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異性の友情が成り立つかどうかって


久しぶりにだいすきだった男友達の夢を見た。一方的に絶縁されてしまってから月日が流れて、ようやく傷が癒えた頃に見た夢はあの頃のように楽しく会話をする私たちだった。

戻りたい、と思うほどもう子供じゃないけれど君から連絡がきたらきっと心から嬉しいと思ってしまう。異性という枠を越えて、人として出会えてよかったと、そう思えた人だから。大人になってからこんな出会いってあるんだねと話せた人だから。

男友達のことを振り返りつつ、異性の友情どうこうについてお話ししてみる。

もう会えない男友達のこと

みんな、といるのは互いにだいすきでみんなの中にいる君を見ているとなんだか少しほっとした。君は自分の話をしないから聞き役にまわることが多くて、飲み過ぎて潰れた子が君の肩や膝を借りることもそう珍しくはない。時には潰れた子がわざとそうしているのは知っているし君はたぶん知っていて知らないふりをしていた。甘えられる立場、にあることがほんとうに多い人だなと思っていた。異性に限らずだけれど。

異性の場合それが特にわかりやすく見えていた。君はそれをどうこうするわけではないけれど、中途半端に優しい。優しさというより情けに近かった。「送っててやりなよ」と周りに言われると「やだよ」とは言わないし、必ず送り届けていた気がする。

そうしてみんなと飲んだあと一度君とばらけても、数時間たつと「解散した?いまどこ?」とLINEが来るので位置情報だけをぽんと送信していた。

遠いところにいると「なんでそんな方までいってるの、タクシー代ばかになんないんだけど」と返信がくるので「中途半端に遠くに行きたい気分だった」と返す。

それでも「今日はやめとこ」と君が言わないことを知っているし、逆の立場になってもそれは変わらない。

「待ってて」とLINEの通知がホーム画面で光るのを見て、私はよく、君が来るまで頼んだものを食べ切れるか選手権をひとりではじめていた。

君の方が早く着くと「また食べてるよ」と笑う。私が食べ終わっていても「何か食べてたんでしょ」と笑う。

「向かい合わせの席にいてもシャンプーの良い香りがしますね」と私がわざとらしく言うと「その下り必ずやんのね」と呆れたような声で言ってアウターを脱いで座る姿や匂いが懐かしい。

「集まるたびに毎回思うのだけどあの子(君)のこと好きだよね、君もみんなも気づいてると思うけど。家まで送るなら朝まで居てあげたら良いじゃない、どうせまた中途半端に優しくして泣かせてるんだよ、信じらんないね、いけすかない」

と捲し立てるように言う私に、「控えてる大事な用事があるからね、朝まではいらんないよ」と当然のように返す君を見ていると、ちょっぴり腹が立つけれど、それ以上に昔と変わらず目の前にいる事実に安心もしていた。

「じゃ、仲直りしよっか」とグラスを差し出したら「俺らって喧嘩してたの?」という君の笑い声とともにグラスが重なる音が小さく響いたあの夜を、まだ覚えている。

私は君に恋をしたことはないし、これから先も恋愛感情を持つことはないけれど君に恋をする子たちの気持ちにはそりゃそうだよと共感できた。容姿が良いという大前提はもちろんだけれど、

それ以上に、なんというか一緒にいると、きっと女の子はみんな弱いところをつつかれているような気分にさせられる。

つつかれているうちに膨れ上がって穴が空いて
溢れ出しちゃうような、そんな感じ。

弱いところを見せたくなくても自然と溢れ出しちゃうような、それを受け入れてくれるかは別として、ただ知ってほしいと思うような、そんな感じなんだと思う。

君は、恋人と似ても似つかない人だった。だから友達としてはかなりうまくやれていた、はずだったのにな。

本音に見せかけた強がり


改めて書いてみて(ちょっと再喝した部分あり)思ったのだけど、これだけ気持ちゆるゆるにして関わってきた人に絶縁されるって改めて悲しいね。自分で読み返したくせに胸がちくちくされた。

異性の友情ってなんだろうね。

君と私のすきが同じ意味を持っていたらこうはならなかったのかもしれないけれど、それはこれからもないし、もし同じすきだったとしても、それが恋愛関係でない以上異性という壁は永遠にあるのかもしれない。

だから私たちはまたこの記事の頃のように笑って話せる2人にも戻れないのだと思う。ちゃんとそう自覚して受け入れるにはまだ時間が足りないけれど、

君が私を思い出してくれるなら、思い出になるのも悪くはないかもね。こんなこともたぶん強がりだけれど。

幼馴染とか、異性の友達とか、恋人の考え方とか

幼馴染は異性もいるけれど、幼馴染はやっぱり友人とはどこか違う。家族同士の関わりもだけれど、異性の壁を感じない。やっぱり、幼馴染のようにはいかないのだろうか。

けれど互いに恋人がいても成り立っている異性の友達関係もあって、たまに互いの恋人に対して「我慢させちゃってるのかな」と不安に思うけれど、友人の恋人も私の恋人も、たしかに我慢とかではなく「友達は大事にしてほしい」と思っている。

でもそれって、恋人にも大事にしたい異性の友達がいるからで、結局同じような立場や関係性をもっていないと理解はできないのかもしれない。

恋人は以前、「俺は仲間内で会う異性の友だちいるけど、2人で遊ぶほど、遊びたいと思うほど親しくはないからなんていうか、嫉妬とかよりそういう関係っていいなって大事にしてほしいなって思う」と言ってくれた。

私はたぶん異性の友達は多い方で、今の恋人の前に付き合ってきた人はそれをものすごく嫌がったし、喧嘩の理由も大体それだった。勝手に連絡先消されたりもした。

当然といえば当然だと思うし、むしろ恋人の考え方が珍しいのかもしれない。

「不安にはさせてない?」と恋人に言ったときも、

「(私)と友達期間結構長かったから、どんな風に異性の友達と関わるのか知ってるし、何より俺のことほんとうに好きでいてくれてるってわかってるから、不安にはならないよ。

(私)が楽しかったって帰ってこれば、俺はその話を聞くのが嬉しいよ。ほんとうに大丈夫だよ」

「ちなみに、この人はやだよ2人では会わないでと思う人だったらちゃんと言うよ、俺もそこまで大人じゃない」

と笑っていた。

私が男友達や幼馴染と彼を実際に会わせたのも大きいのかもしれない。(私より彼と友人が親しくなっちゃったなんてこともある)

前に、幼馴染に「彼女に会ってほしい。紹介したいし」と言われて「ええもちろん!」と楽しみにしていた。けれど、

当日待ち合わせ場所にきたのは幼馴染だけで、「やっぱり幼馴染の子には会いたくないって帰っちゃったわ…ごめん」と謝られた。

その後、結局幼馴染からお別れを告げて別れてしまったのだけど、後になって話を聞いたらひと通り色々な理由があって、「それと、(私)のことほんとうに嫌だって何回も言われて、それもなんかね」と私も原因のひとつだったときは凄まじく悲しくて、ほんとうにごめんと思った。

幼馴染に「言ってよ。そしたら距離置いたし。あ〜ほんとうにごめん」と言ったら「いや謝んないでよ。違うよ俺が決めたことだから」と言っていた。「俺自身、そんなに好きじゃなかったのかもしれないし」とも。

私の恋人と私の幼馴染や友人が仲良くなれたのはやっぱり男同士だからなのか、私と幼馴染の恋人が仲良くなれないのは女同士だからなのか。異性の壁より同性の壁じゃないかとすら思う。わからないけれど。わかんないけどね。

でも、なかには幼馴染カップルと私と彼と、4人で出かけられるような関係もあって、この関係が築けたときはほんとうに嬉しかった。

なかったことにしたくない

異性の友情関係って、片方が恋愛感情を持ったらおわってしまうくらい脆いけど、合コンや婚活やアプリは別として、じゃあはじめからみんな恋愛感情を意識して異性と関わるのかって、それは違うじゃない。

恋愛感情を持ってしまうのだって、結果だもの。

そこに辿り着くまでに確かにあった友人関係まで「ほらね、成り立たないんだよ」となかったことにしてしまうのは寂しい気がする。

「俺の場合、人として好きの延長上に恋愛感情があっただけで、だから、友達関係の気持ちとまったく別物ってわけじゃないんだよ、なんか、わかるかな、うまくいえないけど」

と友人から言われたことがあって、そっか、そうだよね。と思った。友人だと思っていた人に恋愛感情を持たれてしまうと悲しいことの方が多くて、でも過程まで否定しちゃうのは違うよなと、それを言われて思った。

異性の友情が成り立つとか成り立たないとか、それは結果として、それまでの過程や思い出まで否定したりなかったことにはしたくないかもなって思うだけ。

片方が好意を持てば終わってしまうことがおおいし、互いの恋人がいやだと言えば恋人に寄り添うことがほとんどだろうし、だからこそ「気持ちだけ知っていてほしい」なんて思うのかな。まるで、いつか離れなきゃいけないことを知ってるみたいだね。

好きな人にだけに抱く感情

「どうして恋愛関係になりたいの?友達でいるより、付き合った先の方が終わる確率高いのに」と言ったときに「不特定多数じゃなくて、一対一になれるのはやっぱり恋愛関係だけだと思うから。私はあの人の恋人になりたい」と答えた友人がいた。

恋人だろうが友人だろうが一対一で関わっている私にはあまり共感はできなかったけれど、たぶん、その人の「替えがきかない存在になりたい」「あなたじゃなきゃになりたい」ということなんだろうなと思った。

好きな人ってきっと「みんなと」じゃなくて「2人で」をよりたくさんしたい人なんだろうな。

たとえ恋人関係になったって、この人じゃなきゃ、とか、この人以外は、とか、そんなことって思い込みで例外も特別も人間関係にはないのかもしれないけれど、違うの、そうじゃなくて。

もしほかにそういう人がいても、例外や特別なんて実はないとわかっていても、その世界は別に欲しくないと思うだけ。見なくてもいいよもう十分だからって思わせてくれる人ってだけ。

恋は盲目だって上等でしょ、見たくないものをわざわざ掘り起こして地の果てまで見ようとなんてしなくていい。盲目だってどうせいつか終わる、いつか終わることをエンジン全開で自ら終わらせてもつまらない。

自分に対してまで疑い深くなると幸せは遠のいてしまう気がする。他人を信じようとするから疲弊する、なら自分が選んだ道を信じていきたい。

だって生きていく上で、取り返しのつかないことなんてそんなにないし。

あとがき


久しぶりに頭の中パッカーンみたいな記事を書いたのだけど非常にまとまりがないのは、答えが出ないこと(出したくないこと)について話しているからかも。

たぶん多くのことは、難しく考えすぎ、で拗れてねじれているよね。

おいしいものを食べておいしいなって感じるくらいの感覚で人を好きになれたら楽だろうけどそうもいかないしね。

白黒つけたくなる性格だけれど、最近はグレーも覚えた。教えてくれたのはもう会えないであろう男友達。私は君のこと、人としてほんとうに好いていた。

愛されていてよ!!!!!!!!!

おわり。

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