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【調べ物】歴史から学ぶDX -第三次産業革命①(コンピュータの父)-

■ 今日もせっせと産業革命

 意図せず今週は産業革命ウィークになってしまいました。DXに疲れて産業革命のことを調べ始めたら第一次の内容が面白かったので、第二次を二夜に分けてお届けして、今日はいよいよ第三次!
 では参りましょう。昨日までのバックナンバーは以下のマガジンにアップしていますので、第一次・第二次産業革命について気になる方は良かったら是非(^-^)

■ 第三次産業革命

 さてさて、今日は第三次産業革命について調べてみます。第三次って普段でもあまり聞かない単語なので、どんな革命が見られるんでしょうねーー。ワクワク☆

という事で、いつもの通りWikipedia先生の1文目から行きましょう。

第三次産業革命(だいさんじさんぎょうかくめい、英: Third Industrial Revolution)は、産業革命の第三段階を表現するために用いられる言葉である。先立つ産業革命、第二次産業革命と異なり、統一的な見解は得られていない。

はい!今日は第三次産業革命について調べてみました!(^-^)いやぁーとても勉強になりましたねー。統一的な見解は無い!ということで鮮やかに一刀両断されてしまいましたね☆皆様いかがでしたでしょうか。では明日は第四次産業革命について調べてみたいと思います。ではまた(^-^)




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(いやいや、ここで挫折したらこれまでの1次2次、そして待ち焦がれているであろう4次君に失礼だ!たとえパリッとした定義が無くてその実態が獏としたものであっても、なんとか完結させるんだ!4次はきっと楽しい!!気合いだ!!)

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という事で、気を取り直して調べてみたいと思います。なんだかしっかりとした定義が無さそうですね。。ただ第四次産業革命とかインダストリー4.0とか言われている背景には必ず3つ目の節目があると思うので、それがどういった文脈で書かれていたか振り返ってみましょう。

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 第一次産業革命が蒸気機関の登場による機械化、第二次産業革命が電力・ガソリンなどによる効率化(量産化)の革命だったのに対し、第三次はどうやら自動化がキーワードのようです。特にどこで起こったかなどは書かれていなかったので世界各国としていますが、どうやら第三次産業革命の要素技術は「コンピュータ」であることに間違いなさそうです。年代も1970年以降という事で、グッと身近になりましたね。日本史でも世界史でも学年末テストが迫ってきて、徐々に先生の授業が粗くなってくる頃ですね。(あれほど縄文土器と弥生土器の見分け方については詳しくやっていたのに。。)

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■ コンピュータ

 という事で、第三次産業革命のことは未だよく分かりませんが、重要な要素技術であるコンピュータについて調べてみます(^-^)

コンピュータ | 日本語:電算機(英: computer)は、主にトランジスタを含む電子回路を応用し、数値計算、情報処理、データ処理、文書作成、動画編集、遊戯など、複雑な(広義の)計算を高速・大量におこなうことを目的として開発された機械である。単にコンピュータと言った場合、一般的には、プログラム内蔵方式のデジタルコンピュータの中でも、特にパーソナルコンピュータや、メインフレーム、スーパーコンピュータ、マイクロコンピュータなどを含めた汎用的なシステムを指す。

 トランジスタ云々はよく分からないので置いておくと、コンピュータは計算を高速・大量に行うことを目的として開発された機械ですね。よし、機械なら分かるぞ、蒸気機関と一緒だ!

 たしか蒸気機関は空気と石炭から動力を得る装置で、人間や馬では出すことができない馬力を出すことができるようになったので、馬車鉄道が蒸気機関車になって遠くまで移動できるようになったんですね。

 そして馬力が出る機械を継続的に回すことができるようになったのが石油や電気のおかげで、そこから出るエネルギー(馬力)を印刷機や製造ラインなどに注入することで、24h/365d体制でものづくりができるようになって工場が大きくなっていったんですね。たしか。

 そして今回が、計算する機械の登場だという流れのようです。なぜ計算が必要になったんでしょう。。

■ 機械の制御

 計算の必要性とか数学の起源とかいう話になると、古代バビロニアとかに吹っ飛んでしまいそうなので、せっかく機械で来たので機械繋がりで考えてみましょう。たしか第二次産業革命で織物が普及しましたね。その原材料をアジアやアフリカに求めて植民地を・・・という話だったと思います。それは服を自動で織る機械(=織機)の恩恵を受けているのですが、その織機の制御にパンチカードが使われていたようです。

 パンチカードが使われた織機はフランスの発明家のジャカールさんという方が1801年に作られたジャカード織機という機械が最初のようで、パンチカードを変えることで色々な模様の織物が織れることが特徴のようです。また出てきましたね発明家。なるほど。色々なパターンに対応できますよ、と言うのはかなりのアドバンテージですね。

 ちなみに1801年と言えば、ワットの蒸気機関の特許が切れて、第一次産業革命がよーいドンとなった1800年のイギリスにほど近いので、その頃フランスで織機が開発されていても不思議ではありません。事実、第二次産業革命ではフランスが台頭したので、その頃に開発された織機が自動化・量産化されて広まったとしても何の違和感もありませんね。

 つまり機械が24時間365日で動き始めると、人間が張り付いていなければ制御ができない状態が生じたり、ほぼ似たような製品を作るために大型の機械をもう1台作ったりするような事は避けたいので、パターンに応じて機械を動かす(≒制御する)という機能がセットで必要になったんですね。そしてそのパターンは、機械でちょっと複雑なことをやろうとするとすぐに膨大な数になり、とても人間では制御できないので、そこでコンピュータの助けが必要になったという流れでしょう。思い通りに制御する、という思想でパンチカードは人間が打って、機械がそれを読んでその通りに動く、というプログラミングの概念もこの頃セットで生まれたようです。なるほど。

1801年に開発されたジャカード織機がプログラマブルな機械の起源とされることが多い。この機械は、穴を開けた一連の厚紙(パンチカードの原型)を使った。穴の配列が布を織る際のパターンに対応している。従って、カードを入れ替えることで全く異なる布を織ることができた。

■ コンピュータの父

 この、パンチカードにより機械を思い通りに動かそうという発想を、より汎用的に昇華させた人物が、チャールズ・バベッジさんという方のようです。Wikipedia先生で「コンピュータの父」と呼ばれていたので、ほぼ源流と言って間違いないと思います。

 このバベッジさんが何を狙ったかと言うと、「数表を機械で作成すること」のようです。数表は下のような表ですね。九九のやつです。

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 当時は天文学などで、いわゆる天文学的な数字を相手にせねばならなかった人のために対数(log)という強力な武器が登場し、「おいおい100000が1000000になっても対数を使えば6から7じゃねぇかよ!クレイジーだぜネイピアさん!」という感じでせっせと計算をしていたのですが、やはり計算には時間がかかるため、対数を索引で引くことができる数表を、計算手という方たちが集まって分担して計算する、という方法で作っていたようです。まぁ何人もの人が手で複雑な計算をするともちろん間違いも出るので、当時の数表は間違いが問題になっていたようです。

 これを見たバベッジさんが強烈な違和感を感じ、「いやいや、機械で計算させた方が正確で早いやろがい!」というアイデアに取りつかれたようです。どうせ足し算引き算しかさせてないんやったら絶対機械でできる!という発想ですね。

1812年、彼は解析協会の自室で座って間違いだらけの対数表を見ていた。そして、機械に計算させればいいと思いついた。フランス政府はいくつかの数表を新しい手法で製作していた。数人の数学者が数表の計算方法を決定し、6人ほどでそれを単純な工程に分解して、個々の工程は加算か減算をすればよいだけにする。そして加減算だけを教え込まれた80人の計算手に計算させるのである。これが計算における大量生産的手法の最初の適用例であり、バベッジは熟練していない計算手を完全に機械に置き換えれば、より素早く間違わずに数表を作れるというアイデアにとりつかれた。

 そこで実際に対数表を計算する機械として「階差機関(Difference Engine)」という装置を設計し、イギリス政府からの援助を受けて装置を製作したようです(機関という名前が蒸気機関にも似てますね。)。しかしエンジニアとの確執や資金のショートにより完成できなかったとのことです。(・・・リアルですね。。)

 その傍らでシュウツさんというスウェーデンの方が階差機関の廉価版(計算可能な桁数を減らしたもの)をスウェーデンで完成させたようで販売したそうなのですが、当時そのような計算を必要とするのが天文学者たちだったので、そのオーダーに届かず全然売れなくて廃業したようです。(これまたリアル・・・笑)

 バベッジさんはその階差機関をパンチカードで制御できるように汎用化した「解析機関(Analytical Engine)」という装置の設計を行っていたようです。これがコンピュータの源流になったと言われています。
(※メモリの概念が無いなど、コンピュータに不足している要件があるため、「コンピュータと言えるか」という点については議論がなされているようです。)

 この階差機関と解析機関、残念ながらバベッジさんが生きている間には完成できなかったのですが、階差機関についてはバベッジさんの死後100年以上が経過した1991年に完成され、見事バベッジさんの想定通りに動いたそうです。素晴らしいですね。ちなみに解析機関については2020年現在も未完のようで、クラウドファンディングなどを用いて「2021年までに完成させるぞーーー!うぉーーー!」という流れもあるようです。


■ 第三次産業革命の舞台は日本?

 いやぁ、最初第三次産業革命の定義が無いと聞いて不安でしたが、要素技術がコンピュータと分かって面白くなってきましたね!コンピュータと機械(産業革命)の関係性が少しハッキリしたような気がしてきました!

 あとここまで調べてみて、第三次産業革命の主要地域はもしかしたら日本なのではないかと思ってきました。日本では高度経済成長と呼ばれていますが、第一次のイギリス・第二次のアメリカ・ドイツなど、新たな技術革新の波を掴んで産業化を推進した国が生産性(≒GDP)を爆上げし、世界トップに上り詰める流れが産業革命だとすれば、日本の高度成長期の爆上がりも十分に第三次産業革命の推進国と言って良い伸び方だと思います。

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 要素技術がコンピュータという点でも、富士通・東芝・NEC・日立などの大手日系IT企業が台頭した理由として説明がつきます。年代も合致しますし、GDP曲線の角度で見ても第一次・第二次の角度に十分に匹敵しています。というわけで次回は、日本の高度経済成長をコンピュータと機械の発展を軸に辿ってみたいと思います。

ではまた(^-^)

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