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似て非なる「普通」と「同調意識」

こんにちは。TechArtIdeaのYo-yohです。

今回は、身の周りで言われる「普通」という言葉について、感じることをおお話しします。


人は、環境の子。

「人は環境の子」という言葉があります。私たちが言葉を話し、文字も書けるのは、周りにことばを話す人がいて、文字に囲まれて、教育を受けているからです。

少し大げさな捉え方をすれば、活きる上のスキルと思考判断基準は育った環境にいくらか影響されます。

そして、自分が経てきた環境が多い程、多面的な考えを普段から考えられるようになるのでしょう。一つの環境に依存していると、たとえネット等々発達した現在でも視野は狭くなりがちです。

学生時代に”留学はいいぞ!”と言われるのはこれが理由なのでしょう。インターンでもいいと思います。私は時々仕事で海外に滞在しますが、驚くことも多いですし、人生観が変わります。野良の動物が駆けまわっていたり、スラム近辺を通りかかると、テクノロジーと経済に守られた日本の暮らしはとても平穏に思います。

ニセモノの「普通」

あなたの周りには、やたら「普通」を主張してくる人はいませんか?両親・親族だったり、近所の人だったり、友達だったり。。。

信頼している人であれば問題ないですが、他人から普通を主張されたら、一度疑ってみたほうが良いです。

日本は特に言われますが、データに基づいた"普通"とはかけ離れた「同調意識」である可能性があるためです。

人は不安になると安心を求めますが、その際に「近場の人と同じであろうとすること」に感化される傾向があります。それが世間一般、グローバル一般と一致していればよいですが、外れていればあなたの足を引きずっているだけかもしれません。

人は異物を嫌います。本来尊重され希少である多様性すら、異端として可能性ごと排除することもしばしば。

赤信号、みんなで渡れば怖くない、とはよく言い現わしたものです。


コロナで外出自粛の恐怖や気のゆるみだったり、自粛警察という名の迷惑行為だったりと、人は非科学的・非統計的に「偽物の普通」を作り出し暴走させることができます。正直検査や感染者数の公表は心理戦的な要素が強く、数値を正確に出すことよりも、人々の心理を調整する意味合いが強いように感じます。


世の中が不安定になると「普通」を正しく見つめることが難しくなってきます。今一度、あなたの周りの普通が「同調意識」なのではないか?それが本当に正しいのか?について見直してみるとよいと思います。

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