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前半の4段階は以前の記事でご紹介したので
今回は後半の5〜8段階目。
前半の4段階は、体の動きを通じて感じていくもの実践しやすいけれど
後半は、意識の動きになるので
ヨガが深まってからでないと難しい。
そして、8段階目に到達したとしても
そこに留まれるわけではない。
諸行無常、ゴールに執着せずに
いつでもゴールにたどり着けるように道を覚えておくこと、いつも同じパターンではなく違う道も探していく勇気も必要である。

▷▷
第5段階目はプラティヤハーラ(捨象)
キリスト教の『悔い改めるrepent』という意味と同じで、帰ること、戻ってくること。
内に入ること、帰宅。
あなたは自分への帰り道を知っている。
怒り、嫉妬、所有欲などココロが自分から遠く離れていることに気づき
慈しみ、祈り、感謝へ、我が家に戻ってくることができるのだ。

瞑想中に、救急車のサイレンに意識を引きづられても、瞬時に静かな自分の中心へと戻ってこられるように
ココロの動きをコントロールする。
マインドが揺れるのは、仕方がない
そこから揺れを小さくしていき、中心を探していくのだ。

第6段階目はダラーナ(集中)
プラティヤハーラが、あなたを入り口の近くまで連れてくる。
ココロをひとつの対象に向けることができるようになる。もっと自分の奥へと進んでいく。
自分の意識を方向づけ、あちこち行くことを許されない。
意識を一点に集めると、思考が止まる。

子どもが積み木遊びに夢中(集中)になっている時、大人が声をかけても聞こえていない。
意識が積み木へと1点に集まっていて、その他五感がシャットアウトされている状態。
過去の後悔も、未来の不安も頭の中にはない。
『いま』だけを見つめている瞬間。

第7段階目はディアーナ(主観、黙想)
あなたは一点に集まった集中から、あなたが中心に据わって対象がなくなる。
あなた1人がいて、純粋な主観だけ。
ほかにはだれもいない、すべてが落ちているが
眠りには落ちていない。
まだ『私』という感触がまとわりついている。
『そこにある、私がある』だけで自我は存在していない。

集中していた対象物や、感覚が自分の一部になる。自分の手が操作しているようで、自分の中のもう1人の自分の存在が操作しているような。何かに動かされている瞬間。
理解や、経験からの脳ミソでのコントロールとは別もので、不思議な感覚だ。
その段階から、現実世界へ引き戻されると
時間感覚もないので、一瞬だったのか長い時間だったのか少し混乱するかもしれない。

第8段階目はサマーディ(歓喜、悟り)
私がある、ことさえない。
あなたはあるが、それを考えない、感じない。
サマーディにある人は神だ、もはやこの世界のものではない。
達成、第1段回目から1つ1つ橋を渡りは戻り、あなたは自分を見守り理解してきた。
内なる旅をしていく中で、自分自身を愛して制御できるようになった。
今やすべてが解決されたことを意味する。
欲望はない、あなたは我が家へと帰り着いたのだ。

実は、これだ!という瞬間を未だ味わっていない気がする。
もしかしたら気がつかないだけで
本当は到達していたかもしれない。
ヨガレッスンの後の穏やかな心、スッキリとした体の感覚、頭の中が静寂になった様子
これで十分だ。と思ってしまう自分がいる。
『どうしても、悟りたい!味わいたい!』と8段階目に執着することは本質から離れていくので、いつか悟り。という神的な意識に導かれるための準備はしておこう。
そのための日々のヨガの実践。

5000年前から伝承されているヨガの知恵
経典には難しい言葉で、解釈が難しく書かれているけれど
ザックリ私の経験をもとに、まとめてみました。
これが全てではなく、あなた自身が感じたこと気がついたことが、あなたにとってのヨガ。
今日も皆さまにとって、素晴らしい1日になりますように。

シャンティ

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