見出し画像

外資コンサル育休中ママ、年収に縛られず「自分の人生」を送るために新たな本業を見つけ出した話【ポジウィル体験談】

はじめに -専業主婦にはなりたくない。けどこれから何したいの?-

「今の仕事が嫌で辞めても、旦那さん稼ぎいいし専業主婦になっちゃえばいいんじゃない?」

仲良しと思っていた友人にポツりと言われたこの言葉が、産後3か月目の私にグサりと刺さった。

専業主婦にだけはなりたくない、と幼い頃から胸に刻み、いわゆるバリキャリに登り詰めた私も、子供が生まれたら専業主婦を提案されてしまうのかと。

  • 外資コンサル新卒入社、10年足らずでマネージャー・年収1000万以上

  • 30歳手前で同業・同い年の男性と結婚、その後、第一子を出産

  • 現在育休中、母親や友人・ママ友らとランチやアフタヌーンティーで平日満喫

  • 土日は旦那&子供と出かけたり、家族ぐるみで仲が良い友人らとキャンプ

・・・端から見れば順風満帆な人生を送っているように見える私は、実はずっとモヤモヤした思いを抱えたまま社会人生活を過ごしてきた。
それは、「やりたい仕事じゃない」「そもそも今の仕事向いてない」「でも自分の強み・やりたいことって何?」ということ。
振り返れば何度も転職を考えたが、求人案内にエントリーすることは一度もなかった。
「会社辞めたい。転職したい。」が口癖の私は、超稼げるという収入面だけをモチベに現職を約10年続けてきた。

そんな私が、この育休期間で”自分が主役の人生”を建て直すことにした今回のお話。
読んでくださった方に、次のことをお伝えできればと思う。
 ※思いが溢れすぎて8000字超の大作になってしまった

  • 子供を持つこと、産休育休で仕事がストップすることはキャリアが途絶えるわけではない。生活や価値観が変わる自分や家族と向き合って、より実りある人生を作るための大事な期間。

  • 自分の強みを見失っていたけど、ポジウィル受講を通してそれが見えるようになった。同時に、過去の人生も肯定的に捉えられた。

  • 変えられるのは自分と未来。変えられないのは他人と過去。某ドラマのように人生何周もできないから、1度キリの人生の中でブラッシュアップライフしていこう!

ポジキャリを受ける前の私

■経歴

  • 田舎の公立中⇒トップクラスの名門私立高

  • 私立大学

  • 外資コンサルに新卒入社、社会人10年目

  • 現在、育休中

現職は、法人企業向けのITコンサルや戦略立案などを担当。炎上プロジェクトに入ってしまうことが多く、とにかく20代はがむしゃらに働いてきた。何度も仕事で終電を逃したり、華金の女子会参加を泣く泣くドタキャンしたり。

それなのに、なぜ一度も辞めず続けてきたのか。
それは、決して裕福ではない家庭なのに無理やり私立の高校・大学に進ませてもらった罪悪感からくる「高収入への執着心」だった。

  • 裕福ではない実家や妹家族を私の収入で支えてあげたい

  • 築数十年の木造住宅の実家を建て替えてあげたい

  • 将来自分や子供が、お金の面で苦労したくない

このような思いから、とにかく稼げるから仕方ないというモチベで、あまりやりたくない仕事も唸りながらやってきた。

■生い立ち

(長くなります)
暴力父と、怯える専業主婦の母。

私と妹が幼い頃、父は何かと母に暴力をふるっていた。
母が作った夕飯が、宙に飛ぶ。父が母の上に馬乗りになり、母を殴る。辞めてと叫ぶ母。
私たち姉妹のご飯の食べ方が汚かったり、ちょっと喧嘩をすると「お前の育て方が悪い!!!!」とキレて母に暴力がなされた。
時として、私たちも殴られた。妹は頭からビールをかけられた。

それでも母は逃げなかった。いや、逃げられなかった。
それは、父に無理やり仕事を辞めさせられ、専業主婦でいることを求められた母には、幼い娘2人を育てる十分な資金が無かったから。
暴力男の元に子供を置いて一人出ていくわけにもいかなかった。
母は、父のいない間に私たちに何度も言っていた言葉がある。
「専業主婦にはなっちゃだめだよ。自分で稼げなくて自由が利かないから。男の言いなりになるしかないから。」
幼いながらに胸に刻まれた。

お金はとにかく大事ということと、男に頼ってはいけない・むしろ男に勝たないといけない。これも教訓になっていった。

たまたま、私は小学生の頃から勉強ができて成績優秀だった。中学生の時は、常にテスト点数が学年1位だった。
そんな私に対して、母は絶大な期待を寄せた。
「優秀なんだから、大学行って稼げる仕事に就いて、ママとキレイなマンション住もうよ」
私は母のことが嫌いではなかったので、人生の目標が母の夢を叶えることに置き換わっていった。

中2で進学塾に入り、入塾テストの結果、特進クラスに振り分けられた。塾の先生から、トップクラスの高校受験を目指すべき、と言われた。
受かるはずないと思っていたが、超難関の私立高校に受かってしまったため、そこに進学することにした。
どこから用意されたのか分からないが、多額の受験料・入学金・授業料が私のために消えていった。しかも、部活に入らせてもらい、さらに部費も消えていった。

妹は反面、両親から雑に扱われ、彼女も勉強ができるのに教育費が積まれなかった。公立高校で部活に入らず、高校生ながらにバイトを掛け持ちし、高卒で就職した。
後から聞いたが、高校の交換留学制度に申し込みたいと母に打診したところ、「あんたはそんなん行かせない!」とパンフレットを破られたのだという。

私も部活の傍ら週2でバイトをし、携帯代を自分で払っていた。部活は全国大会に行くレベルの盛んな活動量だったため、名門校に進んだのに勉強を全くしなかった。
その結果、比較的得意な英語・国語・日本史の3教科で入れる私立文系を志願するしかなく、費用を抑えるために予備校に通わずほぼ自習した。
センター試験でMARCHクラスの大学に入ることができたが、またまた受験料・入学金が消えていった。
大学の授業料は、さすがに奨学金を借りることにした。

と、まあとにかくお金を積んでもらって育てられた自覚があり、両親と妹に負い目しかなかった
絶対高収入な企業に就職して親にお金を返す、ということが人生の目標になった。
大学はお嬢様が多く、入学祝いでハイブランドのバッグを買ってもらった~と笑っている彼女たちが羨ましかった。泣
就職活動も、彼女たちは一般職でいいやと言っている中、私は意地でも総合職に就いて、男と対等に評価されて稼げる会社を探した。
何かのご縁があり、現職の外資コンサルから最も早く内定をもらった。
初任給からとんでもない額がもらえる。そしたら親にお金も返せるし、生活費も逆に渡せる。
そんな希望を抱き、社会人生活がスタートしたのだった。

■私のモヤモヤ

稼ぐことを目的に入社してしまったから、だんだん仕事のやりがいが薄れていた。
コンサルたるもの、クライアントに価値のあるアウトプットを提供して当たり前。常に要求が高い。
プロジェクトが計画通り進捗しないと、クライアントから恫喝される。
クライアントは日系企業が多く、目上の男性が多い。いつしか、怒鳴る男性が昔の父と重なり、嫌気が増していった。

なんで私はこんなオッサンたちのために働いているんだろうか。
このオッサンを助けなくても、どうせこの会社は潰れないのに、なんで私のメンタルも体力も削がれないとならないのだろうか。

仕事の成果物が電子ファイルであることも、どんどんヤル気が無くなっていった。
一日座ったまま、パソコンと向き合い資料を作り続け、クライアントに資料を説明すると「こういう書き方にしてくれ」と作り直しを求められる。
虚しさが増していくばかりだった。
手触り感が無い。実物が無い中で、触ることができない電子ファイルを相手に戦うことが面白くなくなっていた。

マネージャーに昇進が決まった年、プロポーズを受け結婚が決まった。
その半年後に、あの暴力父が突然死んだ。タバコの吸いすぎで末期の肺がんだった。
死後、父の借金が判明した。実家が担保になっていた。
残された女たちで役所や銀行との手続き、葬儀の手配を分担した。
主に私の貯金で借金も返した。私にそれなりの収入があったことで、借金を返せない事態は免れたが、そんな形でしか家族を救えないのがむなしかった。

私も、母も妹もボロボロだった。でも、もう女だけで結束して頑張っていかないといけないという境地に立った。
そういうこともあり、「過去の自分」というペルソナや、生きることに奮闘する女性たちなどを救いたいと思うようになった。恫喝し続けるオッサンではなく。

そんな折に、妊娠が分かり、産休・育休に入りまもなく1年。
子供が可愛すぎることと、あの激務生活と子育てを両立できるイメージが沸かないことから、子供が2歳になるまで育休を延長することにしている。
が、この育休期間中も子育てに奮闘する傍ら、冒頭の友人の言葉をトリガーに、復職後どうやって仕事をしていったら良いのか路頭に迷っている。

"復職したらどうせ深夜早朝に隠れ残業まみれなんじゃないか"
"もはやライスマネーとなっていたため、子育てと両立して無理してまでやりたい仕事じゃない"
"嫌々仕事するであろう自分の姿が親として恥ずかしい"
"かと言って転職するにしても他にやりたいことが分からない、そんな自分が不甲斐ない"
"そもそも自分の強みが分からず、自分が何もできない人間になんじゃないか"
"なんでこの仕事してたんだっけ?あ、お金のためか。それだけか…"
"子供を産んでも美人・スタイルが良く仕事も楽しんでる女優やモデルさんが羨ましい"

我が子に絵本を読んだり、夜な夜な授乳したりという合間に、そのようなことが日々よぎる。
我が子は最高に愛おしくて仕方ないし、子育ても楽しんでいるのに、何か足りない。
自分のために時間を使えていない。
自分の人生を生きている気がしない。

いつしか私は、ただでさえも産後でメンタル・身体ボロボロなのに自分のことを追い込んでいた。

■ポジキャリとの出会い

2023年の年明け、インスタのワーママ転職アカウントで、POSIWILL CAREER(ポジキャリ)の無料相談を紹介していた。やりたいことが分からない、働き方にモヤモヤしている、この状態の人こそ相談してもらうのがオススメ!と。
ちょうど新年1月だし、と無料相談に申し込んだ。

その頃、他のオンラインスクールの無料説明会を2,3個聞いていたが、自分の中でなぜそれをやるか動機が出てこなくて受講には至っていなかった。
「フリーランスでwebデザイナー!」とか広告が沢山出てくるから興味は持つけど、そもそもフリーランスになりたいんだっけ?転職で他の会社に行く可能性はないんだっけ?とか、そこから考え直したかった。

育児の合間を見繕い、自己啓発本を読んで自己分析をしていたから、45分の無料の範囲で話を聞いてもらって後は自分で頑張ろうと最初は思っていた。

いざ無料相談当日。日曜日の昼間にセットし、旦那に子供を見てもらった。

―今何に悩んでいるんですか?それはなぜですか?
―これまでの人生で最も心が弾んだのはいつでしたか?その何が良かったですか?
―あなたにとって、人生の理想状態って何ですか?
―その理想状態から逆算すると、今、何をやりたいですか?

どんどん深堀してくれて、自分でも忘れていた記憶を短時間で遡って会話するのが楽しかった。無料相談はあっという間に過ぎた。話しながらメモを取るのに必死だった。
ワクワクしていた自分はいつでしたか?と聞かれて、高校の部活の話をしたら自分の気持ちがパーッと晴れて当時の熱中を思い出した。

「ハードワーク続きだったあなたが、お子さんができて大きく価値観が変わってきたフェーズ。ある意味、お仕事はやり切った状態にあるのでしょう」、
「過去の自己分析や、現在への接続はよくできているけど、それを未来へのアクションに繋げていくのが弱いのかなと感じました」、と言われた。
え、じゃあどうすればいいの?もっと話したい!…というところで45分が終わってしまった。
人生どうありたいか?ワクワクした気持ちでどうやったら過ごせるか?その話の続きをしたいと思った。

このまま一生、「何がやりたいか分かんない。」と言い続けたくない。ただお金を稼ぐだけの仕事をしたくない。どうせなら、育休期間を有意義に過ごしたい。

ちょうど一粒万倍日だったので、いいかもと思って受講を決めた。約35万円。決して安くはない金額だが、こういうときのためにお金を稼いできたんだと自分に言い聞かせた。

ポジキャリ受講中の私

■トレーニング内容

トレーニングを担当してくれたのは、山下優紀乃さん
明るくて、私の拙い話に傾聴してくれて、会話のキャッチボールのスピードが自分と合う方だなという第一印象。
面談初日では、主に受講期間のゴールを設定した。「この35日間を、人生の中で自分が幸せになるための作戦立てに使いましょう!」と言ってくれ、ヤル気が増した。

【ポジキャリ受講のゴール】
1.「仕事が好き!」と感じるために必要な要素を洗い出す
 └1-1  「このスキルが生かせる」を明確にする
 └1-2  「これがやりたい」を明確にする
 └1-3  なぜ今の仕事が好きだと言えないのかを言語化する
 └1-4  なぜ今の仕事をここまで続けてきたのか理由を言語化する
2.BDHワーク(後述)を言語化した上で、ライフイベントも考慮した40歳までのキャリアプランを立てる
 └2-1  ライフイベントも考えて、人生としてどうありたいのかをBDHワークに記載する
 └2-2  逆算して、育休中にやるべきことを整理する

35日間で面談が5回。
会話できるのが少なくない?本当にこの短期間で出来るの?と不安だったが、山下さんは5回のアジェンダを策定してくれた。
面談で山下さんは、私が話すことを一つも否定せず、まずは全てウンウンと聞いてくれることが心地よかった。
5回の中で、話したいことは全て話せた。取り留めもなく話した内容を、構造的に整理してくれたのも助かった。
もし家族や友人に同じことを話していたら、「いや、あなたはそれは向いてないんじゃない」とか「今までやってきたことが無駄になっちゃうよ」とか、止めの言葉が入っていただろう。

また、面談だけではなく、自分の思いを考えてアウトプットするワークが毎回あり、これが私にとっては最良の取り組みだった。

特に自分に利いたワークを3つ紹介しよう。

  • 人生理解ワーク

人間の性格は、おおよそ10歳頃までの形成されるため、それまでの育った環境や関わった人物が大きく影響するそう。
このワークでは、自分の家族構成や家族との関係、彼らの性格を書き出す。
加えて、これまでの人生の中でのポジティブ体験(嬉しい・楽しい・感動した・夢中になった)と、ネガティブ体験(悲しい・寂しい・辛い・悔しい)を3つずつ洗い出し、ポジティブ体験から得た学びと、ネガティブ体験が起きてしまった理由をひたすら書き起こすもの。

私はこれをアウトプットしてトレーナーと会話することで、自分のこれまでの人生で起きた衝撃的な出来事や感情、その時に関わった人への思いを一気に吐き出すことができた。
これがめちゃくちゃスッキリしたのと、これまでの自分の歩んできた道や家族との人間関係を肯定できた。

  • BDHワーク

"Being/ Doing/ Having"の頭文字を取ったBDH。
Being(人生どう生きたいか、どうありたいか)、Doing(そのために何をするか)、Having(そのために何が必要か)、自分が死ぬときにどういう人生だったと言いたいかを考える。
つまり、自分の人生これからどうしたいのかを想像するもの。

これはかなり時間を使った。面談2回目までに初版を書き、5回目までにアップデートしていった。
今まで私が色々モヤモヤしていたのは、自分の未来を描き切れていなかったからなのだと気づかされた。
人生の最終目標を設定する。そこから逆算して、今から何をしていくのか考える。当たり前のアプローチなのに今まで出来ていなかったことに反省した。

  • ライフキャリア設計ワーク

4つのL、Labor(仕事内容や働き方、お金)/Love(家族、友人)/Learning(勉強、自己投資)/Leisure(遊び、趣味)について、何%ずつ比重を置いて過ごしたいかを整理するもの。
これを、現在と、40歳、その中間の37歳の3段階に分けて考えた。
前述のBDHワークをもっと具体的にしたものだ。

私は、これを考えながらワクワクした。同時に、自分が日々の生活でどういう価値観で過ごしているのか浮彫になった。
20代前半は、Laborが最も比重が高かったかもしれないが、現在は圧倒的に「Love」=家族との時間を大事にしたい。そして将来に渡ってもゆるぎないものと分かった。

■育児の合間を縫ってトレーニングを受けるための工夫

受講期間中、我が子は生後9か月で、絶賛後追い期。私の姿が見えなくなったり、自分のそばから離れると泣き叫んでしまう。
ポジキャリの受講には、平日割を利用することにしたので、仕事をしている旦那を頼ることはなかなかできない。

【面談】
60分×5回のオンライン会議をどう過ごしたかと言うと、
・子供が面談に登場することに慣れているトレーナーを担当にしてもらった
・オンライン会議は子供の傍に居て、子供には好きなおもちゃや絵本で遊ばせた
・いざとなったら面談を中断してもらえるようにトレーナーに予め伝えておいた(面談中に授乳したこともある)
・真剣に会話したい回は自治体が行っている一時保育に預けた
・(奥の手)旦那が在宅ワークの日に、無理を言って面談60分中の30分だけ面倒を見てもらった
などを試行錯誤した。

我が子が泣き叫んでしまうシーンもあったが、都度マイク&カメラをOFFにして画面の向こうで待っていただいた山下さんがありがたかった。

【ワーク】
これは自分の記憶をたどって、未来を妄想して、ひたすら文字に起こす作業のため、子供と過ごしている時はなかなかできなかった。そのため、
・子供を早めに寝かしつけた後、夜な夜な・・・
・自治体が行っている一時保育に2時間だけ預け、カフェで作業
・土日、旦那に子供を1~2時間見ててもらう
などで、ちょこちょこ時間を作った。ポジキャリを受講することは、旦那にやんわりとしか伝えていなかったが、なんとか協力してくれた。

35日間の短期集中のため、子供と遊んでいる間や入浴中もワーク内容を考えて、できるだけいつも頭がホットな状態にしておいた。
その甲斐もあり、受講期間は自分の未来設計に熱中できた。

■35日間で出た今後の目標

「仲間を大切に、自分に正直に、ポジティブで心躍る日々を過ごす」
これこそ、私の人生の目標となった。
ワクワクした毎日を、大好きな人たちと一緒に送りたい。
もう、これ以上、仕事で時間と心身を犠牲にしたくない。お金だけを目的にした働き方で1週間の7分の5を無駄にしたくない。

そのためには、仕事のやり方として、「本業で冒険性を満たし、副業で収入面を補填」ということにした。
山下さんが面談時に、「現職を辞めることに舵を切りませんか?」と言ってくれたことも後押しになった。
お金のために働いている現職は、復職後に辞めてしまう計画だ。

じゃあ、私にとっての冒険性を満たせる本業とは何か?
それは、フィットネス業界のインストラクターをし、女性たちが心身ともに健康で美しくなるためのサポートをすることだ。
特にピラティスインストラクターになりたいと考えている。
受講当時、ピラティスは未経験だったが、自分自身で体と心をコントロールするメソッドに強く興味を持ち、受講期間後半からレッスンを始めた。
電子ファイルとは違い、努力すれば明らかに肉体が変化していくのが目に見える。姿勢や筋肉の使い方を意識するレッスンを繰り返すことで、日常生活の何気ない瞬間もキレイな姿勢でいれるよう無意識に調整できる。
仕事や、過去の運動経験の中で何かとメンタルや体を壊しがちだった私が、解剖学やウェルビーイングの在り方を体系的に学ぶことで、まずは自分自身を変えられるのではないかと期待している。
そして、母や妹など身近な人にも直接教えることもできるため、仕事で得たスキルを家族に還元できることを楽しみにしている

おわりに -ママになってから新たな人生のスタート-

ポジキャリを受けて、これからの人生を自分で作っていくんだ!と激しく前向きになれた。これが一番大きい。
30数年間で感じてきた募る思いを吐き出し、整理できた。短期間で集中して、自分がどういう人生を送りたいかをとことん考えられた

そしてそれは、トレーナーの山下さん無しではできなかった。
事前ワークを細部まで読んで、毎回の面談でそれについて深堀してくれて、私がどういう人物なのかを超短期間で知ってくれて、そのうえでアドバイスしてくれた。
ワークや面談を通して、私の強みが何なのかも見つけてくれた。
家族でも友人でもないけど一番私を分かってくれてる存在となったと思う。
一人で考えていたらいつまでもモヤモヤしていただろうに、そんな話し相手がいた35日間がとても濃い経験となった。

これから私は、自分の目標達成に向けて、この育休期間で少しずつキャリア構築を進めていこうとしている。
もう、金稼ぎだけを目標にした人生にはしない。ママになっても自分の人生を生きる。でも、もちろん家族との時間を大事にしたうえで。
もし挫折しそうな時はこのnoteを見返そうと思う。

それでは、自分が幸せな未来の人生に行ってきます!!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?