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誰かの「弱さ」が、世界を変えるアイデアにつながる

「マイノリティ(社会的少数者)」という言葉から何を想像しますか?

性的マイノリティのLGBTQ+や、ハンディキャップのある障がい者でしょうか。

『マイノリティデザイン』のタイトルを初めて見た時に、私はそのような人々を思い浮かべました。

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ですが、読み進めるにつれて「そうではない」と気づかされました。

マイノリティ性とは、「苦手」「できないこと」「コンプレックス」のような人間なら誰もが持っている弱みのことだったからです。

ひとりが抱える「弱さ」を、世界を良くする「力」に変えるアイデアのつくり方。それがマイノリティデザインです。

この本には、福祉の視点から多様性やSDGsなど今の社会に必要な考え方がたくさん書かれています!

人間の可能性が広がるような、明るいニュースを見た気持ちにもなりました。

多くの発見や気づきがありましたが、特に印象に残った話を3つまとめたいと思います。

ライターと曲がるストローは、障がいのある人と共に発明されたものだった

初耳でした。ライターと曲がるストローは障がいのある人も使えるように考えられたアイデアから生まれたものだったのです!(諸説あり)

ライターは片腕の人でも火を起こせるように、ストローは寝たきりの人が自力で飲み物を飲めるように。

メガネも同じです。昔は目の悪い人だけが使うものでしたが、今ではファッションとして誰でも身につけられるアイテムになっています。

つまり、最初はマイノリティに向けて作られたものは、みんなが使うものになる可能性があるのです。

流行るものを作ろう!と考えていると、この見方は真逆なので気づきにくいですよね。

意外性という点では、お店のまかない料理に似ていると思いました。メニューとして出すクオリティではないけど、常連客の人に出してみたら意外と評判が良くて、気づけば定番メニューに昇格していたような。

思いもよらないところから需要や価値が生まれるんですね。

ターゲットではなく、ひとりのためにアイデアを作る

広告に限らず商品やサービスをつくるとき、多くの場合はターゲットやペルソナが設定されます。しかし、澤田さんはその考え方に疑問を投げかけます。

「ターゲット」を「想定」して「調査」しながら「ニーズを探す」。ここには、大きな落とし穴があります。それは、ファンタジーからすべてが始まってしまっていること。

ファンタジー、つまり架空の人物を設定して商品を作る従来のやり方には限界があるのではないか?

限界を感じる理由は、
①課題や本音が見えないことも多いから
②誰のために広告を作っているのか実感しにくいから

①課題や本音が見えないことも多いから
調査で「お使いの商品で、何か困ったことはありませんか?」とインタビューしても、消費者からは「ないです」という答えが返ってくる。それは日本の広告が「マス(=多数)」に頼りすぎたからだと澤田さんは言います。

多数派に向けて商品を作り続けたので、その人たちからすると大きな悩みはなく、「今のままで十分」ということもしばしば。

たとえば家電製品。高機能・多機能なものが多い中、新しい商品が出ても劇的な変化はありません。シンプルな機能があれば十分と思う人は私以外にも多いはず...。

②誰のために広告を作っているのか実感しにくいから
多くの広告マンが共感するポイント。BtoBの仕事は、お客さんの顔が見えにくいです。さらに架空のターゲットを設定して広告を作ると、一体誰に向けて作っているのか?見えにくくなるのは当然かもしれません。これはやりがいにもつながる問題です。

広いターゲットではなく、誰か1人の悩みをきっかけにものを作ると、今までにない課題が見えてくるかもしれません。

アイデアも消費ではなく、持続可能性が求められている

今あらゆる企業がSDGsなど持続可能な社会を目指した取り組みを始めています。弊社でも紙のリサイクルに関する社内プロジェクトが進行中です。

アイデアや企画も、長く愛されるものを作っていくことが大切だと澤田さんは言います。

「世界総クリエイター」の時代です。そんな中で、僕ら旧来からのクリエイターの役割とはなにか。いったいなにをつくればいいのか。

僕が提案したいのは、秒単位で消費されてしまうコンテンツだけではなく、成長していく「生態系」そのものをつくることです。

最近だとYouTubeやNetflixなど、世の中にはたくさんのコンテンツが溢れています。話題になってもあっという間に次のブームが来て、すぐに忘れられてしまう。

だからこそ、長く続くアイデアが求められています。

たとえば、スポーツ。身体能力と勝ち負けで価値が決まってしまう世界で、運動が苦手な人や身体が不自由な人にとってはハードルが高い。

「ゆるスポーツ」は、澤田さん自身が運動音痴であるという悩みから生まれたものです。

具体的には、ハンドソープボール(手にハンドソープをつけるハンドボール)、イモムシラグビー(イモムシになりきってプレイするラグビー)など。

すべて運動の得意不得意には左右されないルールで作られていて、結果的に運動が苦手な人や身体が不自由な人も楽しめるスポーツになっています。

ここまでをまとめると、

・マイノリティの存在は「発明の母」になる
・ひとりのリアルな声に向き合うことは、新しいアイデアにつながる
・長く愛されるアイデアが求められている

マイノリティデザインは、みんなが住みやすい世界をつくること

冒頭でも述べたようにマイノリティ性はすべての人にあるものです。

マイノリティの課題に目を向けることは、それぞれの中にある弱さを肯定して、認め合っていくこと。

それは結果的に誰もが住みやすい世界を作っていくことにつながると思います。

最後に、義足の女性たちがランウェイを歩く「切断ヴィーナスショー」の動画を見てほしいです。

私は何年か前にYouTubeで見たことがあり、本を読んで澤田さんがショーのプロデュースに携わっていたことを知りました!高校生の女の子が漫画の主人公みたいでかっこいい...。


文:ハギ
@よりみちコピーライター

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↓ 昨年の読書はオードリー若林さんのエッセイ ↓


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