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名前を呼ばれないのが、なんかさみしかった。


小学生のころ、他の子たちがお互い仲良さげに、下の名前やニックネームで呼びあってる中、わたしだけはいつも「苗字」で呼ばれるのが、なんかさみしかった。

よそよそしく、距離を置かれているような
仲間に入れてもらえてないような
そんな感じがして。




中学3年のとき、はじめてちゃんと友達と呼べる子ができた。その子が初めてわたしの下の名前をニックネームで呼んでくれた。
親しみをもたれたような、存在を認められたような気がして、すごくうれしかった。



高校、大学に進むと、仲良くなってよく遊ぶ子や同期やサークルの先輩後輩たちとは、お互い自然と下の名前やニックネームで呼び合うようになった。

それが自然というか、当然みたいにずっと思っていたんだよね。




社会人になってからは、(上下関係をあまり感じずフランクな雰囲気の職場をのぞいて)
基本的には下の名前やニックネームで呼ばれることはほぼなくなっていた。

その辺は、仕事上の共通した呼び名で「苗字」で呼ばれても特に気になることはなかった。





それが結婚して子どもができたあたりかな。


他人から見ると、個としての自分ではなく、「〇〇さんの奥さん」「〇〇ちゃんのママ」という、社会的立場(役職)で見られる機会も増えるためか、

仕事上とは別の意味で、下の名前で呼ばれることも少なくなった。


それは、親戚も知り合いもいない中、全くの知らない土地でまた0から人間関係を作らなきゃいけないのもあり、プライベートで昔から知ってる人以外からは、「よっこ=じぶんの名前」で呼ばれることがなくなったのもあった。


「〇〇(新しい苗字)さん」

「〇〇ちゃんのママ」


例えば市役所とか、職場とか、病院とか、保育園の先生とか、そういう公の場で呼ばれる分には、「あ、わたしもそういう立場の人間だから」という感じで(そういう呼び名で呼ばれることに)何も抵抗を感じていなかった。




でも、ある時ふと気づいたんだよね。
個人的に関わる人間関係で。


同じ保育園に通うママどおし

パートで一緒になった同僚

習い事や勉強会で知り合った人

中にはランチにいったり、個人的に仲良くしていた人もいた。



他の仲良しメンバーは自然に「〇〇ちゃん」と下の名前で呼ばれているのに、わたしはいつも苗字でしか呼ばれない。


2人でランチに行ってる時も、2~3時間一緒に過ごす中でも、LINEのやりとりでも、そういや、「1回もわたしの名前で呼びかけられていないわ(苗字すら)。」

そのうえ、リアルで面と向かって、ふつうの会話の流れで「○○ちゃんはどう思う?」というような場面でも、わたしの名前を呼びかける代わりにジェスチャーで指でさしてこられたことも。


それなのに、他の子(共通で知ってるメンバー)のことは「この前、○○ちゃんとね・・・」なんて話してくる。




さいしょは、ちいさなモヤモヤだったのが、何度も何度もそういう体験をくり返すと、胸が「ズキン」とするような「チクリ」とくるような、痛みに変わっていることに気がついた。




もともとわたし以外が全員知り合いで・・じゃなく、みんなが知り合ったばかりの同じスタートラインなのに、なんでわたしだけ名前で呼ばれないの?

何度も個人的に会ってそれなりに仲良くなってて、目の前にわたしがいるのに、なんで名前で呼んでくれへんの?わたしのこともちゃんと名前で呼んでよ!


人として存在を無視されているような、

のけもの扱いされているような

気がして、そのことに対して怒りすら湧いてくる自分がいた。





でも、ほんとうは、その怒りの感情のもう少し奥に「さみしさ」「悲しさ」がかくれていたんだよね。

これから仲を深めていこう、仲良くなれそうと思っていたからこそ、じぶんだけ名前を呼んでもらえないことがショックだったんだ。



それに、じぶんから「○○ちゃんって呼んでよ」なんて無理やり感満載で不自然でぎこちなくてなんかイヤじゃん。


それに好きな人、友達、愛着がある人に対しては、呼びかけるとき、名前とかニックネームとかなにかしらの愛称が自然とでるものなんじゃないかな。(へんな話、ワンちゃんとか猫ちゃんとかペットにだって名前ちゃんとよぶもんね)


そういうのが自然に出ないってことは、気軽に名前やニックネームで呼び合うほど親しい関係になれなかった、近寄りがたいとか気を遣う人みたいにレッテルをはられていることが悲しかった。

「わたし、そういうふうにしか思われてないんだな、すんげえ、さみしい」

っていうのが根底にあったんだなと気づいた。




ただ、名前を呼んでもらえないことが嫌なんじゃなくて、じぶんだけがそこにいない=透明人間のような、親しい間柄になれなかったのがさみしかったのだ。




そしていつの間にか、下の名前で呼んでもらえない=悪みたいに、名前の呼び方だけで、勝手に壁をかんじたり、人間関係を測ろうとしてしまうじぶんもいたんだよね。




まあ、ほんとうは、呼び方なんてぶっちゃけどうでもいいのかもしれんけど。

でも、苗字はファミリーネーム=家の名前だから、女性はとくに結婚とかで変わったりするのもあり、下の名前=ずっと変わらない個人の名前

で呼ばれた方がうれしいってのはあるのかなと思う。とくに女の子どおしは下の名前で呼び合う方が仲良くなれるような気がしてしまう!?(わたしの主観かな?)

それに、例えば、「○○さん」とかよそよそしく呼ばれるよりも、「よっしー」とかニックネームで呼ばれる方が、え?わたしに関心ある?好き?と思ってしまうような勝手に親近感わいたりするのもじっさいあるからね。人って単純…

名前の呼ばれ方で、距離感とか気持ちがかわるのも否めない部分はある気がするし。




いちばんは、お互いに大切に想っていてつながっていたいと思える間柄なら、呼び方なんてどんなふうでもきっと気にならないんだよね。


今日はオチのない話をダラダラと書いちゃいました。さいごまで読んでくれた人ありがとうございます。

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