と。

様子を伺いながら、上手く立ち回りたいと思ってもいますが、もっともっと勉強して、このテーマを通じて、組織開発に関する自分自身の見識も深めていきたいと思います。

ご意見、ご指摘、アドバイスなどいただければありがたいです。

今回はここまで。

画像7



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?