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【懼るるなかれ(おそるるなかれ)】~「超常現象を否定したい心理」とは何か?~

◆余計なお世話だとは思いますが…


先日、調べものをしていたらこんな記事を見つけました。


私のnoteではもはやおなじみの人になってしまいましたが、再び皆神龍太郎氏にご登場いただきます。この「超常現象の調査を30年間行った結果、ほとんどが見間違いや勘違いだった。」という言葉は、やはり他の追随を許さない重みがあります。


よく考えてみてください。特に何も考えずに生きていて、何も起こらなかったのならまだ分かるのです。30年もの間、いわくつきの人や場所をわざわざ調査しに行って、説明がつかないような不思議な体験が一度もないなんてことがあるのでしょうか?


そのこと自体がある意味「超常現象」といえるレベルです。


そもそも、どうしてそんな不毛にも思えることを、30年もの間続けられたのでしょうか?せめてもう少し早い段階で、以下のことに気付くこともできたはずです。


①調査方法に問題がある可能性
②そもそも向いてない可能性


①恐らく皆神氏は、超常現象を「科学・合理的な観点」から調査されたのだと思われます(これについては著書などを拝見していないのであくまで憶測ですが)。
それ自体はとても価値のあることですが、いかんせん超常現象は、いわゆる因果律をベースとした物理学の理論がそのまま適用できる保証が一切ない現象です。したがって、他の学問も援用するなどして、もっと方策を探るべきだったのではないかという疑問が浮かびます。

また、「山羊羊効果」のような、実験環境にも大きく左右される傾向に配慮するなど、工夫が必要だった可能性があります。(以前の記事でも紹介していますが、皆神氏は「元々あると思ってやってなかった」と発言されているので、このマインドを持った人が現場にいるだけで現象が起こりにくくなっているのでは?と邪推してしまいます)


②「そこには何もない」と大体見当が付いた時点で、狭い世界にこだわらず、もっと別の世界を見て生きたほうが有意義だったのでは?という素朴な疑問です。


、、②は余計なお世話かもしれませんが。


私が皆神氏のことを再三取り上げるのは、別に皆神氏に個人的な怨みがあるわけでもなく、先述の皆神氏の言葉の中には、「超常現象とは何か」を考える上で重要な問題が潜んでいると思うからです。


皆神氏はなぜ、30年もかけて超常現象を否定しなければならなかったのでしょうか。そもそも、「超常現象を否定したい心理」とは一体どういうものなのかを考えたほうが近道ではないかとも思います。




◆「超常現象を否定したい心理」とは


私が昨年、ヨコザワプロダクションの怪異の面白さにハマって以来、様々な立場の人の意見を見聞きするようになって、最も気になったことの一つがそのことでした。

まず、最も一般的な理由は、「非合理・非科学的だから」というものでしょう。

また、否定したい心理にも様々なパターンがあります。例えば、ごく一般的な人よりも、オカルトや科学に詳しい人の方が、特定の現象に対して強い抵抗感を示す場合が多いように思います。

あるいは、普段自分自身で超常現象を感じ取ったりしている場合、自分の知っているものと違うからという理由で、認めたくないというケースもあるようです。


もう少し俯瞰で見た場合、1990年代はオウム真理教による数々の凄惨な事件の影響で、オカルトとカルトが最も混同された時代でした。その影響で、超常現象を肯定することがある種のタブーとなっていたのは事実でしょう。

こうしたある種の挫折を経て、2000年代以降、「超常現象を否定する方が生きていく上で賢明だ」というムードが醸成されていったと考えると、より様々なことがクリアになる気がします。


また、このような流れの中から、皆神氏も所属するASIOSやと学会のような、「ただ頭ごなしに否定するよりも、まずは科学的・合理的に検証してみようではないか」というスタンスの勢力が現れたと見ることもできると思います。


◆日本中に今もなお漂う「超常現象を認めたくない」ムード


ただ問題なのは、そのムードが現在も続いていることです。

オウムの一連の事件にしても、すでに30年近く経っており、総括するには十分な時間が流れたはずです。にもかかわらず、その後、畳みかけるように東日本大震災による原発事故やパンデミックという大規模な厄災に見舞われたことにより増幅した不安や恐怖によって、世間の「真実(およびフェイク)」に対する感度が一層シビアになったのは事実でしょう。


さらに歴史を遡れば、19世紀を代表する霊媒たちも、世間の厳しい目にさらされました。

スピリチュアリズムの黄金期と言えるこの時代は、まさに産業革命の真っ只中で、熱気に満ちていたと想像します。科学によって人々の生活が向上し、幸福の形が急速に変わりゆく中で、それまでの宗教をベースとした「非物質的な幸福の形」と、新しい価値観による「物質的な幸福の形」が火花を散らしたであろうことが目に浮かびます。

その混沌の中で、代表的な霊媒たちの多くは数奇な人生を余儀なくされました。

一時は持ち上げられた後、手のひらを返すように批判の的となり、心身疲弊し、表舞台から消えていく人も多かったようです。降霊会が人々から喜ばれて嬉しい瞬間もあったかもしれませんが、それ以上に批判の声も多かったようです。もちろんペテン師が混じっていたことも理由でしょう。しかしながら、彼らが決して好きで霊能を持って生まれてきたわけではないだろうと思うと、いたたまれない気持ちになります。

また、日本でも、オカルト史上最も悲惨といわれる福来友吉教授の被験者となった御船千鶴子と長尾郁子の千里眼事件が思い出されます。


彼らは本当に、そこまで追い詰められなければならなかったのでしょうか?




◆心霊研究は今もなおスタートライン


話を戻しますが、皆神氏が「そこには何もない(超常現象は存在しない)」と結論づけていたにもかかわらず、30年という長期間、超常現象の研究を続けられたのは、超常現象を否定すること自体が目的化していたからではないでしょうか。

つまり、どこかで「思考停止」していないと継続できない年月だと思うのです。そして、「思考停止」に至るメカニズムには、決して合理性だけでは説明できない何かが潜んでいる気がするのです。


それはいわば「科学万能主義」という名の信仰なのかもしれません。超常現象が、物理学の理論がそのまま適用できる保証が一切ない現象であることを薄々は感じながらも、科学で測ることが全てだと信じて疑わなかったのです。

当然、何を信仰するかは個人の自由です。

ただ、これまで多くの先人たちが知恵を絞って真実を解き明かそうとする一方で、懐疑派・否定派はどうにかそれを阻止するかのように、嘲笑し、疑いの声を上げ、その結果、実験は度々中止を余儀なくさせられ、その都度、心霊研究はスタートラインに立たされてきた経緯があるのも事実です。


また、先述の千里眼事件(実に110年近くも前のこと)で福来友吉教授が事実上学会から追放されて以降、この国で超常現象の学術的な研究を行うのが難しい状況が続いていることも事実でしょう。

様々な見解があるとはいえ、日本において、啓蒙主義的な理由で超常現象をアカデミアから排除した歴史があること、そしてその影響が今も続いていることを認識するのは、非常に重要なことではないでしょうか。


◆超常現象の虹はかかるか?



「超常現象を否定したい心理」とは何なのか、いくつかの仮説を基に考察してきましたが、その答えは複合的な要因に起因するものでしょう。

当然ですが、超常現象について議論する際、主張が対立し、議論がさかんに行われることは健全かつ大切なことです。一方で、超常現象を信じる人にも信じない人にも同等に、守られなければならない自由や権利があります。

しかし現実には、どうしても他人の幸福が気に障るという人や、看過できないという人が一定数存在するのも事実です。


5、6年ほど前でしょうか。ご存じの方も多いと思いますが、2013年にニュージーランド議会で行われた、ある議員による同性婚についてのスピーチは、SNSを中心に大きな反響を呼びました。


彼の名前はモーリス・ウィリアムソンさん(元議員)。このスピーチ、私も何度か観ましたが、人間が共生していくために必要かつ普遍的な考え方をユーモアを交えながら、実に巧みな話術で説明しています。


このスピーチの一部を抜粋し、「同性婚」の部分を「超常現象」に置き換えて作成したスピーチをお届けして、今回は終わりにしたいと思います。



「超常現象を否定している多くの方は常識的な方(穏健派)なんです。

超常現象が社会の構造に何をもたらすのか、真剣に心配なさっている。

その懸念に敬意を表します。
超常現象が認められると、ご自身の家族に何が起こるか心配なさっているのです。

我々が要求すること、それは、この世に、科学では解明できないことがあることを認める。これが全てです。

私たちは海外に向かって核戦争を始めようとしているわけじゃないんです。農作物を全滅させるウイルスもばらまきません。

ただ、この世に、科学では解明できない不思議なことがあることを認めてもらいたいだけなのです。

何か問題でしょうか。お金もかからないのに。

だから、なぜ超常現象を否定する人がいるのかわからない。

異質なものを遠ざけたいのはわかります。いいんです。我々みんなそんなものです。

明日からも太陽が昇ります。
明日からもあなたの10代の娘さんは、
全てを知っているかのように生意気な口をきくでしょう。
あなたの住宅ローンは増えません。
あなたが突然皮膚病や湿疹になることも、
ベッドからヒキガエルが跳び出すこともありません。
(※これについては超常現象で起こらないとは言い切れませんが)

この世界はただ続いていくだけです。

だからおおごとにするのはやめましょう。

この主張は当事者からすれば素晴らしいものですが、
残りの我々からすれば、変わらない人生が続くだけです。

最後に一つ、届いた意見を紹介させてください。

「超常現象のせいで干ばつが起こった」
(※これについても超常現象で起こり得るかもしれませんが)

でも私のX(旧Twitter)を見た方はご存知だと思います。
今朝は土砂降りだったのですよ。

雨が上がったら、大きな大きな虹、
Paranormal・Rainbow(超常現象の虹)がかかりました。

これは何かのいい知らせではないでしょうか?
あなたが信じるなら、それは確かな兆候です。


締めくくりに、それでも法案を懸念なさる方々へ、聖書からの引用を。
申命記です。申命記はなかなか難解なのですが、まぁそれはいいとして。
旧約聖書 申命記 1章29節。

懼るるなかれ(おそるるなかれ)。」

ここまでお読み下さり、ありがとうございました!



参考文献:
・三浦清宏『新版 近代スピリチュアリズムの歴史 心霊研究から超心理学へ』2022年、国書刊行会

・秋山眞人、布施泰和『日本のオカルト150年史: 日本人はどんな超常世界を目撃してきたか』2020年、河出書房新社


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