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お母さんが目指す社会の在り方を教えてくれたのは、クラスの子ども達だった。

「全っっっ然分かんない!!!」

算数の問題を前に、
1人の子が叫ぶ。

その叫び声につられ、
俺もわっけわかんねーよ!と
頭をガシガシする子や、
うんうん、私もわかんない!と
相槌をうつ子もいる。

算数が得意な子が

「いや、だってさ、…」

黒板を指差して説明をしようとする。

私は前へおいで!と手招きをして、
その子に説明をしてもらう。
同じように説明をしたい子は他にもいるから、途中で上手く説明が出来なくなっても心配いらない。入れ替わり立ち替わり、色んな子が前に出てきては説明をする。

そうこうしてるうちに

「あ!分かった!!俺、分かった!!!」

誰かが嬉しそうに叫ぶ。

未だに解き方が分からない子も、
あの子が分かったなら自分も分かるかも…と
友達の説明をさらに真剣に聞く。

これは子ども達から絶大な人気の無さを誇る
小学校での算数の時間の話だ。

体育の時間には別の子が、
理科の時間には別の子が、
給食の時間には別の子が、
自分の良さを遺憾なく発揮する。

授業中についつい手遊びしてしまうあの子は、
実は誰よりも電車や歴史について詳しいので、
社会の時間には自分の知識を披露して
周りから一目おかれる。

いつもはあまり話さない静かなあの子は、
掃除の時間になると黒板磨き職人に変身し、黒板を新品同様にピカピカにする。
黒板を前にした私や他の子は「…す…すげぇ…!」と唸るしかない。

小学校で働いていると、
人には必ず長所と短所があって、
それを認め合い、補い合えば、
ある程度の事は乗り越えられるな、と思う。

算数の問題が分からない時、
分かっているフリをするのではなく「分かんない!」というのは格好悪い事ではない。
「そんなのも分かんないの?」とバカにされるべき事でもない。

自分のダメな所を安心してさらけ出し、
それを認めて、補おうとしてくれる友人や先生がいれば、学校生活はとても豊かになる。

私はそんな事を子ども達から教わっている。

じゃあ、私はどうだろう?
子ども達から教わっている事を
果たして実践できているのだろうか?


キラキラとした希望を胸いっぱいに詰め込んで
学校の先生になったあの日から10年が経ち、
私は出産をして仕事に復帰をした。

毎朝この世の終わりのように泣く息子を保育園へ預け、その姿が脳裏に焼きついたまま出勤する。
毎日、毎日、息子は同じように泣き叫ぶ。
私も泣きたくなる。
いや、ほんとは車の中で何度も泣いた。

ギリギリに学校に到着する時もあれば、時間を過ぎてしまう時もある。
一息つく間もなく、急いでクラスへ行く。
教室に向かう廊下で、1日の予定を頭の中で確認し、先生スイッチをオンにする。

放課後になると、どっと疲れが押し寄せる。
忘れていた息子の泣き顔を思い出す。
やらなきゃいけないことは山積みだけど、
帰る時間もあるからゆっくり休む時間もない。
私は追われるように仕事に向かう。
電話対応や緊急案件、会議などで、結局やりたかった事の10分の1も出来ないまま帰ることもざらにある。

息子を急いで迎えに行き、
帰ってから慌ただしくお風呂、夕飯、洗濯。
寝かしつけているうちに気絶するように寝て、
また朝になる。それの繰り返し。
旦那と協力してるけど、全然時間が足りない。
疲れもとれない。それは旦那も同じだろう。

私は家族も仕事も同じように大切だ。
だけど、全然両立しない。
自分の満足いくような両立が出来ない。
それが苦しい。

息子が泣いている姿を見ながら別れる時、
息子が1人残っている保育園に迎えに行く時、
遅い時間に眠る息子を眺める時、
私は「息子、ごめん」と何度も思う。

息子が体調が悪くて仕事を休む時、
熱を出した息子の為に早退する時、
子ども達が「先生、息子君は大丈夫?」と心配してくれる時、
私は「みんな、ごめん」と何度も思う。

昔のように働けなくなった。
周りの人に迷惑をかける回数が増えた。
思うように何も進まない。

私はなんで働いてるのだろう?
もうこんな生活、投げ出したい!
とまで思ってしまう。

若い時に何となく見ていた、
いつも忙しそうなお母さんの先生達を思い出す。

手の動きが見えないほどの超高速で丸付けをしていたお母さん先生達。
お菓子を咥えたまま、凄い勢いで資料を作っていたお母さん先生達。
朝は慌てて職員室に現れ、定時になると慌てて職員室を出て行くお母さん先生達。
よく子どもが熱を出したとかで学校を休み、
ほとんどゆっくり話した事はない。

そうだよね。
今なら分かる。
こんなに大変だなんて知らなかった。
あんなに学校を休むのも無理はない。
だって、初めての保育園は、
信じられないくらい病気をもらってくる。
信じられないくらい仕事を休む事になる。

大変そうだなぁー…と、他人事のように見ていたお母さん先生達の凄さを、私は今ひしひしと感じている。
戻れることならあの頃に戻って、
お母さん先生達と語り合いたい。
私の泣き言を聞いてほしい。
お母さん先生達の武勇伝を聞きたい。
あの人たちは、
揃いも揃ってスーパーウーマンだったのだ。
今更その凄さに気付いても遅いけど。

目の前に広がる仕事と家事と育児が
どんどん膨れ上がり、
無情にも私に襲いかかってくる。

た…助けてーーー!!!

私は今にもぺちゃんこだ。

そんな私を救ってくれるのは、
あの頃の私と同じ歳くらいの若い先生達だ。
「やっておきます!」
「任せてください!」と
いつも笑顔で言ってくれる。

そんな私を救ってくれるのは、
職場にいる先輩の先生達だ。
「仕事に代わりはいるけど、お母さんに代わりはいない!ほら、早く帰って!」
「こっちは気にしないで大丈夫!」と
私を助け、寄り添ってくれる。

そんな私を救ってくれるのは、
クラスの子ども達だ。
「先生頑張れ!」
「先生はお母さんもしてて大変だね!」と
励まし、背中を押してくれる。

そんな私を救ってくれるのは、
クラスの子ども達の保護者の方達だ。
「お母さんが倒れたらヤバいって!」
「先生、無理しちゃダメだよ!」と
私を気遣い、アドバイスをくれる。

そんな私を救ってくれるのは、
私の両親と、旦那の両親だ。
「何か手伝うことある?」
「美味しいもの送っておいたよ!」と
いつも気にして、見守ってくれる。

そんな私を救ってくれるのは、
苦楽を共にしてきた旦那だ。
「俺がやるから大丈夫!」
「ママは休んでて!」と
私を支え、二人三脚で歩いてくれる。

そんな私を救ってくれるのは、
大好きな大好きな息子だ。
「ママ、大好きだよ!」と
ニッコリ笑ってくれれば
私の疲れは宇宙の果てまで吹っ飛ぶ。

子ども達が教えてくれたように、
自分のダメな所をさらけ出してみると、
それを認めて、補おうとしてくれる人たちが
私の周りには溢れていた。

辛いのに「辛くない」と言う必要もないし、
助けて欲しいのに「大丈夫です」と言う必要もない。
それは格好悪いことじゃない。
非難されることでもない。
たまに嫌な顔をされるかもしれないけど、
それ以上に私を助けようとしてくれる人は
思っているよりも沢山いる。

今の私は、周りに甘え、頼り、助けて貰いながら働く時期なんだと思う。
子育てが少し落ち着いたら、
今度は私が職場にいる子育て真っ最中のお母さんやお父さんを支えてあげればいい。
そうやって、子育てと仕事は巡っていくんだ。
そんな風に思えるようになった。

私はやっぱり、仕事が好きだ。

昔のような時間もないし、
周りの人に迷惑をかけるし、
思うように働けないけど、
私はやっぱり、仕事が好きだ。

私はこれからも、
日本昔ばなしに出てきそうな量の給食を食べ、
鬼ごっこではひたすら鬼をやり、
苦手な子が多い算数を励ましながら進め、
夏には暑く、冬には寒い教室で、
子ども達と笑ったり、喜んだり、怒ったり、色んな思いを分け合いながら働いていく。

辛い時には助けを求め、
周りの人に沢山支えて貰いながら働いていく。

そしていつか、
助けを求められずに困っている人がいたら
そっと寄り添い、
今度は私が支える番になれたらいい。
そんな風に、働いていきたい。

自分らしく働く事、満足しながら働く事は、
実はとても難しい。

でも、その姿に少しでも近付けるように
周りに頼ったり、助けて貰ったりが
誰でも出来る社会になればいいな、と思う。

「助けて!」という声を
誰もが自然とあげられる環境が
少しずつ整っていくといいな、と思う。

私を助けてくれた若い先生達が親になった時、
クラスの子ども達が大人になった時、
まだ小さい息子達が大きくなった時、
そんな働き方が当たり前になっている事を願っているし、私もそんな社会を作っていける1人になっていたい。

小学校のクラスでは、
もうとっくにそんな社会は出来上がっている。
だから、きっと大人の私たちにも
認め合い、補い合える社会が作れるはずだ。

そうすれば、多少の事は乗り越えられる。

だって子ども達は、
そうやって乗り越え、成長する姿を
いつも私に見せてくれている。
眩しいほどに見せてくれている。

他でもない、子ども達が教えてくれた事だ。
きっと間違ってないだろう。

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