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【思考転換】パラダイムシフトへの対応

久しぶりにnoteで記事を書いてみようと思う。

パラダイムシフトへの対応

与えられた問いに対する解を出す力」から、「自ら問いを立てる力」の必要性が高まっている。

大学に入学するまで、あるいは高校を卒業ふるまでにほぼ全員が「決められた問い」に対して100点を目指すべく「インプットしてきたものを最大限アウトプットすること」をしてきた。かくいう私もそうだ。
高得点を取れば取るほど学校内で「頭が良い」というレッテルが貼られ、親にも褒められる。一方点数が低い時は言うまでもない。

平均点が高ければ高いほど優秀という肩書きがつき、低ければその逆になる。
もちろん大学でも「単位」欲しさに似たようなことをしてきた人が多いと勝手ながらに思う。
しかしいざ社会に出ると、そう上手くはいかないことに気づく。

「自ら問題を設計する」フェーズへ

なぜかと言うと、「そもそも与えられる問題が何かを自分で掴めていないから」だと思っている。
「問題は与えられるもの」と思ってしまうとほぼ確実に躓く。
「数学が社会に出て何にも役に立たない」と思ってしまうのも、多分それが原因だろう。気持ちはわからなくはない。
ただ単に問題文を読み、インプットした数式をどう当てはめていくかだけで捉えることは全くもって本質的ではない。

社会に出たら、問いを解く力よりも「問いは何か」「仮説は何か」を自ら身につける力が必要になる。

これがまさにパラダイムシフトだと思う。
これまで生きてきた道とは真逆の考え方が必要とされる。
就活で躓く人が多いのはおそらくこれが1番の原因ではないかと思っている。
いざ面接に挑もうとした時に、「あれ、自分はなんでこの企業を受けているんだろうか?」という当たり前の問いにまっすぐな思いで答えられない人が多いのは、ある意味当たり前の話だ。
むしろそこに気付けない方が恐ろしいと思うべきだ。

これから自分が何をしたいか、そもそも会社に入らなければならないのか等の「未来」について考える時に必要なのは「過去から現在までの情報」、つまり「自己分析」が必要になる。

もちろん自己分析をしっかりやることに意味はある。ただ、自己「発見」程度に留まってしまうと意義が弱い。徹底的に「分析」しなければ光が見えない。

分析には「考える力」が必要

分析には「考える力」が必要だ。この「考える力」は自発的につけようと思わなければつかない。

考える力とは何か、それは自らなぜ?と問いただしロジカルに繋げることだと私は考える。

どんな些細なことにも
「なぜ?なぜ?」
と自分で問いただしていけば確実に深掘りができる。まさに研究と同じことだ。
そうした力を社会に出る前に少しでもつけておかなければもったいない。大学に行くのならその力をつけるべきだ。
今からでも遅くない。気づいた人から考える力を身につけるために自発的に「学び」を求め、より良い社会を構築していくためにみんなで協力していく風潮になることを望む。

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