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【南の島で過ごした日々】突然、過去の旅の場面や瞬間を思い出す④

私が18年も前に住み着いたタイの南の小さな島
私は、その島の地に始めて足を付けた瞬間、
まさに、ビビビと運命を感じ、予定を変更して住み着いた

その島はとても小さい
世界中から美しい海を求める人
多忙から逃れてのんびりしている人
世界中から集まった人たち、本当に多国籍
当時はまだ「秘島」と言えるギリギリ最後のほう、くらいだったのかな
(直後からは、すっかりリゾート地と化す…)

毎日きれいな海で泳げることが嬉しくて嬉しくて
これが人生で私の一番求めること、一番幸せなこと
毎日毎日、飽きずにいくつかのビーチへ通った
特に気に入ったビーチは片道1時間半位、
海を横目に山を超えていくのだけど、
2時間位なら徒歩圏と思うくらい元々歩くのは好きだし
島の自然の道中は全く苦にならないどころか、
暑くても木々が日除けになってくれたり、緑、潮の香りが幸せで
光、土の感触など、ジャングルの自然を堪能したり、
道中で顔見知りの人たちと交流したり果物や食べ物をもらったり
どの瞬間もとっても楽しかった

小さな島だから長期滞在していれば皆が知り合いになる
日本のように噂話や影でこっそり詮索、情報収集するようなこともなくカラッとしてた
その人のその人らしさを認めてほどよい距離感
会えば笑顔でそれぞれの国の言葉で挨拶をしたり
相手に興味を持ち尊重し、適度な距離とスペースを保ちながらの交流

顔見知りでなくても、お店の人とも誰とでも笑い合い軽い挨拶をする
もし今、私の暮らす日本の都会でそれをしたら気味悪がられるか無視される
実際、
私は帰国してしばらくは癖で、スーパーの店員さんでも、道行く人とも目があえば、つい笑いかけたり、How're you doing?とか言っちゃって気味悪がられたもんだ
買い物をして「ありがとうございました」とマニュアル的に言われても「マイペンライ」(タイ語)と自動反応しちゃったりw

世界一周から帰った友達も同じような事をしてたけど、
彼女は無視する人のほうを堂々と気味悪がっていたな
(うん、私は友達のほうに共感ヨ)

他にも訪れてきたいくつかの国は、知らない人でも至近距離に人がいれば、何か話しかける事が礼儀というか常識のようで、相手を知っていようがいまいが、天気の話でも時事的な世間話でも、初対面でいきなり個人的な話だってさらっと話す

日本でもたまに地方の方に行くと朗らかなおじいさんが自転車に乗って陽気に話しかけてくれたりするとハッピーな気持ちになって肩の力がゆるむような感じ
ああいうの、うれしくて好き

島滞在が長くなってくると、
私は水着に布一枚で暮らしはじめるようになった
食事も地元の男の子がカニや魚をとってその場で料理してもらったものを皆で食べたり、
そこらじゅうになっている南国フルーツをもいだり、
近所の仲良しさんたちが「余ったから」とくれる美味しいローカルご飯を、しょっちゅうもらい(時々辛すぎてヒーヒー言いながら)、
夜に音楽聴いて踊りに遊びに行くと、友達が働いているところではお酒もごちそうしてもらったり

時々、目の前でココナッツが落ちた時はヒヤッとしたけど
(あたって死ぬ人も多い…)
落ちたてココナッツを持ち帰り、
立派なナイフを持つアメリカ人のご近所さんと、
石とナイフで割って「すごくフレッシュで美味しいね!」とシェアしたりも楽しかった

ついには当時恋仲になった人の家で一緒に暮らすことになり、
ほとんどお金を使わない暮らしになった
もちろんTVもネットもみない、当時はスマホも持っていない
まさに晴耕雨読の日々
住んでたところが山の中腹、高台で大海原を見渡せるのでハンモックに揺られながら、台風の時の嵐の様子をずっと眺めたり、日々変化する海の様子は本当に飽きなかった、美しかった
ただただ音楽を聴きながら、時には波の音だけで、夜はキャンドルの炎と海をみつめる
満月の日に裸で海に浮かんで月光浴をしたり、
大好きな海と森と自然と夕日
生きてる!という充実感
すごく健全で健康!!!
理想的な日々を生きた
こんな開放的な暮らしを日本では、世界の他では、どこでできるのだろう?と考えていた
そして、できればもうこのまま俗社会からも、過去の日本での暮らしからも全てきっちりと離れてしまいたいと真剣に思っていた

ある日、島で日本人のおじさんに会った
私が泳いで岩場の近くに寄った時に、釣りをしていたそのおじさんと会話した
前からいつも釣りしている人がいるな、と思っていたけどもう現地人にしか見えなくてまさか日本人とは思わなかったw
おじさんは、この島で10万円で土地付きの掘っ建て小屋を買い、釣りをして魚をとって食べて暮らしてるって言ってた
「10万円で小屋と土地?!え、じゃあ私も買おうかな」と話したくらい
そのおじさんは「もう日本には帰りたくない、正確にいうと日本社会に戻りたくない」と…
激しく同意、という感じであった…

「本当にもう帰りたくない」と思いながら島ライフを満喫していた
(帰国の日までもそう思って…帰りの航空券も2枚破り捨てたし…)
ある日、不本意ながらついに帰国することになって
世俗から離れ過ぎた私は、社会復帰はもう無理なんじゃないか…と思ったが、そんなことはなかった…3日後には紹介された事務の仕事を始めていた…「なんだよ、私は結局日本の都会に順応するのかよ…」と落ち込んだもんだ
久々に会う日本の友達は待ち合わせしても「外国人かと思ったw」と素通りするくらい私は黒かったし、しばらくは浦島太郎のような日々で話もちんぷんかんぷんばかり
島暮らしを強烈に恋しく思いながら、その極端さに打ちのめされそうだった(だから4ヶ月後にはまた戻ってた)
やはり、
今振り返っても、社会には戻らないほうがよかったんだと思うワ

今も、
この世界にうちのめされそう…

いつも正直にいたい
けれど、正直に生きることや表現、
自由がどんどん奪われていき、理不尽な事がまかり通る
その異常な状況に、蓋をする、無関心、沈黙して傍観し麻痺していく…

日本で友達だと思っていたほとんどの人もそうだった
真剣に話をしてもスルーするか小馬鹿にする旧友さえいて、
今かえって未練なく切り替えられたように思う

どんな状況になっても、私は開き直りをバネにして
私らしく生きることは諦めないつもり
もし私らしく生きられないんなら、尊厳を守るほうを選びたいって思ってる

この島での日々は、今振り返っても、私の喜びの象徴であり、
原点のような日々かもしれない

だから喜びと共に生きるってなんだっけ?っていう今はどんどん思い出したいって思ってる

過去の素晴らしき旅を振り返ろうって思う

時系列で振り返るのは苦手だが
また思い出したらどんどん記録しておこう
だってこの気持ちや波動を忘れたくないし諦めない

過去をなぞることはできないけど
また新しい私の旅や生き方、人生の素晴らしき時間をつくっていく


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