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『逃げる』は果たして「悪」なのか


今月末で退社する先輩。

「転職ってさ、逃げることだと思う?」

帰り道に聞かれた。


転職に限らずだけれど、
なにか行動に出る時に少なくても1回は耳にする

「逃げ」

という概念。

海外に行く時に「逃げてるだけでしょ」
転職する時に「それは逃げだよ」
そんなことを言われてきた。


こんな風に言われた時に、昔のわたしは思った。

「逃げてないし!!!!!!!」

なんでそんな逃げてるとか言われなきゃって
すごくその言葉に傷ついたし悔しかった。


だけど、最近思うことがある。


そもそも、逃げるって悪いことなの?ってね。


転職にせよ、海外に行くにせよ、
それはひとつの選択だった。

それを逃げだと捉えられても構わないけれど、
わたしはわたしの考えで意志で選んだことなのだ。

選択肢に、
正解も外れも
良いも悪いもないはずで、
その選んだ先でどんな人生にするかによって
あの日の選択に意味が芽生えるもの。

だから、この選択の責任を自分が持てるように
自分で選ぶことが大切になってくる。
自分で選んだ道に、誰かが勝手につける解釈なんて
わたしの人生には関係のないことなんだ。


もし行動を起こすことが
環境を変えることが
「逃げる」ことなのだとしたら、

逃げたっていいじゃない

そう思う。


逃げることがだめな人生なんて
そんなの苦しいじゃない。

ポケモンのコマンドにすら
「にげる」が用意されているのに
現実世界ではだめなの?っておもう。

どう頑張ったって「今日この瞬間から」は逃げられなくて
いつだってこの瞬間に直面しながら生きているのに

その今日この瞬間を良いものにしようとして、
だから起こした行動を「逃げ」だと言われて。
もしそこで諦めてしまったら、
それこそ自分の人生から逃げているんじゃないのかな。



「逃げても良くないですか?」

先輩にはそう伝えた。

「逃げてるって批判する人は何をしても批判しますよ

逆に逃げてると言ってこない人であれば、
愚痴を言いながら同じ悩みを抱え続けていること
理解できないってパターンもあると思います。」


自分が逃げていると思うなら、それは逃げかもしれない。

自分が悪い行動なんだって思うなら、それは悪いのかもしれない。


どんな理由や感情をそこに添えるかは自分次第。

せめて自分で選んだ道くらい、
自分で背中を押してあげたい。

前向きな言葉を添えて、
また新しいスタートだねって前を向く。


逃げても逃げなくても、人生は続いていく。

その先には人がいて、環境があって。
逃げた先でしか出会えない何かだってある。

オーストラリアへのワーキングホリデーは
いま思えば人生の大きな逃避行だった。
だけれど、逃げてよかったねと自分に何度も言い聞かせてきた。


行こうと思えばどこにでも行ける。

だれに何を思われたとしても
自分で自分の背中を押そう。

もしかしたら出会うべき環境が
その先にあるかもしれない。




メモ:
人生は実験である。
答えなんてない。
やってみないことには正解か分からない。



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