マガジンのカバー画像

#余白 #ひと休み

31
深呼吸。
運営しているクリエイター

#毎日note

手は抜かないけど、肩の力は抜く

仕事の自分も、noteで文章を書く自分も、“肩の力は抜いても手は抜かない”自分でありたい。 仕事については、「仕事」という性質上手を抜きづらい気がするけれど、noteで文章を書くことは仕事ではなく「趣味」に近いので、肩の力も手も抜けがちだ。 そう思うと肩の力は抜けるけれど、手を抜いてはいけない。 noteで書く文章は、クライアントや編集者に提出するものではないので、「一体何に対して手を抜いてはいけないのか」と思ったりするけれど、自分に対してかな、と思う。 好きなように

「そのレザージャケット、お似合いですね」から、スタバのホスピタリティを考察してみた

最近ワケあってスタバに行く機会が多いのだが、スタバと言えばそのホスピタリティがよく注目される。 カップに書かれたメッセージ、接客時のコミュニケーション、SNSにもよくその様子が投稿されたりしている。 あいにく自分にはそれらの経験がなく、どこかレアな経験と思っていたのだが、ついに今日、スタバのホスピタリティなるものを体験した。 注文後、店員さんがレジを打っている最中にさらっと、 「レザージャケット、お似合いですね」 と言ってきたのだ。 「これが噂のスタバのホスピタリ

最近、小説を読む気になれない

「趣味はなんですか?」と聞かれれば、たいてい「小説を読むこと」と答えていたけれど、どうもそれが難しくなってきた。 かれこれ半年くらい全く小説を読んでいない。 どれだけ日々忙しなく過ごしていても、小説を読んでいる時間は特別で、心身ともにリラックスできる数少ないひと時だった。 ただ、最近は小説を読む時間が「もったいない」と感じている自分がいる。 自分は、読み始めたらそのまま最後まで読んでしまいたい人だから、一冊読もうと思ったら、少なくとも2時間程度は必要になる。 その2

やっぱり、「笑顔」ってステキだ

公私問わず、これまで様々なシチュエーションで、様々な人に会い、「初対面」というものを経験してきた。 学校のクラス替え、テニスのコーチや塾の先生、面接(される方もする方も)、商談(される方もする方も)、マッチングアプリ...、思い返せば様々な「初対面」があった。 初対面の方にピンとくるとは… について書いていただきたいです。就職活動やお偉いさんにお会いする時のような、なかなかド正直では居ることの出来ない状況で、相手が自分にピンとくるとは何なのでしょうか。 宜しくお願い致しま

あえて同じ本を2回読んでみることにした

しばらくビジネス書や自己啓発系の本からは離れていたのだが、最近どうしても必要なインプットがあって、本を購入しようとしていた。 本屋に行ったけど、やっぱりやめた。 どうせ読んでも、読んだだけで満足しそうな気がしたし、今まで似たような本を読んだことある気がしたし、今の自分に必要なのは新たなインプットではない気がしてしまった。 どうして、同じ本を何度も読むことに抵抗を感じるのだろう。 受験生の時は、単語帳や参考書を紙に指の汚れがつくまで、何度も何度も繰り返しやっていたのに。

気づけば木曜日だし、気づけば夏が終わっていた

毎週、ふと「何曜日だっけ?」と思うとだいたい木曜日だし、毎年「今年の夏ももう終わりか」と、決まって夏の終わりに今年の終わりを感じている。 「ああ、こうやって年取って、人生終わっていくんだな」 時の流れの速さを何となく「人生」で表したくなってしまう、今年ももうそんな季節。 年末の誓い、年始の決意、新生活への期待、夏の始まりに寄せた希望、それらはもうどこかへ置いてきてしまった。 年末年始に一生懸命立てた目標や計画、それらが何だったかすら憶えていない。 すっかり慣れた新生

「もう少し時間があれば」と思っている時が、一番ちょうど良いのかも

案外、「もう少し時間が欲しいな」と思っている時が一番ちょうど良いのかもしれない。 日々忙しなく過ごし「もう少し時間があれば」と思っている時ほど、時間を大切にできる気がするし、いざ時間ができた時に有意義に過ごせそうな気がする。 反面、自由に使える時間が多いと、次第に時間の貴重さが薄れてくるし、時間があればあるほど余計なことを考えてしまい行動できなくなる。 あれだけ「時間が欲しい」と願っていたはずなのに。 いざ「余白」を手にすると、持て余してしまう。 「余白」がメインに

「私ごとで恐縮」なんてことはない

(※呑みながら) 「私ごとで恐縮ですが、」をSNSで頻繁に目にするようになると、大人になったことを実感する。 大人になるってこういうことだぞ、と高校生や大学生にドヤ顔で伝えたい。 「私ごとで恐縮ですが、」から始まる文章を見る度に、「昔から“私ごと”しか投稿してないじゃん、てか、SNSってそういうものじゃん。“私ごと”で溢れてるのがSNSの本来の姿じゃん。」と思う。 実際、それを言ったら変なやつ扱いされることは間違いないのだけれど、私ごと極まりないコンテンツで溢れていた

親友とはいつまで経っても親友なんだよな

年齢を重ねても、昔と変わらず定期的に会ったりするのが親友だとしたら、ぼくに親友はいない。 「親友」や「ズッ友」(死語だと思うけど)と形容された当時の関係は、卒業、就職、転勤、結婚とライフステージや環境の変化に伴って、希薄になり、徐々にフェードアウトしていく。 学生時代から働いていたこともあって、中高時代の同級生とはすっかり疎遠になってしまった。 年に1回会うか会わないかといった友人がいるくらいで、「最近どう?」から始まる会話だけで気づけば2時間経っているのが当たり前。

「よはく」の難しさ

何の心配ごとも気がかりなこともなく、まっさらな気持ちで過ごせた休日。 最後にそんな休日を過ごしたのはいつだろうか。 仕事のこと、家族のこと、人間関係のこと、そんなあれこれが常に頭の片隅にあると、体は休めていても心が休まらない。 そうと分かっていても、「心を休め、余白をつくること」は難しくて、脳内では過去の後悔や未来への不安ばかりが目立ってしまう。たとえそれがほんの少しの割合でも。 片付いていない仕事、返さなきゃいけないメール、追いつかない数字、進展のない二人の関係、そ

眠れない週末

眠れない。 いたずらに時間が過ぎていくのを、布団の冷たいところを足で探しながらただただ感じている。 眠れないのはどうしてだろう。 さっきまでブルーライトを浴びていたからなのか、今日はあまり疲れていないからなのか、それとも、何かやり残したことがあるからなのか。 眠れない時に限って、頭の中は忙しい。 日中頭を悩ませていた問題の解決策が思い付いたり、新しいアイデアが思い浮かんだりする。目を背けている何かに憂うこともある。 そうして冴え渡って、ますます眠れなくなる。 大

週末の小さな決意

やりたいことが無いなら、何でもまずやってみれば良い。 「千里の道も一歩から」 古の教えを、そう解釈してみた金曜日。 良い週末の命運は金曜日にかかっているかもしれないと思うと、何だかそわそわする。 さて、「何でも」と言っても何をしよう。 せっかくなら、今までやったことのないことをやってみるのはどうだろうか。 例えば、食べたことのないものを食べてみるとか、降りたことのない駅で降りてみるとか、ほしい物リストの一番下にある商品を買ってみるとか、何でも良い。 「そういえば

目まぐるしい日々に1冊の小説を

目まぐるしい日々を送っていると、ゆったりとした時間が恋しくなるし、ゆったりとした日々を送っていると、目まぐるしく過ごす時間が恋しくなる。 ないものねだりな僕らは、そうやって人生のバランスを取っている。 週5日以上働いて、週2日以下休む。 1週間はあっという間で、平日忙しなく働くと、休日はゆったりと過ごしたくなる。 けれど、家で何もせずぼっーとしていても、ネットサーフィンや動画鑑賞をしていても、物理的にはゆったりしているはずなのに、不思議と残るのは虚無感だけだ。 一応

好きなことでもサボりたい時はある

「へー、読書が趣味なんですね!」 「最近も何か読まれたんですか?」 「いや、実は最近全然読んでなくて...。」 趣味ってこんなもんだよな、とふと思う。 趣味だからといって時間の許す限りそれをするわけではないし、いわゆる「好きなこと」にも熱量の波やモチベーションの浮き沈みはある。 本当にずっとやっていられる趣味や好きなこと、というのはごく稀なように思う。 「好きなこと」と聞くと、ずっとやっていられるイメージを持つし、一生飽きない気がするし、それを仕事にできたら最高なの