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書き直せることに甘えない

インターネット上で文章を書くとき、「書き直せる」という利点があります。

間違いを修正したり、元の文に肉付けしたり、情報を更新したり。

いつでも書き直せることは、とても便利ですよね。

「書き直せるから、とりあえず投稿しよう」
「後から修正できるし、大丈夫でしょ」

ここまではっきりと思わなくても、無意識のうちに気が緩んでいる。

発信する立場として、本当にそれで良いのだろうか?

覚悟がないと、いいものはつくれない

糸井重里さんのツイートで、印象に残っているものがある。

書き手は覚悟がないといけない、これには深く頷いた。

発信者にとって「直せる」ことはメリットである一方、デメリットでもあります。

仕事柄、紙媒体(ポスターやチラシなど)の広告をつくるので、この直せるかどうか?の意識の違いは大きいです。

紙ものは印刷の工程があるので、ミスがあればすべて刷り直す、もしくは上からシールで訂正するとか、ものすごく手間とコストがかかります。

それゆえに、原稿を印刷所に渡すまで入念なチェックが入ります。校正作業は可能な限り、複数人でチェックする。だから、クオリティをしっかり保つことができます。

一方、インターネットの場合。書き直しができるとなると、チェックが無意識に甘くなるし、事実確認など手間のかかる作業を後回しにすることもあるだろう。

自由が大きい分、個人の裁量や努力に左右される。つまり、どれだけ自分で文章の見直しや、確認ができるのか。自主的に推敲する力が求められます。

悪気がなくても拡散される時代

SNSの発達で、個人の表現が世の中に出やすくなりました。ここにも注意点があります。

スクショなどの機能で、簡単に拡散されることです。

そのため、事実と異なる情報や誤解のある表現を書いてしまった場合、炎上することがあります。第三者が一部を切り取って、悪い印象を周りに与えることもある。

ネット上で炎上した結果、テレビで謝罪する芸能人をみなさん見たことがあると思います。

そのような危険性も踏まえて、公開前にきちんと間違いがないか?この表現でいいだろうか?と確認する姿勢が必要です。

鮮度は取り戻せない

かくいう私も忙しさを言い訳に、推敲が不十分なまま記事を公開してしまった経験があります。

誤字脱字があったわけではないのですが、後から見返した時にモヤモヤがありました。

クオリティに納得できなかったのです。

公開後にしれっと修正しましたが、それでは少し手遅れに思いました。

インターネットに限らず世の中に何かを発信するとき、鮮度が高いのは公開当日

人気記事であれば、リピーターを含めて後にもたくさん読まれるかもしれませんが、大抵の文章は一読されて終わりです。

なので後から修正しても、また見てもらうってハードルが高いですよね。

修正することに意味がないのではなく、最初に一番満足できるクオリティの状態で出すことがベストなんだと思います。

書き直すより、見直す

ちゃんと推敲するのはプロでもなかなか難しいのですが、まずはしっかり公開前に「見直す」ことです。

当たり前だけど、地道だけど、これが一番大事。

おすすめは、書く日と公開日を分けること。

書き終わったらとりあえず一晩寝かせる。そして次の日、もう一度文章を見直す。

一度頭をリセットすることで、自分の文章を客観的に見直すことができます。

もしかしたら、見直していると直すところがどんどん出てきてキリがない...と思うかもしれません。でも最初はそれでいいんです。慣れてくると自然とその作業もスムーズになりますから。

私もよりみちの記事を書くときは3度以上は自分で見直して、チームの3人にも見てもらい、公開日に念押しでチェックをします。

後から書き直しがないよう、1本1本の記事を丁寧に書く年にしたいですね。


文:ハギ
@よりみちコピーライター

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