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土井善晴さんの『一汁一菜という提案』の感想

はじめに

 最近、Twitterで土井善晴さんの著書のご感想を拝読して気になって、読みました。
 土井善晴さん著・『一汁一菜でよいという提案』。

 名の通り、家庭料理は一汁一菜でいいですよ、という内容です。ただ、それだけではなく、なんで一汁一菜でいいと考えるのか?ということを、日本人の本来の食という民俗学的な視点などから解説してくれる点が興味深かったです。中でも大切な点をいくつか要約して挙げていきます。

感想および要点、本文から抜粋

・食事は美味しいものを食べるためにするのではなく、生活のためにするもの。だから、日々の生活に負担にならない一汁一菜がいい。

・脳が感じ取る美味しさとは一過性の快感のようなもの。身体が感じ取る美味しさとは別物である。

・家庭料理とは毎日美味しくなくてもいい。

・本来、日本人はハレの日に豪華な料理を作る。それは「神食」=「神様に捧げる食事」だから、いつもの食事ではできないような、とても手の込んだ料理を作る。だから今のように、日常で豪華な食事は日本人の気質的には合わないのではないか。

・日々が一汁一菜で、たまに焼き魚などの主菜があると嬉しくなる。飽食の時代だからこそ、一汁一菜にすると食へのありがたみを知る。

 日々、料理研究家として家庭料理に携わる土井善晴さんだからこそ、響いてくる言葉がたくさんあります。

 確かに食生活は豊かになりました。ですが、食への意識自体は退行しているように感じることがあります。
 まるで仕事中にエサのようにパンをかきこんだり、作るのが面倒ゆえにスナック菓子で腹を満たしているときに。日本では年間約570トン※の食品廃棄ロスがある事実から見ても、果たして食を大切にしているかと言われると疑問視してしまいます。
(※農林水産省及び環境省「令和元年度推計」より)

 それでいながら、資源は限られてきており、生存競争を余儀なくされています。(以下、本文引用)

「すべての人に分配できるだけの豊かな資源があった私たちの世代までは、『生存競争』もある意味では正しいことだったかもしれませんが、これから先はどうだろうと考えます。人口の一つかみほどしかないお金持ちにとっては良いことでも、そこにはいない、ほとんどの人にとってはどうでしょうか。」

 確か約20年くらい前に、マイケルムーア監督がインタビューで言っていたことが頭をよぎったのです(確か日経の土曜版だったような…)。

「今のアメリカは、一枚のピザを10ピースに分けて、9ピースを一人の富裕層の人間が独占し、残り1ピースのピザを9人の貧困層の人間で分けているような状況だ」

と。残り少ない資源を奪い合う世の中になってきているとは、こういうことなのかもしれません。

「そのような大きな大きな問題を、日常の小さな小さなことで解決できるなんて思っていません。(中略)ただ、食事の根源的な意味を考えようとしているのです。一人ひとりすべての人の命を作るものだからです。そして、その最低限のことをおこなうことが、一人ひとりの幸福のための行動だと信じるのです。」

 幸福につながると信じて、日々の食事を大切にする。この考えを忘れずに生きていきたいと思えました。

最後に

 土井善晴さんが実際に作られた、リアルなプライベートな食事の写真もあり、「え!こんな具材を味噌汁にしていいんだ!」という驚きもあったりと、目で見て楽しめる一冊です。
 ご家庭がある方や一人暮らしの方まで、毎日の食事に悩むことは多々あると思います。そんな悩みを和らげてくれるのが本書だと思いますので、おすすめです。

 それでは今日も明日も皆さんにとって良い日でありますように。また明日。

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