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【小説】蓮が咲く14(完)

【十四】 

 サタケは、警視庁を訪れていた。
「やあ、久しぶりだね」
 玄関まで迎えに来ていた近藤がサタケに手を挙げて声をかけた。
「今回は何かとお世話になりました」
 サタケは頭を下げた。
「いやいや。そちらこそ、シズカが……」
 近藤の声が暗くなった。
「まあ、こうした仕事をしていると覚悟しなくちゃいけないことではあるんだがな」
 近藤は自分に言い聞かすように呟いた。
 二人は署内を移動しながら話をした。
「やはり、白鷹は解散するんですか?」
「ああ」
 近藤が前を見たまま答えた。
「でないと、“白象(ホワイトエレファント)”になりかねん。やはり、本人たちの特技に合った部署に配置して、そこで力を発揮した方が良さそうだ。今後はそうした部下を持つことになる課長や部長たちへの研修を取りまとめていかないといけなくなる――ああ、エミル」
 近藤は廊下ですれ違った女性警官に声をかけた。
「先日の報告書、助かった。……って、顔色悪いな」「あはは、大丈夫です。オンナノコのあれです、あれ」
「ああ」
 近藤は少し困惑したように頭を掻いた。
「失礼します」
 エミルと呼ばれた女性警官は、サタケの方にも頭を下げて通り過ぎて行った。最初に見た時は軍人のような歩き方をしていたが、再び歩き始めた時には軍人らしさが消えていた。
 白鷹のチームが入る部屋に着くと、近藤が訊いた。
「本当に見るだけでいいのか? 皆話ぐらい聞けるぞ、一応は」
 近藤は前回来た時のように、ドアのロックを解除して開けた。
「いえ、良いんです。見納めさせてもらえれば」
 サタケは黙々とパソコンに向かう彼らの背中を見た。
「そうだ、スミマセン、タイミングを逃しまして……」
 サタケがずっと手に持っていた手土産を近藤に渡した。
「ああ、いや、良いのに、気を使わなくても」
 紙袋の中を見て、近藤は手の平をサタケの方に向けた。
「いえいえ。それに甘いものは頭使った後に良いですし」
 サタケが言うと、部屋の中で歩き回っていた白鷹の一人が近付いてきて、紙袋の中を覗き込んだ。
 そのまま無言で紙袋を持ち、再び部屋の中に戻っていった。
「すまんね」
 近藤がやれやれと言わんばかりの表情でサタケに謝った。
「いえいえ」
 サタケが笑ってそれに応えた。
「しれっとハッキングして行動監視するよりかは、こうやって正面から来てくれる方が素直で可愛いですよ」
 近藤の笑顔が凍った。
「バレてたのか……」
 近藤は観念したように頭を掻いた。
「今後は……」
「いや」
 サタケは近藤の言葉を遮った。
「これくらいの距離感の方が良いでしょう。それぞれの組織としてね」

「これで良かったのかね」
 オフィスの屋上で、リョウが呟いた。
「何が?」
 隣にいたサエが訊いた。
「結局、大衆が右往左往して終わっただけって感じじゃないか? また似たようなことが起きたら同じことにならんかね?」
「なるかもね。でも――」
「でも?」
「だからこそ、何かが流行って経済が回って刺激が生まれる側面もあるんじゃないかな」
「要はその他大勢の一粒に成り下がってこその豊かさってことか?」
「もしそうだとしたら、私達だって、その一粒じゃない? そもそも――」
「そもそも?」
「そんなの関係なく、一人ひとりそれぞれに生きたいように生きれば、それでいいんじゃないかな」
 リョウは、一瞬、思考が止まった。サエの言葉を胸で聞いた気がした。「――それが、正論かもな」
 夕焼けが、赤く空を染めていた。
 
 リョウが屋上から戻るのを見計らって、ナギサが屋上に出た。
 出入り口のドアの音で、サエが振り返って言った。
「夕焼けがきれいですよ」
「ほんとね」
 サエの横に並んで、ナギサが言った。
「犯人は、自分のコンプレックスに勝てなかったのね」
「そういうことでしょうね」
 アンドロイドと犯人の会話は、レンの全員が聞いていた。
「プライベートと公は直結する――あなたの言葉を実感したわ。感謝してる。ただ、誰にでもコンプレックスはあるものよ。もちろん、私にも。無いのは、あなたとリョウくらいかしら」
「特に、リョウは天然で、ですもんね」
 サエが笑いながら言った。
 サエの反応をみながら話をしていたナギサが、話を切り替えた。
「ねえ、あなたの考えでいいんだけど……我々は、何に向かって生きているんだと思う?」
 サエは即答した。
「正しさ、だと思います」
ナギサは目から鱗が落ちたような表情をした後、微笑んだ。そして視線をサエから夕陽に戻してから応えた。
「なるほどね」

人は生きれば生きるほど、視野が狭くなってしまうものである。そしてそれは、情報化社会が進むと同時に触れる情報が増え、若くても年を取った場合と似たような精神環境になりやすい。そうした環境の中、新たな情報、新たな条件が暮らしに加わることで、その都度知らなかった感情が生まれ、年寄りでさえ、その都度改めて自分と向き合わねばならない。しかし、それ自体やその速さに追いつけないと、結局自分に蓋をしてしまう。では、健全に生きるためには、長寿や有益な情報までもを否定すべきなのか。

物思いにふけっていたナギサがふと目をやると、サエが刺繍の続きをしていた。
「それ、私でもできるかしら」
「できますよ。図案は印刷されてるので、隣に並べるように糸を渡すんです」
 顔を上げたサエが屈託ない笑顔で言った。
「ちょっとやってみます?」
「いいの?」
「どうぞ!」
 サエは刺繍枠をはめた布に針を刺してナギサに渡した。ナギサはそれを受け取ると、針を布から抜いた。
「まず、ここまで縫ってあるんで、次はその隣から……」
 外はもう暗くなり、オフィスの明かりは温かみを帯びていた。

 


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