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星野源が「普通」をぶっ壊してくれた。【読書録】

星野源のエッセイ本、『そして生活はつづく』を読み終えた。


携帯電話の料金を払い忘れても、部屋が荒れ放題でも、人付き合いが苦手でも、誰にでも朝日は昇り、何があっても生活はつづいていく。
ならば、そんな素晴らしくない日常を、
つまらない生活をおもしろがろう!


国民的アーティストとして、役者として、マルチな活躍を見せる星野源。自身の何気ない日々を面白おかしく綴っていたり、生活の中に紛れ込む弱い部分や、コンプレックスに触れていたり、真面目で、哲学的なことを言っていたり、だけどラストには笑えるオチになってたり。

読み終えたら、どうしたって星野源に対しての好感度がグンと上がってしまう。もっと好きになってしまう。そんな1冊。

何故だろう。ネガティブなことばっかりなのに、ダメなところばっかり書いてあるのに、綺麗事などほぼないのに、(下ネタ全開なのに)、
とてもあたたかいと思えた。


日常生活で起こる様々な問題や、トラブルに対して、「こういう考え方いいなあ」「いい言葉だなあ」って思えるところがたくさんあった。それと同時に、私は薄目で物事を見てるんか?ってほどの、視野の狭さを実感。


特に気に入った1文を載せます。

(P180)
本当に優秀な集団というのは、おそらく『ひとつでいることを持続させることができる』人たちよりも、『全員が違うことを考えながら持続できる』人たちのことを言うんじゃないだろうか。


、、、うわあああ!!!!!!ってなった。
私の中の、奥深くで根を張っていたものが、ぶち抜かれた瞬間である。
私に常に付き纏っていた、くっついて離れなかった「普通」を、星野源がハンマーで殴ってぶっ壊してくれた。「一般常識」「当たり前」だと思い続けたものをぶっ壊してくれた。

日本人は、集団行動を好み、一致団結することを好み、集団が「ひとつ」になることを目指す。横に並んで手を繋ぐ。ちょっとズレてると、すぐ仲間はずれにされる。出る杭は打たれる。連帯責任を取らせる。私は、そういう類のことが大体苦手だ。周りに馴染むことに、集団の中で打ち解けるまでに膨大なエネルギーを消費する。でも、一人でいると、みんなから「ぼっちじゃんあいつ」って思われるのが怖いから、無理してた。大体いつも集団には、微妙に馴染めなかった。


集団の中で私だけがひとりになることを拒んでいた私に、星野源が言ってくれた。
「そんなの窮屈だ」と。

周りにうまく合わせられないことに嫌悪感を感じていた星野源も、考え方が変わって、「みんなばらばらでいいじゃないか」と思うようになってからは、集団の中でひとりになることを堂々と楽しめるようになったと言う。

集団で協力すること、皆で同じ目標に向かって頑張ること、チームで行動すること、連帯責任をとること、、、
誰もが、それらを「普通」だと思い込んでいる。
みんな一緒、みんな同じ。そんなの、つまらない。

金子みすゞも、「みんなちがって、みんないい」と言う。「ちがう」ことを「良い」ことと捉えることは、強くて、優しくて、とても素敵なことだと思う。

全員がみんな同じこと考えようとするんではなく、全員がそれぞれまったく違うことを考えてる、100人いたら100人の意見がある、そんな集団は、どんなに楽しいだろう。

ひとりでいて、何が悪い。みんなと違って、何がおかしい。星野源は、動けずにいた私に埋め込まれた「普通」を取り除いてくれた。

彼のように、唯一無二の「ひとり」である自分を無くさぬように、集団の中でひとりになることを怖がらずに、私は私で生きていく。



私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

金子みすゞ

小学生のときに音読でよく読んでいた詩だ。
私も高校生になった。大人になった。今、一文ずつ向き合いながら読むと、改めて本当に素敵な詩だなあと思える。


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