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自己紹介

北海道旭川市でヨガインストラクター・ライフコーチをしている保健師ヨガコーチのAmiです。


話したかったテーマは

「自分と向き合うことについて」なのですが

私自身が

『自分とどのように向き合ってきたか』

を話してからの方が読んでくださる皆さんに
本質が伝わると思うので

今日はnoteでの自己紹介をしていこうと思います。

自分と向き合うことを話す前に
私のことを自己開示



この投稿をご覧になっている方は
30代以降の方が多いと思います。


「自分と向き合う」ということに必要性をどこかに感じている人、興味を持っている方が
多いのではないでしょうか?


「でも、自分と向き合いたくない」

「でも、今の現実は自分のせいだと思いたくない」

「でも、何か面倒くさそうだし、見たくない」



と拒否している方もいるのではないでしょうか?




私は普段から「自分と向き合う」というお話を
ヨガレッスン中にもコーチングでも
日々関わる人達にもしています。



目を逸らさずに自分と向き合い続けてきたということにおいては知識、経験、考察をもとに
自信を持っています。

独自の価値観もありますが、私なりの
「自分と向き合う方法」について
シェアしていこうと思います。



「自分と向き合う」ことについて


なぜ、やったほうがいいのか

やった結果、どうなっていくのか?



私に説得力がないと、皆さんの心や感情を
動かすことはできないと思うので
私自身のことをお話ししますね。


自己紹介〜現在〜

私は現在はヨガインストラクター、ライフコーチ、中医学と養生を伝える講師、カラーセラピストを養成するトレーナーをしています。


北海道の旭川市に住み、スタジオヨガレッスン、市町村のヨガ教室、企業様からの依頼のヨガレッスンや中医学講座、カラーセラピスト養成講座などを行っているフリーランス。
自営業です。


オンラインは5年前から使ってきたため、
慣れており、自宅からオンラインで全国の方へヨガを届けたいと、オンラインヨガを2年前からスタート。


ヨガ、中医学、コーチングセッション、カラーセラピーセッションや養成講座を
オンラインてでも対面のようにコミュニケーションを取りながら開催しています。


自己紹介〜過去のお話〜


小学校の頃は活発で目立つ方のタイプ、

小学校中学年のときに自分の意見を言ったことで、いじめっ子から壮絶ないじめにあい、
孤独の闇に陥った過去がありました。


両親が学区外に家を建てたことで、転校することができ、私は小学生なりに人間関係をリセットすることができました。


しかし、この経験から、「自分の意見を言うこと」「個性を出すことはいじめの標的になる」という思いが生まれ、個性をなくして生きていこう、そして、自分は決していじめの方には回らない、いじめられた人がいたら守る、と
自分に誓った小学生時代。


いじめられている人がいたら、手を差し伸べて、味方になる生き方が小学生時代に早くも
身につきました。



中学入学し、バレー部に入りました。
しかし、顧問からの理不尽な暴力に反発心が生まれました。

その暴力はレギュラーの選手達がミスをしたら、後輩のボール拾い役が顧問の
八つ当たりとして、アタックボールを身体に
ぶつけられるというもの。

なぜ、ボール拾いをしている私達がボールをぶつけられなくてはならないのか?

この顧問に対する不信感、理不尽さ、怒りが
募り、同じようにボールをぶつけられていた
友人と共に退部しました。


その後、陸上部ほ顧問からの声をかけてもらい陸上部のマネージャーとなり、面倒見役、人をサポートする立場になりました。



モヤモヤした気持ちや理不尽感を処理できなかった私はその後、絶賛、反抗期へ。

とてもいい担任教師の熱血に照れる反面、反抗し、自分の心と行動がチグハグになっていました。


そして、学問では私は勉強の仕方がわかりませんでした。

塾に入りましたが、いまいち、知識を覚えようとする意欲がなく。

なぜ、暗記しないといけないのか?
何の役に立つのか?
意味があるのか?

という疑問と不満を抱えたままだったので
いつも最後まで残されていました。


意欲がないから覚えないのに
「私はできないんだ」と言う想いがむくむくと
芽生えた気がします。



その後、高校に入り、
自分の反抗期を反省しました。


迷惑をかけたから、その分、ここから取り返さないとと反復的な猛勉強を開始しました。


その結果、クラスで一位を取ることができた
1学期の期末テスト。


私は人一倍勉強しないと人並みにはできない。


だから、人の三倍くらい勉強するのだ、
と自分に言い聞かせました。

自分で勉強の計画をプランニングし
計画的にひたすら暗記をして覚える
反復して覚える勉強をしていました。


また、進学説明会で調べてみた「マザーテレサに憧れた」というところから、看護師を目指す明確な目標が生まれました。



看護学校の指定校推薦をとって、確実に受かり、仕事まで辿り着きたい。

そのために帰宅してからは勉強勉強勉強と
鬼勉の日々を3年間過ごしました。

あまり、記憶にないくらい
目標に向かって、ひたすら
勉強していた気がします。


ストイックな勉強を積み重ねて
成績も何とか良い状態をキープしたため
無事、推薦に合格し、希望した学校に入学できました。


看護学生になっても
最初の方は成績も良く
いけました。


しかし、看護学生は勉強だけでは
うまくいかない場所。



技術、要領の良さ、スピード感、判断力
体力、気力、機転が必要とされる看護師。


反復だけで補っていた私は
これらの条件が
全て劣っていました。


壁にぶち当たり
また最後まで残され、全然、試験に
合格できないという事態になります。



自分なりにやっても要領をつかめないので
できないと言う現実。


努力してもできないこと
頑張りすぎが発揮され

自律神経失調症となり
起立性調節障害で電車で倒れる
と言うことが頻発していました。


食事をすることよりも
勉強しなきゃ
努力しなきゃ

と追い込まれ
痩せていったようです。


生理もとまり
早発閉経という診断にまで
至りました。


それでも、実習を通じて

その人の人生全体を応援する
サポートする「保健師になりたい」

と夢が変わり
保健師学校への入学を目指しました。


保健師学校に入りましたが

「あなたはどう思う?」という自分の意見や思いを聞いてもらえる経験が初めてで


「自由に発言していいんだ」
という「自分を認めもらえる」「承認される」経験をここで初めてした気がします。



自分の自由な発言を聞いてもらえる経験は
わたしにはなかったので、
感動したのを覚えています。



そして、祖母の住んでいた街の
市役所の保健師となりました。



保健師になり、今年で22年目。

保健予防の現場・医療の現場では14年程度働いてきました。

行政の保健師をしていたので、基本的には「保健予防」の分野。


病気になる前に予防しましょう、健康の維持促進をしましょう。という役割が多かったのです。


ちなみに、その保健師は結婚を機に退職。
以降は市町村保健師、企業保健師、病院勤務、
フリーランスと保健師をしてきました。



保健師の仕事


健診業務は疾病の早期発見や、成長発育の確認、健康相談、健康教育。


健康相談にのり、治療すべき点、
生活で改善していく点を区別しながら
的確に指導する。


その人がその人らしく人生を全うできるよう、
生活の質・人生の質を上げていくための
支援をしていく役割です。

大好きな保健師の仕事と
人生の陰り(かげり)


また、現在はヨガ・中医学といった
「未病予防」の活動を行ない

日々、ヨガレッスンや講座でシェアをし、
自分自身が心身共に健康であり、バランスが取れている、
という陰陽のバランスを取る
中心に戻る「背中」を見せられるよう、生活を送っています。



また、心と向き合うことは
保健師になりたての20代前半の頃から
ずっと自分の課題として向き合ってきたことです。


行政の保健師の仕事では
虐待の事例・母子関係の支援を行うことが多かったのです。


また、過去の夫がDV(身体的・精神的暴力)をする人であり
そのDVの背景には彼自身の被虐待歴、
幼かった頃から自分を出すことができず
いいこを演じてきたという「精神的抑圧」などの
心の闇、従わなければならない、甘えられないという
抑圧下にいたからでした。



なぜ、彼は暴力をふるってしまうのか?
なぜ、彼は自分は悪くない、周りが俺をバカにする
という思いで、それを妻である私に全てをぶつけてくるのだろうか?


当時の私はなぜ?ということを
理解してあげたかったのです。


人の心、精神、感情、経験、生育歴の影響などを
理解したいと思ったのです。


そのため、市町村勤務、警察勤務の後、
大手の精神科病院に保健師として勤務しました。

生育歴や親子関係が及ぼす人の心や精神への影響を
学び、これからの看護・虐待予防に生かしたい。
また、実生活にも生かしたい。


そんな気持ちでした。


入職し、実務経験として医療現場で
たくさんの症例を見てきました。


日々のケア、精神の健康に向けての
看護・予防・リハビリ・精神の健康の維持促進へと
関わってきました。


精神科での実務経験は非常に学びになりました。


また、自分自身が「人生の闇」「心の病」を
経験し、そこから「立ち上がり、人生をまた自分で歩き始めた」
ということも何より大きな学びだったかと思います。



「人生で大転びをする、そこから立ち上がる」という経験を
1度ではなく、「何度も」したことが
自分が起き上がる「強さ」にもなったのではないかと思います。

それはただただ跳ね除ける強さではなく、
自分の弱さを認めながら生きていくという強さでもあります。


人生の闇期のお話



仕事での頑張りすぎ、働きすぎと
当時の夫とはDVからの離婚、その後、元夫のストーカー化。


仕事先の駐車場に待ち構えられている。
朝起きたら家の前にいる。

ポストに何かが入っている。

そんな状況でした。

元夫は復縁を望んでいました。

1年半ほど、そのような時期がありました。


しかし、その復縁を望んだ当時の元夫は


離婚後、まもなくデキ婚。
別の女性と再婚していたのでした。


私は全く、その事実を知りませんでした。

それにも関わらず復縁を望んできていた
ということを戸籍を通じて知ったショック

血の気が引き、震えが止まりませんでした。


「一体、私は何なんだろう・・・・」


12年も一緒にいた相手だっただけに
こんなにも無下に扱われることに
崖から突き落とされたような感覚になりました。



夫からの人格否定の言葉は
1年間365日毎日聞かされていました。

人としての否定は自分の奥深くに浸透していました。


心の闇を人に出せない状況。




縁があって、再婚できましたが
人生の転機やのストレスが大きく



今までの心の闇がバーンアウトをして、
心と身体を病み、うつ状態で病休となる
死を望む状態になるという経験を2度ほどしました。


結婚による転機


人生の大きな転機となる「結婚」ということにおいては

先に書いた元夫との結婚で
見知らぬ土地に嫁いだ後も、元夫からの裏切り、

身体的・精神的暴力によるDV、10年以上に及ぶ不妊治療、
ストーカー行為。


元夫からの暴力によるPTSDでの
抑鬱状態
解離性障害

の診断が出ていました。




抑鬱状態では睡眠が全く取れなくなり
全くの不眠が3日間以上。


全てのことが不安になったり
感覚・聴覚・触覚が感じられなくなり
自分が自分じゃない感覚という
「離人感」で生きている感覚がない。


シャボン玉の中に入れられているような感覚で
味覚も触覚も「感覚を感じられない」という時期を過ごしました。


音や光が刺激となり、不安となり
過呼吸発作を起こしてしまう
不安に呑まれてしまう


こんな状態で休職していたときに
出会えたのが「ヨガ」の教えでした。


主治医に身体を動かすことを勧められ
精神科病院でも取り入れられていた
「ヨガ」を定期的に行い、自分のリハビリをしようと
思ったのです。


そして、最初のヨガレッスンで私は助けられたのです。

「ヨガで大切なことはポーズを取ることよりも
アヒムサと言う非暴力を守ること」

「暴力を振るわない」

「他者に暴力を振るわないと言うことだけでなく
自分で自分に暴力を振るわない」

と言うこと。


私は自分で命を終えようとした。
自分はダメなやつだと自分で自分を攻撃していた。

私は私自身へ暴力を振るっていた。

そんなことに気付かされたとき
仰向けになりながら
涙が目からヨガマットにつたいおりて
涙は止まらなかった


そこから、ヨガは私の考え方を少しずつ
改めてくれる希望の光となりました。

30キロ台前半までガリガリに痩せ細り、
腎不全状態になった自分の体も
このヨガをしたら少しずつ元気を取り戻していくかもしれない。

ヨガは希望となり救いとなり
そこからずっと継続し
色々な先生からヨガレッスンを受講するようになり
徐々に体調を回復していくようになります。


この話はまたいつか
ヨガのときにお話ししますね。

次の人生の闇は大きかった

このときしていた結婚は
ヨガに出逢えた時期でもあり、

世界が広がってきて
自分らしく生きることができるようになるかもしれない、という
希望が見えていました。


「一度、病んだ人は精神科にはいらない」とはっきり言われ
復職を目指したものの、叶いませんでした。

しかし、マイナスでゼロだからこそ
始められるとヨガインストラクターへの学びを開始しました。


毎日ヨガを学び
毎日実践し
遠方まで通って資格を取りました。


ご縁や人の紹介など、いい人たちに恵まれて
少しずつスタジオレッスンや町のヨガレッスンを
担当させて頂くことになりました。


自分自身が回復し
精一杯、できることにチャレンジしようと
協力をもらい、色々なチャレンジをさせて頂きました。


外にエネルギーが向いたこと
また頑張りすぎたことが影響しました


子どもを諦められず不妊治療を継続していた私は
薬の内服量もかなり増量となっていました。


しかし、早発閉経という診断を25歳の時にすでに
受けていた私の卵巣機能には負担が大きすぎました。


内服薬の負担により、卵巣腫瘍が多発し
卵巣腫瘍が大きくなった結果
卵管捻転を起こしていました。

その結果、卵管が壊死していたのです。
強い腹痛で緊急手術をした先に卵管壊死。

私自身は自分の体を認めてあげよう。


不妊治療を諦め、穏やか生活を望んだ先に
当時その私を支えてくれていて、
信じていた夫の不倫。

後悔する日々


自分の無理が影響してしまったと自分を責める日々。
もっと家にいればよかった
もっと精神的にも経済的にも
支えられていたらよかった
子どもよりも夫との生活をもっともっと二人で
大事にする日々を送っていればよかった。



たくさんの後悔と自分を責める日々の中。


当時の元夫は複雑な家庭環境で育ってきて
特に母子関係に問題を抱えていた。


愛情の欠乏感を抱え、異性からの愛情と承認を
極度に欲する人だった。


興味の対象、愛情を欲する相手が
妻から他に移った状況。


不倫という背徳感の中で
自分を必要とされ、承認される感覚を
得られていったのでしょう。


「邪魔になったから、いらない、不要」
などの言葉が毎日、私にはかかる。

人の心を痛める言葉と
閉鎖されている空間での
無視・暴言という精神的に
じわりじわりと追い詰めてくる精神的暴力。


異性関係のある女友達には
私のことを吹聴していて
「心をじわりじわりと殺して追い込む」
という言葉を書いていたのを発見しました。


身体的暴力で窒息して死にそうになったときよりも
殴られて骨が折れていたときよりも

全身あざだらけで検察に証拠として
診てもらっていたときよりも



この精神的暴力と不倫というものは

「心の殺人」と言われますが

心が殺されたかのように感じています。



元夫のW不倫は夫の心を蝕み、
豹変した夫は精神的DVの嵐へ。


元夫との不倫は不倫相手が先に離婚して
略奪するという事態へと移っていきました。


元夫はのめり込みながらも
どこかで逃げられない不安や恐怖を
隠すために「妻への攻撃」と変わっていきました。


顔つきも別人のようになっていき
恐ろしい冷酷さと非情さで
「心を殺す」
という言葉を日々投げかけられていました。


そして、職場内で起こった不倫だったので
当然ながら、同僚や近い人に気づかれていたのでしょう。



それが誰かにリークをされたらしく
不倫が職場にバレて
職場を飛ばされたという事態になっていました。


「お前のせいで不倫がバレて飛ばされた」

職場のことなど、全くわからない私に対して
濡れ衣を課してくる状態で
私への精神的な攻撃がどんどん悪化していきます。


不機嫌さは犬3匹にまで至りました。
犬への暴言、犬を足蹴りをされて
犬は元夫が帰ってくると恐れて
ゲージから出て来なくなりました。


犬への暴言・行動に対しては私は許容できませんでした。

犬は自分で身を守れないのです。

今まで学んできた虐待だけは
あってはいけないと強く思っていたからです。


おそらく、当の本人は不倫で頭がいっぱいで
全く周りが見えていない状況。


職場を飛ばされたことで
プライドも傷ついたのでしょう。

不倫をバレずに進行させ、不倫をしていることを内密にしたまま
離婚することしか見えていない元夫は
自分のしていた発言も行動も覚えてもいないと思います。

された側の私は今も覚えていますが
いじめの構図だと思います。



犬3匹つれて別居したのと同時に
元夫の不倫相手は自宅に入り浸り、隠れて同棲をはじめました。

近所にはバレバレで、あちらこちらから
耳に入りました。


その後、調停をしたものの
朝廷も不成立となり、
私は何をどうしたらいいのか絶望的になりました。


その期間、私自身は休みなく
フリーヨガインストラクターとフリーランス保健師と
兼業しながら必死に働いていました。


自分で自分の心をコントロールできず
こんな話を人にしたことで
どんどん人が離れてしまっていきました。

特に自営業は自分に負のオーラを浴びたくないでしょう。

そうして、
孤独だったからこそ

ひたすらひたすら
自分の心と向き合わざるをえなかったのです。

自分と向き合うこと


現状では修復をすることは難しい状況。
当時は修復を願っていた後悔しかなかった私も

自分の本音に従えない選択はしたくなかったのです。



何度も自分はどうしたい?と
自分の本音に聞きました。


胸に手を当てただけで
涙が止まらなくなる。


お風呂場で涙を流し
ベッドからぼーっと居間を眺めながら

自分はどうしたいのか
どうするべきなのか

夜中に一人で公園に行き
星を見上げながら
闇の中から光を見上げていました。


ほっとする時間はなかったように感じます。


それでも
ヨガの仕事を通じて

「自分にも必要になれる人がいる」
「自分の言葉で癒される人がいる」

そんな事実もありました。

ヨガで私は救われた。
人それぞれいろんな事情を抱えて
生きている。

そのなかで、自分のヨガのレッスンでの
ひとときで、誰かの心や身体を
いたわることができる。


自分一人で
遠方のヨガイベントに出演するなど
初めての経験も一人で行えたことで
少しずつ私は自分の力を感じれるようになっていきました。


最後は自分なんだ、と
自分というものを信じるようになりました。


そして、自分はどんな人生だったら
後悔なく、歳をとったときに笑顔で
いい人生だったと思えるだろうか?


心から晴れやかに生きていけるだろうか?

ということを考えるようになりました。




ヨガの教えでもある
非暴力から

「自分で自分を大切にする」
ことを選びたい


という答えが出たとき
私の中で


自分で自分を大切にしよう

大切にされない相手から離れよう



と自分で自分を大切にする
決断ができたのです。



その後、すぐに略奪結婚されたという
「略奪され妻」に陥った私でした。



自分が闇の時期にしたこと


絶望のときにこそ
自分と向き合ったと思います。


犬3匹を連れて、絶望の中でも
当時からズームを使い

様々なセッション、地道な自分と向き合うワーク、
コーチングセッションを継続的に受けるなど

自分と向き合うことを続け、
自らの足で心が立ち上がっていった感覚を得ていきました。


たくさんの傷を負った自分の心を
陰ヨガをいうヨガで心を緩め、癒しました。


さまざまなセッションでも何度も自分と向き合い
気づきを起こしてきました。


また、ライフコーチングで自分の人生のスパイラルと向き合い
自分の人生の制限や生きづらさと向き合ってきました。



地道なアウトプットワークを継続し、積み重ねから
時間差で少しずつ変化していくという経験をしてきました。



ヨガを通して、身体の声を聴くこということができ
少しずつ体から心の健康へアプローチして
自身が鬱状態から脱していきました。


またヨガでは自分の「気」というものを
感じるようになりました。

頑張りすぎが染み付いているからだを自覚し
緩めることで自分の感情まで緩んでいく経験をしていきました。


またヨガの哲学で
自分を大切にするということ、
そして「生きる道標」を知りました。


中医学の陰陽学説で
人生の闇の時期を乗り越える
希望を持ち

養生の実践で、毎年インフルエンザにかかり、
胃薬をご飯のように食べていた
虚弱だった身体が

今では他者からも「健康」と
見られる自分へと変化しました。


骨密度が低い重度の骨粗鬆症で90代と診断されていて、
頻繁に肋骨骨折していた
重度の特発性骨粗鬆症の
骨密度の骨年齢も50代まで上げることができました。



体温も上がり、棒のようだった身体は
健康的な40代の身体へと変化してきました。


癒し


縁があって、今は同じ志を持った
戦友であり、友達であり、陰陽のような
自営業の夫と出会い、

犬4匹と仕事と自宅が同じという
自分が夢だったスタイルを実現できています。

自然とともに暮らせる自宅で
穏やかさと自分のバランスをとり
家庭を一番大切にして
自然と調和をしながら暮らしています。


2021年の1月に自分の自分のヨガレッスンで行った
「陰ヨガ」

ここで、私の過去は浄化されていきました。

辛かったけれど、ちゃんとそこに愛があった時期もあった。
自分が愛されたきた時期もあった。
そこに愛があったんだ。

それを自分で気づくことができたのです。
そうすると、自分の心が浄化されていったのです。


2021年の冬、年末年始に自分とさらに向き合い
「赦す」という経験をしました。

自分は全ての過去を赦せた。
そうすると、とても楽になったのです。

赦しが愛だ、ということを
体験しました。


だからこそ、こうして
書けるようになったのだと思います。

最後に



こんな経験をしてきた私です。

愛と赦し
自分は一皮剥けた気がします。


これらの私の自分の様々な知識と経験から、
自分の言葉でシェアしていこうと思います。


大変、長くなりましたが
最後までお読みいただきありがとうございます。


必要な方に生きるメッセージとして

何度でも立ち上がるメッセージとして

届けられたら嬉しいです。



Ami


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