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たかが他人されど他人。冷えた心にホットミルク。


短い秋が終わり今年も冬がやってた。息を吐くと白くふわっとまう季節が私は嫌いじゃない。茹だる夏よりずっと生きやすい。彼も同じく「待ち望んだ寒い季節だ」とにこにこしている。

そんな寒空の下、足早に目的地へ向かい、冷える外からガラガラと音が鳴る扉を開けてお店の中に入る。背丈の小さなおばあちゃんとすらりと背の高いお姉さんが「いらっしゃい」と笑う。

老舗の和菓子屋さんのショーケースには、パンも並ぶ。

商品名が全部ひらがななのが、とても気に入っている。価格は今時のおしゃれなパン屋さんより圧倒的に安く、全種類買ってもお財布には響かないくらいだ。

凝って作られたおしゃれなパン屋さんもとても好きだけれどここのパン屋さんのパンをホットミルクと食べるときは、ほかのパン屋さんのパンではだめだと思わされる。

懐かしい味、ここでしか食べられない味。ほっとする味。

このお店には、毎日このパンを求めて小さな子どもを連れて手を繋いでくる親子や、スーツを着たサラリーマン、ゆっくりとした足取りでやってくるおばあちゃんやおじいちゃんがやってくる。

このパンを食べたくてやってくるお客さんがたくさんいる。たくさん買ってしまいたいけど、後に控えたお客さんがいるのを知っているとやっぱりそれはできない。

欲しいパンを厳選しておばあちゃんに伝えるとショーケースの扉を開けてトングでやさしくパンをひとつずつとってくれる。

会計後にパンが入った袋を「いつもありがとうね」と渡されるとき、いつも「そんな、こちらこそです」といいそうになるけれど、それはちょっとおかしいから「ありがとうございます」と私も同じように笑って返す。

友人や恋人と会ったときの別れ際に言われる「またね」とか、顔見知りになったお店の「また来てくださいね」は、なんだか昔からとてもすきだ。

口約束や決まり文句だとしても、その瞬間に自分には自分で見つけた心地良い場所があるのだと実感すると勇気になる。

関わり合う人たちの別れ際の柔らかな笑顔を見るたびに、その笑顔が途切れてしまうようなことがこの人に降りかかりませんように、と胸のうちでそっと願う。

食べ物と記憶は強く結びつく。

たとえば、ひとりでハイボールを飲みながら食べたデミグラスソースがたっぷりかかったふわとろのオムライス。

たとえば、とろとろに煮込まれたキャベツのガーリック蒸し。

この日は仕事がうまくいって気持ちよく酔っ払いながらおいしい食事を楽しんだなとか、寒くて暖まる料理を求めてお店に入ったなとか。

ひとりで食事をしていると店員さんや、カウンターだと隣に座っている人と話すことはよくあって、「ほんとうに、おいしそうに食べますね」と言われる。友人や恋人と食事をしていても「自分が嫌いなものでも、(私)が食べているとすごくおいしそうにみえる」と言われる。

たぶん私は食べることにものすごく集中していて、言葉でずらずらとおいしさや素晴らしさを言うことは抑えられても、表情にはダダ漏れなのだと思う。

特別嬉しいのはカウンターで隣に座っていた人が「同じのください、自分も食べたくなっちゃったよ」と店員さんに言い、私の方を見て子供のような顔で笑ってくれた瞬間。

友人でも恋人でもない、素性を知らない他人とでも、おいしいものを食べたら、通じ合える。

その人はハフハフ言いながらひとくち食べた後「ほんとうだ、おいしいですね」と言い、私は「おいしいですよね、最高です」と返す。

「ね。」と言い合って食べるごはんって幸せだ。私たちの目の前で満足そうににこにこしているマスターの顔がかわいらしくて、それが余計に場を和ませる。


検診の日は、なんとなく大好物のお寿司を食べることがおおい。ちょっと良いお寿司。なぜかってそりゃ、お寿司が待っていると思えば病院に行く憂鬱な時間も頑張れるからという単純な理由なのだけど。

回転寿司は、スシローと魚米がすき。スシローはエビが大ぶりでチェーン店の中でエビを食べるなら絶対スシローだなと毎回思う。魚米は期間限定メニューが結構すき。そして何よりわさびがちゃんと、ツンとした辛さがあって良い。



急に蕎麦がずらりと並んだと思うのだけど、なんとびっくり。全部同じお店の蕎麦。

お腹が空いてなんとなく入ったお店の蕎麦がほんとうにおいしくて、初来店から日をそれほど開けずに4回も行った。実は私、麺類だと蕎麦とそうめんが一番すき。

休日に彼を連れていったら彼も気に入っていたので、このお店へ行く頻度も上がりそうだ。

麺はもうちょっと硬めでも良いかもなという人もいるかもしれないけれど、かけそば(温かい蕎麦)であれば、つゆと馴染むこのくらいが丁度いいと個人的には思う。

このお店はつゆがかなりおいしい。

麺をすする前にスープをひとくち入れた途端身体に染み渡る優しくて少し甘みのある味は、ほんとうに癒される。塩分過多になるからスープを飲み干したりはしないけれど、全然、飲み干せる。

揚げ餅がサイドメニューにあり気になっているので次に行ったときは揚げ餅も頼もう。



急に冷え込むようになったから、ついに石油ストーブを出した。手をかざして暖をとりながら、彼と「もうすぐ今年も終わるんだね」「毎年早いね」と話して、「今年も繁忙期を乗り越えて、ごちそうを食べよう」「頑張ろう」とグータッチをした。


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私はフリーランスだけれど月額で固定額をもらっている企業さんもあって、ある日「今年の(私)の貢献度が社内評価され、(私)の単価報酬が上がります!いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。詳しくはまたミーティングで」と連絡があった。

その連絡をもらったのは彼と車にのっているときで、添付資料の新しい月額単価の金額を見て「え、」と思わず声が漏れた。

想像以上の上がり方だった。

これまでも結構いただいていたけれど、一度に上がる金額が大きく、素直に頑張った対価なのだと思ったら、「頑張ってよかった」「嬉しい、嬉しい」と声に出した瞬間、堪えきれず泣いてしまった。

彼は内容を聞くと「俺も泣けてきた、ほんとうに頑張ってたもんよかったね、よかった、嬉しいな」と彼も一緒に嬉し泣きをするもんだから、もっと泣いてしまった。

一番近くで見ていた彼だからわかってくれていることはたくさんあって、だからきっと涙を流してくれたのだと思う。


今年は辛いこともたくさんあった。ほんとうに、辛くて苦しくてもう楽になりたい楽にしてほしいと朝がくることに怯えた日もあった。

けれど失望するには絶望するにはまだ早い失ったものばかり数えるなと自分に言い聞かせて、目の前のやるべきことに真剣に向き合った。

「大人になると、わかりやすく評価されることって仕事くらいでしかないから」と彼に言うと

「そうだね、だからこそ落ち込むこともあるけど、対価として返ってきときは自分頑張ったなって思えるよね」と言われ、

「うん、頑張ったんだなって、やっとちゃんと自分でも実感できたかも」と返すと

「だってほんとうに頑張ってたもん」と彼が自分のことみたいに誇らしげに言うのでおかしくて笑った。

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もちろん頑張ってきたことを評価された対価もあるけれど、金額を見たときにこれからの仕事に対する期待も込められていると感じた。適度に良い刺激のあるプレッシャーだ。改めて気が引き締まる。



人生山あり谷ありってほんとうなんだな。

今年はほんとうにたくさん泣いたけれど、「きっと良いことあるよ」と自分の人生を信じてこれた自分に感謝している。

残りの繁忙期を乗り越えて、だいすきな仲間と恋人と、おいしいお酒とごちそうを食べる日を待つことが、今の私の一番の楽しみだ。

急に冷え込むようになったので、みなさんも身体を冷やさないようにあたたかくして過ごしてね。

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