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本のはなし(14)小川洋子『人質の朗読会』

自分の人生の中で、一番言葉にして残したい出来事は何かを
考えてみると、幾つかの場面が思い浮かぶ。
私の場合は、単純に嬉しかったことよりも、悲しみや切なさの後に来た嬉しい感情がずっと思い出に残っている気がする。
例えば、学校を転校をするときに友達が泣いて悲しんでくれたことや、
クラスに馴染めずにいたときに部活の友達が励ましてくれたこと等々だ。
人の温かい言動が1つの場面となって脳裏に記憶されていて、いつでも記憶の引き出しから取り出すことができる。一生忘れないであろう、良い思い出だ。

一方、何でそんなことを覚えているんだろう?という記憶も、ちゃんと残っていたりする。中学生のころは特にシャイな性格で、周りに遊ぼう!と自分から声をかけることができず、毎日昼休みに図書室に行って、本棚を眺めていた。当時は落ち着くから本を読んでいたし、落ち着く場所が欲しくて図書室に通っていたが、図書室に行くと必ず知り合いに会った。
それはある時は友達、ある時は部活の先輩であったが、「また本ばっかり読んで!」と言われることが何だか嬉しく、図書室に行けば誰かが来てくれるのではないか?と心の底では思っていた。クラスにいればクラスメイトと話せるのに、わざわざ1人で図書室に行き、誰かが来るのを待っている…。今思えば不思議な日課だが、当時の自分にとってはとても大事な時間であった。

小川洋子さんの『人質の朗読会』は、人生の中の何でもない、しかしとても大切な日常を切り取った短編集だ。

この小説は、海外旅行のツアー客7名、添乗員を乗せたバスが反政府ゲリラに拉致され、百日以上過ぎた後にダイナマイトによって全員が死亡したという衝撃的なニュースから始まる。ニュースで死亡したと伝えられた8名こそ、この作品の主人公達である。人質として捕まっていた8名は、いつ解放されるか分からない未来のことよりも過去のことを語ろうと話し合い、1人1人が自身の話を書いて朗読を行う。朗読は盗聴テープに録音され、録音の音声が『人質の朗読会』というラジオ番組で計9回放送される。(9回目は政府軍の兵士) つまり、テキストで書かれた作品だが、朗読をするために書かれたテキストなのだ。テキストを読むというよりも、話者が朗読をしている姿や声を想像しながら読むことが、この作品の読み方としては一番良いのかもしれない。(テキストの小説として読む方法も、もちろんあると思います)

人質たちにとっては死がより身近にあるからか、朗読は死に関連した話がほとんどだ。しかし、それは決して悲しい話ではなく、死者との生前の思い出や、何でもないことに勇気づけられた話など、聞き手(読者)が少し前向きになれるような話ばかりだ。

中でも印象に残っている話は、第三夜の「B談話室」だ。
1人の男性がとあるきっかけで、公民館の[B談話室]に通うことになる。
B談話室ではマイナーな集まりが多く開催されていて、世界の地域語を守るための集まりである「危機言語を救う友の会」に飛び込み参加したことをきっかけに、男性は様々な集まりに顔を出すようになる。
ある日、事情も知らず、事故で子供を亡くした親が集まる会合に参加してしまい…というストーリーだ。
B談話室という閉ざされた空間では、1つのことを目的とした人々が集まり、年齢もこれまでの人生も関係なくその日の参加メンバーとして受け入れられる。どんなに些細で他人には理解されにくいことでも、B談話室なら一番大切なものとして扱われるのだ。この物語を朗読した男性は、実は作家であり、作家になった理由として印象的な言葉を残している。

「B談話室は町の片隅の、放っておいたら素通りされてしまう、ひっそりとした場所に隠れている。だから僕は、B談話室で行われている営みを間違いなくこの世に刻み付けるために、小説を書いている。」

第三夜 B談話室 p87

この一文は著者の小川洋子さん自身について書かれているようにも感じ、
私自身が本に対して感じることと同じであったため、とても感動した。

日々を過ごしていると、自分の胸の内だけに秘めた感情が、言語化をされずに体内に溜まっていくように感じる。その感情は人に伝わることは無いため共感もされないが、自分自身を構成する要素となって、人生の1つの場面とリンクして記憶に残っていく。私にとっての中学校の図書室のように、ひっそりとしているけれど温かい思い出は、記憶として強く残る。誰もが持っている言語化することが難しい感情を、小川洋子さんの作品は見事に描いていて、作品を読むと救われるように感じる。

誰にも理解されないかもしれない、自分自身にとってのB談話室のような感情を持ったとき、ぜひ『人質の朗読会』を開いてみてほしい。
この朗読会は、今の自分にとって必要な言葉をくれるはずだ。

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