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抑圧のリミット


私が自分の親を毒親だと認識したのは、一人暮らしをしてからでした。
それでもハッキリわかったというわけではなく、
じわじわと、そうなのかも?といった感じでした。

その頃は実家に帰ると、決まって具合が悪くなり、
実家に居るあいだ中、頭痛がしたり、
実家から自分の家へ帰る車の中でよく吐き気をもよおしたりしていました。


ハッキリと認識できたのは、結婚してからです。
夫はこれまで毒親についての本をたくさん読んでいて、知識が豊富だったので、夫と話す中で、ようやくハッキリと認識することが出来ました。

ちなみに夫は母子家庭育ちの虐待サバイバーです。



社会的に自立し、家庭を持ち、子供が産まれ、
両親と物理的な距離を持ち、自分が毒親育ちであるとはっきり認識できたことで、
なんだか大丈夫な気がしていたんです。

仕事をして自立したことで、自分の人生を生きている気がしていたし、
毒親についての知識を持ち、親と物理的にも精神的にも距離を持ち、
自分の家庭もあって、
十分な気がしていました。



でもそれは単なる外側の話でした。

自分の内側の、いちばん深い領域は、
まったくの手つかずでした。

そのことに気付いたきっかけが、娘の不登校でした。

それはあくまでもきっかけで、
人間関係、自分の価値、自分がこれまで積み上げてきたと思っていたもの、

それらが全部、同じ時期に、
”詰んで”しまった感じがしました。

すべてが雪崩式に崩れていくような感覚でした。


自分がなんなのか、まったくわからなくなってしまいました。


自分に生きている価値を感じられないのだけれど、
生きてていけないような感じがしてるんだけど、
死ぬわけにはいかないから、
生きている。

そういう時期がありました。

10代や20代のころもほぼそんな感覚で生きていましたが、社会的な地位や、年齢を重ねたことにより、自分の人生を生きている気がしていました。

それらが私の中で急速に意味を失って行きました。


そこからようやく自分の内面と向き合って、自分を受容できるようになったので、今ではあの辛い時期が、必要なことだったんだと理解しています。



親から無条件の愛情を受けられずに、
生き辛さを抱えている人は、

人生のある時期に、立ち行かなくなる時が来るのだと思います。

それまでも人生の中で何度も立ち行かないような出来事は起こるのですが、
本質の問題に目を向けずに、あるいは若さというエネルギーによって、
するりとかわして生きることは出来てしまいます。


だけど、癒されないままの心の中の子どもは、
愛に飢えたままです。

その存在を無視したまま生きるのは、限界があるのだと思います。


私はその限界を迎えました。
もうこれ以上は何をやっても、どうにもごまかしが効かない。

自分の中で泣き続ける子どもに向き合わざるを得ない。

そういう時期を迎えました。



だけど、
私にはその限界が、愛情のように感じるのです。

誰かからの、というわけではありません。
もちろん親でもありません。

強いて言うなら、
「人生の」かもしれません。


その人が、人生のある時点で、
ちゃんと「自分」に戻れるように、
人生には、抑圧のリミットが設定されている。
そう思います。



私の夫は、私よりも9歳年上なのですが、
夫には今そのリミットが訪れています。
夫の生育環境はかなり過酷でしたが、本人の明るくユーモアのある性格でこれまでやってきました。

ですが、夫も心の中は手つかずでした。
立ち行かなくなる時は、その人の持つ能力や、または精神論などで、なんとか出来るものではないのです。
体や、社会的な地位や能力は、立派に大人でも、
心の中の子どもは孤独に泣き続けています。
あたたかい手が差し伸べられるのを待っています。


努力や根性でごまかすのではなく、

”ちゃんとあなたに戻りなさい”

そう言われている気がします。



無条件の愛は、
存在すると思います。

たとえそれを親から受け取れなくても、
人生には存在するのだと思います。

それは自分の内側を通してのみ、
受け取れるものなのではないでしょうか。

外側に求めず、
自分の内側を、受け取れる状態にする。

それはありのままの自分でいるということです。



最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。





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