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いつのまにか変更されていた生き方スタンス

いろいろ振り返る時期が続いている。
後から読み返すぞ、の備忘録も続く。

たぶん、私は15歳から20代後半までは、
「人生は楽しい、無限の可能性がある、こわいものはない」
みたいなスタンスで生きていたと思う。

今は、その時の心持ちと、全然違う、ほんとに。

14歳までは残念な環境にいたが、
なぜか「本当の私の人生はまだこれから、ここは本当の居場所ではない、このままでは終わらないぞ」と、強い希望があった。
(実際そうだった)
苦しい中でもまだ世界について知らないことばかりで、
希望前提で想像力を働かせ、日々、必死だったように思う。
「それでいいのだ、その調子だ、がんばれ」と、
その当時の自分を励ましたい気持ち。

実際、学校や家庭以外で、趣味の世界が広がると、
人間関係が広がり、行動範囲が広がるほど、縁が縁を呼んで楽しい展開が続いていった。
めくるめく愉快な人生。
遠慮なく存分に味わう。
「好奇心」がガソリンのように、
躊躇なく、時々躊躇しても、まずはやってみる、行ってみる。
当時、インターネットなぞ便利な事前調査ができないということが、
ある意味、勇気を奮い立たせ、世界を面白くさせていたようにも思う。
やってみるしかない、行ってみるしかないのだもの。

海外旅も、初期のころは宿の予約もせず行ったこともない国や地域に行き、
片手にはガイドブックの宿一覧の切り抜きを持って現地で交渉。
こんなスタイルは今じゃちょっとない、ネットで最初の日の宿は予約していく。なんだか昔を思いだすとつまんないなぁとちょっと悲しくもある。

もちろんネットありきの現代でも、自分の在り方、考え方、選択や行動でいくらでも展開していくのだろうけど、
やっぱり管理や監視が強化された現代の不自由さ、というのは感じる。

私は勢いよく人生を冒険、探検のようにエンジョイしていたはずが、
だんだんと経験や知識が蓄積され、
ショックなことがトラウマ的にこびりつき、
精神的に落ち込む期間が長引き、体調を崩し、
怒りと恐れを予想以上にため込んで、
問題や不安解消を優先してしまうようになったっぽい。

環境の影響は強固で、毎日考えていることが現実となっていく、
そして、望むと望まざるとかかわらず、
いつのまにか「習慣」となったものは、
もともとの気質や、過去に常識だったことすら塗り替えてしまう。
まずいぞ、と気づいた時に、望む方へ修正や更新しようとも難儀である。

すっかり不安動機がデフォルトになってしもうた私は、
すごく付き合いにくい人になったと思う。。
昔の対人関係、人との関わり方が、今は様変わり。
二十歳前位のエネルギー最高潮の私を知っている夫も、
当時の私の勢いや性格と今ではかなり変化していると言うし、
私も本当にそう思う。
私自身もあまり人と会いたい気持ちが減っていき、
話す前から理解しあうことも諦め、話しだせばうんちくが多く、
本当に話したい人とリアルではなかなか出会えなくなった。
ある時期から海外だと、話が合う人が多く、
2020年までは可能な限り海外にいたけど、
今はいろんな理由で海外渡航できないことで鬱々とし、
不安動機、問題解決フォーカスのスタンスに拍車をかけたようす。

気難しくなっていった私の態度で傷つけたり、嫌な思いをさせた人もいるだろうなぁ、と反省し、振り返る作業はキツイものがあるけど、今後のために必要なのだろう(反省を飛び越えて自己嫌悪になりすぎないように)

本来の自分と思える軽やかな調子になる気質みたいなものをしっかり思い出していきたい。
太陽に向かって咲く堂々として豪快なひまわりのように。

そして、私のようなタイプは特に、体を動かすよりも思考することが上回ると、バランスを崩していくのだと何度も確認してきた。
最近、これをまた実感したのは新習慣ができたから。

遠くから引っ越してきて1年以上、今いるところは、もともと一時的な拠点と思っていた。
が、なかなか予想外展開が続き動けず、
今いる場所がいやでいやで仕方なかった。
隣近所の香害があり今の物件自体は早く出たいことや、
個人経営の素敵なお店や健康的な食材が入手困難なのは今も困るけど、
他もすべて減点法ばかりでストレスばかりがたまっていく。
しかし、
エリアとしては街、海、山のバランスが絶妙である。
そもそも、
歩いて海に行けることは私の夢の1つだったので、叶ったじゃないか。

どのみち今ここにいるのなら、
旅行者が滞在するような気分でこの地域を捉えて楽しんでみよう、
もっと知ってみよう、
できれば自然へ、
と山歩きを始めた。
山歩きというほどではないな、ハイキング、軽登山。
このあたりは低山が多く、登山口がたくさんある。
電車を使うけど玄関から30分後には自然豊かな山や森の中にいられる。

午後3時位に出発しても十分ハイキングが楽しめる

なぜもっと早くこれをしなかったんだ、、と思ったが、
過去のことについて、すべき反省をしたら、振り返りすぎずに今この新習慣を満喫しようとおもう。

何より海が大好きで、
そして渓谷と森も大好きで「平坦」な道ならいくらでも歩ける私であるが、「山歩き」だけは避けてきた。
登るというのが本当にいやでいやで仕方ないのだ。
子供のころも坂の多いところ、その後住んできたところも坂が多くてうんざりしてきて、自転車も乗らなくなっていたし、
とにかく、登っていかねばならない坂や階段や山道を目の前にすると、
どうしたら回避できるか、を考えてしまう。

出かけた先で、展望台などへ夫に誘われても、
「行ってきていいよ、写真撮ってきて」と返すことしばしば。
(それでも登る苦労の価値ある絶景と思えば行くけれど)

そんな私が一人でハイキングコースをぐんぐん登っていくのは自分でも驚く。夫も驚きながら喜んでおる。

登ってみると、すっかり体力が落ちていて、
これくらいは大丈夫だろうと予想するもきつく、
休憩場所がない時に疲れれば、山道の途中の木につかまって休んだり、
時にロッククライミング状態になったり、
下り坂で足がガクガクしたり、
道を外れて遭難しかけたり、なんとも飽きないエクスプロールの軽登山。
そして、下山したその足で海岸でビールを飲めたりする。
素晴らしい。

緑豊かな山を進んで、パッと開けた景色に大海原、などは最高。

この地域ならではの絶妙なバランスを、いる間は楽しめるのは良かね。
そして人生の定義を創造的に、冒険のように人生を楽しむスタンスで新たな地へ進む。

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