光浦靖子さんの『50歳になりまして』感想
先日本屋さんに行ったら、併設のギャラリースペースに、期間限定の古本屋さんがありました。久しぶりだったんで覗いたところ、以前本屋で見かけた本が売っていたので買いました。
光浦靖子さんの『50歳になりまして』というエッセイです。
カナダへの留学がコロナでいけなくなったことや、手芸のこと、更年期のこと、日々のことなど、軽快に綴っていました。共感するところがいくつもあって、あっという間に一冊読んでしまいました。
子育てをしていない私は、莫大な量の時間と体力と心を自分のためだけに使えた、そして現在も使える私は、何を得た?
私も独身で、自分に多くの時間や体力にお金を費やせる身です。しかし、その中で何かしら得たことに自信を持てるものはあるかと言われると非常に耳が痛いです。高校の同級生は結婚して子どももいると、果たして自分のために費やせる環境に甘んじてて良いのか?と思ってしまいます。まぁでもそういう焦りを持ったからといって、すぐに相手ができる訳でもないのでなるようになると思っておきます。
決めつけて人をカテゴライズして上に立ったような気になるの、良くないよ。あなた、そういうとこあるよ。
勝手に人をこうだと決めつけてしまうのって、いつの間にかやってしまいがちです。自分も他人からそういうことされて嫌に思った経験があるのに。
ノンフィクションは時に辛すぎることがあります。傷つきたくないんです。そりゃ小説も読んで傷つくことがあります。でも「これはフィクションです」という一言、約束さえあればその辛さを本を閉じたと同時に忘れることも許されるので、私は読むことができます。
ノンフィクションはその辛さを知ってしまった以上、忘れることは許されないから、なかなか手に取れないのです。
新聞やニュースを見るとき、凄惨な事件のルポやインタビューを読むときに同じように思ってしまいます。自分だけで手一杯なのに、さらに人の傷まで見て苦しくなるのは、辛いです。ただ、それを知らぬままで生き続けるほうが怖いので、辛くても読んでみようと思ってます。
歳をとると、知らんところで人を勇気づけられるようです。(中略)歳をとるのも悪くないようです。
髪にインナーカラーで青を入れたことにコメントで「勇気をもらいました」と言われたことから。確かに若いときはビビってできなかったのに、去年の春ごろにインナーカラーで緑を入れたことがあります。残念ながらすぐに明るめの茶色に色抜けしてしまいましたが。
といった感じで楽しみながら、時々ぐさっとくる言葉に気をつけようと思いながら読みました。
あと、手芸の縫い方の説明やサンリオのかわいらしい文房具、紙袋の質感など、ふとしたところにフェチを感じで感極まるときのことを「イーーーーッ!!」と表現するのに笑いを堪えてました。でもちょっとわかります、あの叫びたくなる感じ。
光浦さんの語るコンプレックスや考え方に触れてみたことで、同じような考えを持っている私にとっては自分だけが考えてることじゃないのか、と少し安心できました。
それでは明日も皆さんにとっていい日でありますように。また明日。
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