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私は、いつから不安を動機に生きていたんだろう

特にこの数年、私はいつも心配したり、怒ってばかりで、
ストレスで体調不良~体調不良でストレス~の堂々めぐり。。

不安対策やリスク回避に多くの労力と時間を使い、
思い通りにならないことにイライラし、
辛さにフォーカスし、
人生の流れも人も何もかも信用できず、
不満や不安のループ状態…

なんとかしよう、ここから抜け出したいという不安と焦りモードでなく、
望む振動数に今すぐに設定する、
とにかくまずは安心することだわ、
と思っても、朝起きた瞬間から憂鬱モードでスタート。。
(無意識というか自動運転というか)

私は、いつからどれだけ不安を動機に生きていたんだろう?
ある日、この問いを自分に向けた時、
本質や本来の気質のようなものを見失って久しいわ、と驚き、反省した。

周囲もどんどん扱いづらいと思っただろうに、、すまん。
自分も周りも苦しめるような不本意なパターンを気づかずにやっていたんだ、、と思って思い出したのが、
前に書いた反面教師となった叔母の話

センス抜群で明るかった叔母が、
歳を取るごとに卑屈に閉鎖的になり、娘に依存し、創造性より不安からの選択ばかりとなり、何にでも文句と否定、夫と娘以外の人に会わず、ついに病気になり引きこもりになり、、
「あぁ好きだったオシャレ番長の叔母が反面教師に…」と、
悲しく思ったけれど、
今の私はわりと似た経路を進んでしまっているような気がして、
ハッとした(ゾッとした、に近かったりして…)

自分のやりたいことをしない、
表現をしない、
好奇心を無視し続けると、
どんどん内にこもっていってしまう。
いろいろなことに損得勘定が生まれ、
無駄を省こうとし、義務をこなすばかり。
無駄なことこそ素敵なきっかけになることもあるというのにさ。

生きていると様々に刷り込みがあり、トラウマがうまれ…
それらを振り払えずに、望まぬ現実を作ることが多いように思う。

小さいころから、自分の感覚と希望を軸にし、
個性や独創性を育ててもらえる環境はどのくらいあるだろう?
特に日本では、ルールや協調性を優先させた教育や、
同調圧力が当たりまえみたいになっていて
(当たりまえすぎて苦しさに気づかず抑圧とか)
リスク回避や自分を抑えるということが当たりまえになってしまっているような?

将来のため、と、呪いのように本人の希望や個性よりも手堅さ(幻想)を選ばせ準備させようとする。
失敗でも体験して学ぶ、よりも失敗や問題回避を選ばせる。
検診だの予防接種だの、何も症状がないのに、まるで病気を作りましょうとばかりに不安を煽るような世の風潮とかもね。
また文句みたいになっているけど、、
望まぬものに巻かれぬように観察はしっかりしたい、というのはある。

事実、時代が進むごとに、不自由さが増しているような気がする。
最強とも思える90年代、
高校生でも夜遊びしていたし、様々にやんちゃなことをしていた。
特に私の高校は自由奔放なところで面白い人が集まり、
教師も寛容で生徒を管理しようとせず、個性を尊重するありがたい学校だったと思う。
私服で都心だから、前夜に遊びに行って朝そのまま学校へ行って寝ていた、とかも。
教室には個性あふれる生徒たち、ギターを弾く人、サーフボードやスケボーがそこら中にたてかけてあったり、
私服だというのに制服を着てくるギャル(ルーズソックスブーム時)
芸能人も多かったけど特別視せず皆のびのびしてた。
(卒業させようと協力してくれる学校だから多忙な人や交流苦手な人、どんな人にも良い学校なんだな)
ホント、あの高校に入れたことで個性をつぶさなくていいんだ、と思えた、
中学までの暴力環境や抑圧が解放された、
私の人生の中でもとてもありがたいラッキーなことの1つ。

自由、ということは大きな可能性につながるんだな、
とあの時代を振り返って思う。

そして、あの頃と違い、
現代はインターネット、スマホは不可欠で、
もうスマホなんて持ちたくない、と思っても、
持たないと多くの場所で想像以上の負担があるのだ。
(LINEをやっていないだけでも制限がとても多い)
スマホがないと社会的な手続きすら面倒になっているけど、デジタル後進国日本、問題は山積みというしまつ。
これは便利どころか、管理され不自由になるばかりでは、と思う。

昔は、新月や満月だから〇〇しなきゃ等、
気分や調子より外側の条件で何かを決める、行動しようとしていた。
しかし、、、
実際に自分の体感や直感、感覚で生きることのほうがシンプルに健やかで幸せなのだと思う。
過去に、のびのびしていたそういう時期を振り返ると確信するし。
人それぞれのペースや感覚がある。
何か大きな迷いや問題があったときに、データや暦や過去を参考にすることもあるけど、
外的な事を理由に、不安から派生するような対策は、
楽しめる時間を無駄にしちゃうというか、
自分や人生の流れを信じることを鈍らせるような?!
だって、創造的なことをしたいのだから。
もっと流れを信じてゆだねるほうを。
思考過剰でどんどん苦しくなる人生はもうやめたほうがいい。

とにかく「条件付け」や「焦りや不安」があったら疑う、
手放すことなのだろうね。
周波数、振動数を望むところに設定することが大事!というのは納得。
癖や刷り込みで不安になってもその場でキャンセル、その都度、消す、
望む方に上書き更新する、
今この瞬間に自分の気が楽になるほうをしたり、
良い気分や機嫌よく在ること。
いつでも別の世界へパラレルシフトできる、どっちを選んでも大きな問題はない、とすら思っておいたほうがいいわ、私は。

何より、機嫌をよくしておくことは自分にも周囲にも未来にも良い。

人間関係も、
もう少し鷹揚にユーモアとともに、気楽に正直に。
歳をとるほど、なんだか偏屈になってしまっていたのだよな。。

もともと私はコミュニケーションがそれほどうまくないと思う。
そうは見えないと思われるのがまたストレスだったり。
あきらかに合わない人は別として、人との会話は途切れずできるけど、
本音でのやりとりというか、本当に伝えたいことは難しいと思うことがある。本当に話したいことを話せる人も少ない、、

だからよく海外に行っていたんだなぁ。
とにかく素敵な出会いや学びがうれしかった。

最近の課題は、人に何か言いたい時は自分のエゴか、もしくは相手と自分のためになるかを見間違えないようにしないとな、ということもあるし、
相手の表現に本心が現れないこともある、寛容さや隙間みたいなものを持つこと。

最近、これまで感じてきた「ここから先はどうしても無理」と思えた壁のようなものが崩壊してきた感じがする。
ホメオパシー、大きな星回りの変化(ジュピターリターンだよ、今年!)、視点切り替えの助けになった何人かの本や動画や考察、パートナーの愛情や、友人の存在など、相乗効果、総合的な影響で変化してきたのかもしれない。

感謝や喜びは、気づこうと思えば、本当に近くにたくさんある。
減点主義より加点主義!

矛盾があってもそれが人間、いろんな感情や体験をしたくて生まれてきたのかも。

ちょっとやりたいことを心配せずどんどん楽しんでやっていこう、
って思えてきた感じ◎

問題解決やリスク回避に時間や労力を使うよりも、
創造的なことにどんどんエネルギーを使いたい。

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