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【小説】蓮が咲く13

 
【十三】
 
 
都心から外れた郊外。雑木林の一角を開けた土地にして建つ一軒家があった。
その家の中では、一人の男が眠りに就こうとしていた。男は生命維持装置に繋がれ、首や手足は自分で動かすことはほぼできない状態だった。
母親が機器の数値などを確認し、青年に寝冷えしないよう布団をかけると額にキスをして部屋を出て行った。
月明りだけがカーテンの隙間から漏れていた。
静寂の中で、静かに部屋のドアが開いた。
「誰だ?」
 動かせる眼球をドアの方に動かして男は言った。
「昼間、“本体”からの信号が途絶えた。来るとは思っていたよ」
 男は暗闇に向かって一方的に話した。
「警察か? それとも機動隊か? いや、軍の特殊部隊か?」
「一つ聞きたいことがある」
 暗闇の中で若い女の声がした。
「どんな命を生み出そうが絶とうが、本人やその親に決める権利がある。法はともかくな。例えば中絶を止められた妊婦でも、列車の近づく踏切に身を投げれば、自分も死ぬが自分の意志でお腹の子供を殺せる。踏切をくぐり歩を進める権利は本人にあるし、本人の意思で可能だ。それと同様、生きるも死ぬも、生かそうとするも死ぬことを願うも、本人の意思に左右される。それを生かそうと選択した人のための場所もある。お前はなぜそこに余計な考えでこうした行動を起こしてきた?」
女は、自分が話す時は早口だったが、男の返答を待ち、最後まで話し終えるのを毎回じっと待った。
「生産性のない者を生かす意味がないからだ。労働環境や賃金が改善されないのは、社会の余計なお荷物のせいだからだ」
男は淡々と、ゆっくりと、周りにくくなった呂律を丁寧に動かし、静かに答えた。静かに、といっても、彼の声帯の限界でもあったが。
「お前は神じゃない。国家元首でもない。ただの一日本人だ。他人の人生に干渉する権利はない」
「だが、ここまで人の心を操り、ハッキングや遠隔操作に長けた存在は私くらいだ」
「それを他の能力に使ってくれればな……。ここまでの能力を持った上でそこまで考えているなら、お前自身が政治家にでもなればいい。障害のある議員も実際にいる」
「フン、ばかばかしい。俺の最終目標は、障害者の絶滅だ。議員になることでも、なんでもない」
「それを実現して、自分自身はどうするつもりだったんだ?」
「“本体”を文字通り、俺自身にする……五体満足で、セックスもできる、健常者のな。お前のせいで計画は振り出しに戻ったが」
「それでも、“本体”は“こっち”だ。こっちが死ねば、アンドロイドは意味がない」
「何のためのAIだ。俺の今までの記憶、思考、健全な身体……その三つが揃った上で、新たな自分自身の未来が拓ける」
「……記憶は自己になり得んと思うがな」
 男はこの一言にむっとした。
「何を偉そうに……」
 男は途端に感情的な話し方になった。
「ある日突然、身体が動かなくなってみろ。治療法のない病気だと言われてみろ。日に日に動けなくなってみろ……。それまでの人生でやってこれなかったことはもう一生挑戦できない、周囲の目、人付き合いの変化……。俺は違う、事件で殺されたような連中と一緒じゃないんだよ。でも、誰も俺自身を見ない」
「だがな、一方で、お前はそうした存在がなければ生きられていない。怒りが活力になっていたからだ。憎むことが生きるエネルギーになっていた。もし、憎む対象がなければ、賃金改善されないのをどうするつもりでいた? お前は彼らに生かされていたんだ」
男は、女が何を言っているのか理解できなかったが、彼らに生かされていたという言葉に再びむっとした。しかし、言葉を発する前に女が再び喋り始めた。
「つまりお前は自分のコンプレックス解消に多数の他人を巻き込んだわけだな。…そこはヒトラーと同じかもしれないな。よし」
 女の声は、突然たくましくなった。
「世間がもう少し賢ければ、お前を公判に出しても良いんだが……。利用してきた世間を恨めよ」
「でも、お前は俺を殺せない。もうここに」
「来ないよ」
女は男の言葉を遮った。
「丸腰で来るわけないだろ? 来るときに、控えてる連中は先に処理した」
 男は息を飲んだ。
「大丈夫、汚れはこっちが被る。お前は少しだけ同情してもらえる被害者になれる」
「お、おい…待て…」
「もう警察が玄関をぶち破って来る。三、二、」
「や、やめろ!」
「いち」
 ガシャアン というガラスとドアをぶち破る音がしたかと思うと、何人もの靴の足音が家中で響き渡った。
「何事なの⁈」
 別の部屋では、男の母親が飛び起き、パニックになっていた。
男の部屋を開けた機動隊隊員は、周囲を警戒しながら部屋に足を踏み入れた。
ベッドの奥の床に二本の人の脚が見えた。一人の隊員が警戒しながらベッドに近付き、後に続く隊員が最初の隊員を追い越して倒れている人物に近付いた。最初の隊員がベッドを覗き込み、その横で脚の主を確認した隊員が声を上げた。
「アンドロイドです!」
 そして続けた。
「近くに小銃と薬莢を確認。容疑者は……」
 射殺されていた。
近くに倒れていたアンドロイドは、小銃を握ったままうつぶせに倒れ、ベッドの下を見つめていた。そのベッドには、頭を打ち抜かれた容疑者が横たわっていた。


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