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【小説】愛の稜線【第2回】#創作大賞2023

 物見遊山といった気持ちだった。その表現が悪いのであれば、興味本位、あるいは冷やかしでもいい。

「えーっ、ほんまにぃ」

 エリカの嬌声を聞くと、ここがダイヤモンドでないことが、不思議に思えてくる。

 平日の今日、わたしたちは、エリカのピアノの同門の女の子たちに、突然、コンパに誘われた。急な代役であることは、誘われたのが今日の今日であることや、戸惑いながら誘う女の子たちの態度で、明白だった。

 それでも参加してみたのは、移り気なエリカが「行ってみたい」と言ったからだ。大学生になったのに、コンパがどのようなものなのか知らないというのも、何かもったいないような気がすると言う。

 流されるように、わたし達は大学の近くの居酒屋で、他大学の男子大学生たちと席を囲むことになった。

 大皿に盛られた揚げ物の中で、ポテトはしなびて、くの字になっている。青白い光が、それを照らしていた。

「あ、あのー。音楽やってるんやって?」

 前に座った男子大学生が、遠慮がちにわたしの方を見た。

「はぁ。まぁ」
「す、すごいね」

 真面目そうなその男の子は、ピアノ科の女の子の中の一人と、高校で同級生だったらしい。ダイヤモンドですらしゃべれないのに、こういう場所での会話の「正解」が何なのか、全くわからない。

 離れた席のエリカを向くと、ダイヤモンドと同じ調子で酒を飲んでいる。彼女と話す真面目そうな大学生は、彼女を気に入った様子で、しきりとオーバーアクションで会話している。わたしたちを誘った女の子たちは、その様子を見て眉をひそめている。

 わたしはポテトフライを口に運び、ビールで流しこんだ。年中勝負服のエリカと違って、わたしはジーパンにノースリーブのシャツという気の抜けた格好だ。その上、会話も上手くできないのだから、こういう場で、皆を盛り上げることなどできるはずもない。

 ポテトで口が汚れた気がして、わたしは譲さんからもらったポシェットから、ハンカチを取り出した。

 チェーンの居酒屋の料理は揚げ物が多く、味が単調だ。それならばとサラダに手を伸ばしても、パサついたレタスが、口の中でガサガサ音を立てるだけだ。

 ハンカチで口を拭いていると、前の席の男の子が、
「お、音楽は、何をしているの?」
 ともう一度わたしを見た。

 しばらくして、それが、専攻を聞く質問だったとわかる。

「えーと、声楽です。歌を歌うんです」
 答えて、またビールを流し込む。

「ビール好きなの?」
 はぁ、と曖昧な返事をして、またビールに口をつける。好きだから飲んでいるのではない。間が持たないからだ。

 初めて「コンパ」に参加して気がついたのは、ここもわたしの居場所ではない、ということだ。

 他の女の子たちは、膝丈のスカートやワンピースを着て、おとなしくかわいらしい様子を醸し出している。わたしほど無口ではなく、エリカのような派手さもない。同じようにおとなしい男子大学生も併せて、まるで羊の群のように見えた。

「じゃ、一次会はこれでおしまいでーす」
 幹事なのだろう、エリカの前にいた男子大学生は立ち上がった。

「そしたら、一人四千円で」

 その言葉からすぐ、今度はエリカが、
「えっ?」
 と大きな声を出した。

「女の子は?」

 男女が同じ料金では納得できないということらしい。幹事の男の子は顔を赤くした。

「あ、そうだよね。ごめん。じゃあ、男五千円で、女の子は三千円で」

 男子大学生の慌てた様子に、他の女の子たちはエリカの方をチラチラ眺めている。

 今日のことは、明日以降、大学での噂の種になるだろう。きっとわたし達は、もうコンパに呼ばれることはない。

 二次会はカラオケだと言う男女の群を抜け出して、わたしとエリカは駅に向かった。

「あんなしょぼい料理でお金取られるんやなんて」
 エリカは三千円でも納得できないらしい。

「コンパなんてそんなもんちゃう? 知らんけど」
 エリカをなだめながら、駅への道を進む。

「でも、エリカ、楽しそうにしとったやん」
「楽しくなんてないわ。ダイヤモンドの癖出してもうた」

「ダイヤモンドならお金もらえるのになぁ」
「ほんまやで」

 ICカードになっている定期券で、改札を抜ける。
 電車を待っていると、エリカは大きなため息をついた。

「コンパって、面白いんかと思ったけど、全然やな」
 つぶやくように、彼女は話す。

「大学と一緒や。もっと楽しいと思ったのに」
 珍しくしょぼくれた様子のエリカに、
「ほんまやなぁ」
 と同意する。

 高校生のときは、もっと楽しい大学生活が待っていると思っていた。けれど、大学に入ってみれば、自然と自分の限界も見える。これから先、コンクールで賞を狙うような輝いた未来がないのはわかっている。だからといって、コンパで気も金も遣いなから、彼氏を探すというのも、楽しそうな未来ではなかった。

 暗い気持ちにひたろうとしていると、
「それ、どしたん?」
 と急にエリカが、斜めがけしたわたしのポシェットを指さした。

「これ? この前、譲さんにもらった」
 寿司屋での経緯を説明する。

「ええなぁ。GUCCIやん。高いんちゃうん」
 Gの金具を指さしたまま、エリカは頭を振った。

「さぁ、わからん。高いんかなぁ」
「わたしの誕生日も盛大にお祝いしてもらわなあかんわ」

 急に元気になったエリカは、頭の中で算盤をはじいている様子だ。

「ダイヤモンドでもしてくれるんちゃう?」

 わたしは客が少なすぎて、店内でのバースデーイベントはできなかった。客の多いエリカなら、店内で大きなイベントをしてもらえるだろう。

「せや。店長に言っとかな」
「プレゼントもねだったらええねん」
「せやな」

 電車が来るまで、わたしたちはエリカのバースデーイベントについて、無責任な案を出し合った。

 酒を出す店なのだから、酔っぱらいがいるのは当たり前だ。そう自分に言い聞かすものの、やはり度を過ぎた酔っぱらいの相手をするのはしんどい。

 七月半ばのこの日、わたしは何度も手元の時計を眺めながら、目の前の客の話に相槌を打った。

「なんや、聞いてるんか?」
「聞いてますよ、もちろん」

 ダイヤモンドは、金曜の夜、客が多い。客のある女の子は皆、すでに自分の客の相手をしている。初来店の酔っぱらいの客の相手をするのは、まだ譲さんの来ていないわたししかいなかった。

 三十くらいだろう、酔っぱらいは、さっきからずっと仕事のグチを言っている。男が口を開くたびに、濃いアルコールの臭いが鼻をつく。

「みんななぁ、アホなんや」
「……そうですか」

「わかっとらんねん、営業の苦労を」
「大変なんですね」

「そうや、わかるか?」
「ええと、営業のことはよくわからないんですけど、でも、大変な思いをされてるんですよね」

 男は、へっ、と声を出して、馬鹿にしたような目でわたしを見た。

「じぶん、適当に相手しとるやろう」
「そんな」

「俺はな、ちゃんと心から言うてるんかどうかくらい、わかるんや」
 それなら、今の自分がどう見えているのかくらい、わからないものか。

「すみません、そんなつもりはないんですけど」

 頭を下げると、店の入り口に譲さんの姿が見えた。本当はすぐに譲さんのところに逃げ込みたかったが、目の前の客を相手する女の子がいない。店長の村田の姿を遠くから見たが、わたしを譲さんのところに向かわせる気配はない。譲さんなら、男の相手が終わるまで待つと踏んでいるのだろう。

「接客業なら、もっと愛想よくせぇよ」
「愛想悪いでしょうか」

「ああ、悪い。もっと盛り上げてくれよ」
 男はカウンター席の、高い椅子にふんぞり返っている。よくその姿勢で椅子から落ちないものだ、と変な感心をする。

「そしたら、ダーツでもしませんか?」
 店内には小さいがダーツが置いてある。

「はぁ? ダーツなんてしたことないわ」
「じゃ、カラオケは?」
「うーん、そやなぁ。デュエットできるか?」

 デュエットは面倒だが、このまま話を続けるのはもっと面倒だ。

「下手ですけど、よろしいですか?」

 選曲用の端末を操作しながら聞く。男は、

「なんや、下手くそか」

 と言いながらもわたしに端末を操作させ、「ロンリーチャップリン」を選んだ。サビしか知らないが、下手と言ったのだからいいだろう。仕方なく、写し出される画面を見ながら、男と一緒にマイクを持つ。

 小さく流れる主旋律に合わせて声を出す。一番は少し怪しかったが、二番はその旋律を思い出しながら、なんとか歌いきった。

「上手いやんか」

 男は少し機嫌を良くしたように言うと、次の曲を探すのか、また端末を覗き込んだ。

「お客様、お時間ですけど、よろしいですか?」
 店長の村田が来て、男に話しかける。

「時間て何や?」
「初来店限定の、一時間セット料金です。それを越しますと、通常料金になりますが」

「そんなんやったら、帰るわ」

 ようやく男から解放されると、店長が譲さんのところに行くよう、肩を押した。

「遅くなってすみません」
 譲さんの座る席に向かい、頭を下げる。

「ええねん。それより、大変そうやったなぁ」

 支払いをする男を見ながら、譲さんはグラスのウィスキーを傾けた。わたしにも好きなドリンクを飲むよう言ってくれる。

「うーん、ちょっとだけ」
「あんな客、多いんか?」

「そんなことはないんですけど、たまにはこういうこともあって」
「それはあかんな」
 譲さんは顔をしかめた。

「ナオミちゃんはしんどいことせんでええねん。せっかく別嬪さんやねんから、ニコニコしてるだけでええねん」

 そう言ってもらうのは有り難いが、皆が皆、その接客で良いわけではないだろう。

「でも、まあ、仕事ですから」
「そらそうかもしらんけど。ナオミちゃん、お金稼ぎたいんか?」
「お小遣い程度は」
「生活費がいるわけちゃうんやろ?」
「それはそうですけど」

 譲さんは、しばらく何か考えるようにグラスを振った。

「お小遣い程度でええんやったら、モデルせえへんか?」
「モデルって、絵のですか?」

「ちゃうちゃう、写真や。俺な、一眼レフ趣味でやってんねん。それのモデルやってくれたら、少ないけどお礼するけどな」

 写真のモデルと聞いて、ヌード写真を思い浮かべる。譲さんはわたしの心を覗いたかのように、
「言うとくけど、ヌードちゃうで」
 と付け加えた。

「そしたら、どんな写真なんですか?」
「きれいな景色と一緒に撮るねん。そうやなぁ、今やったら、夜景でもええし、ひまわり畑とかで撮ってもええな」

「普通の服でいいんですか?」
「せやからヌードちゃうって言うてるやろ。観光ガイドとかに載ってるような写真や。カメラマンの腕は悪いけどな」

 写真モデルといえば、女性雑誌に載っているような女性しか知らない。そういう女性は、もっと背が高く、スタイルがいいはずだ。わたしにそんな仕事が勤まるのか。

「そんなんで、お礼いただけるんですか?」
「当たり前や。こっちからお願いしてるんやから。嫌か?」

 少し考えてから、
「嫌ちゃいます。わたしでいいんでしたら」
 と答える。そんな普通の写真でお金が貰えるのなら、ダイヤモンドよりずっと楽だ。

 譲さんは、
「よっしゃ。ありがとう」
 と言って、また別の種類のウィスキーを注文した。

 カウンターの中を移動する。譲さんから離れた場所でロックを作っていると、村田が近づいてきた。

「ナオミちゃん、さっきはごめんな」
「いえ、最後は助けてくれたじゃないですか」

 店長は顎をポリポリ掻いた。

「譲さん、今日も金使ってくれそうやな」
「そうですねぇ」

「けど、なんやけったいな感じもすんねんな」
「どういうことですか?」

「わからん。わからんのやけど、今までにないタイプやわ。気ぃつけた方がええで、ナオミちゃん」
「どう気をつけたらいいんですか?」
「それもわからん。わからんのやけどなぁ」

 村田は首を傾げている。

「危ない感じですか?」
「そういうんでもないねんけどなぁ」

 村田の話は要領を得ない。首を傾げる彼をそのままにして、わたしはドリンクを運んだ。

「お待たせしました」
「ん、ありがとう」

 譲さんは人の良さそうな顔で笑っている。
「ナオミちゃんがモデルしてくれるんやったら、もっと腕上げんといかんな」

「譲さんが写真してるなんて、知りませんでした」
「まだ下手くそやからな」

 楽しそうにグラスを揺らす譲さんを見て、どこがけったいなのか、観察する。村田は接客のプロだ。おそらく、その勘は当たっているのだろう。けれど、同時に、危ないわけではないとも言う。

 どちらにしても、写真を撮らせるだけでお小遣いが貰えるというのは、悪い話ではない。

 手元の酒を飲み干し、わたしはまた譲さんにおかわりをねだった。

 大きなガラス窓に覆われたカフェテリアは、見た目こそ美しいものの、外気温に室内の温度が酷く影響を受けやすい。陽の光が直接入りこむ夏には、窓からの刺すような日差しと、クーラーの冷たい風の両方が肌を刺激する。外見だけが良く、暮らしにくいその様子は、まるで大学そのものを映し出しているかのようだ。

「あー、もう。面倒やなぁ」

 三限の一般教養が終わってすぐカフェテリアにやってきたエリカとわたしは、人工池のすぐ近くの席に座っていた。エリカはさっきからスマートフォンを難しい顔で覗き込んでいる。

「どしたん?」
「客。休みの日に遊ぼうって、しつこいねん」

 そう言いながらも、エリカは画面をフリックし、かわいらしいスタンプを駆使している。ちらりと覗くと、うさぎが謝っている動作のスタンプが見えた。

「どう? 終わりそう?」
「んー、もう終わりにするわ。キリないもん」

 エリカはスマートフォンをバッグに投げ込み、テーブルの上の作曲理論のプリントを指で繰った。

「出席してたら、単位大丈夫やんなぁ」

 七月の終わり、大学は試験期間に突入する。この日も、専門科目の一つである作曲理論の試験が次に控えていた。

「大丈夫ちゃう? 可でええんやろ?」
 答えると、エリカは渋い顔で頷いた。

 大学では、随分前から学生の保護者に成績を送付することになっている。数年前、単位を落とした学生の保護者からのクレームがあったことで、授業にきちんと出席をしている生徒を不可とすることは難しくなったと噂に聞いた。その代わり、出欠は厳密化されており、ICカードとなった学生証を端末にかざさなければならない。

「あー、もう、とりあえず単位取れたらええわ」
 エリカは勉強を諦めたのか、大きく天井を仰いだ。

「そやな。とりあえず進級できたら、それでええわ」
 同意して、アイスコーヒーを啜る。

 作曲の先生は変わり者で、授業に出ても、ボソボソした声を聞き取るのは難しい。授業中、真面目に話を聞こうとする生徒は片手で数えられるほどしかいなかった。

「そんなことより、先週、ダイヤモンド入ってへんかったやろ?」
 エリカは急に元気になって、わたしの顔を覗き込んだ。

「譲さんと撮影に行っとった」
「どういうこと?」

「写真のモデル、頼まれてん。夜景撮るって言うから、ダイヤモンドのシフト入れへんかってん」
「それって、やらしいモデルちゃうやんなぁ?」

 エリカはおそるおそるといった目でわたしをもう一度のぞき込む。

「ちゃうよ。ほら、こんなん」
 わたしは自分のスマートフォンを取り出し、譲さんから送られてきたLINEの画像を取り出した。

 先週の土曜、わたし達は大阪駅の真上、ノースゲートビルディングの「風の広場」で撮影をした。煌々と照らされている夜景を背に、譲さんの指示通り、ポーズを決める。LINEの画像では、ビル風に髪を流されたわたしの横顔が写っている。譲さんは謙遜していたが、ぼけた夜景を背にした躍動感のある写真で、実物より美しく見える。

「えー、すごい。きれいやん」
 エリカは感心したように言ってから、
「で、これってお金もらえんの?」
 と写真とわたしの顔とを見比べた。

「うん。モデル料やって。お小遣いくれたわ」
「なんぼくれんの?」

 撮影したのは一時間足らずだが、封筒には一万円入っていた。ダイヤモンドで二十時から終電まで働いても、その値段には届かない。

 目を輝かせているエリカには、
「ダイヤモンドと同じくらい」
 と金額をごまかす。

「それやったら、そっちの方がええなぁ」

 エリカはため息をつく。ダイヤモンドのバイトは、コンビニのそれよりは効率がいい。しかし、客とLINEをしたり、店の前にご飯を食べに行ったりするような面倒が伴う。一時間で一万円というのは魅力的なモデル料だった。

「譲さんから聞いたけど、撮影モデルっていうバイトがあるらしいわ」
「そうなん? すぐできるん?」

「なんや、エージェントに登録してどうこうって言うてたけどなぁ」
 エリカは眉を寄せた。
「なんや面倒そうやなぁ」

 エージェントを通すということは、取り分が減ることにもなる。おまけに、譲さんの話では、エージェントに登録するにも審査があったり、自分の写真を持って行ったりすることが必要になるらしい。ダイヤモンドでそこそこ客のいるエリカには、面倒な話かもしれない。

「けど、譲さん、やらしいことしたりせえへんの?」
「そんなんないよ、譲さんは」

「そんなんもなしで、撮影して、お小遣いくれんの?」
 頷くと、エリカは首を傾げた。

「うらやましい。うらやましいんやけど……なんや妙な気ぃするなぁ」
「妙って、どういうことよ?」
「わからん。わからんのやけど、とにかく妙な気ぃすんねん」

 とエリカはダイヤモンドの村田と同じようなことを言う。しばらく首を傾げていたエリカだったが、
「そうや。試験終わったら、夏休みやろ? ダイヤモンドのシフト、どうすんの?」
 と急に話題を変えた。

「そうやなぁ、せっかくやから平日も入りたいけど、平日は客少ないやろ?」
 客の少ないわたしが平日に入っても、できることは限られている。
「せやけど、わたしはガッツリ入るで」
 とエリカはニッと笑った。

「稼ぎますねぇ」
 とわたしも笑う。たくましいエリカのことだ。きっと夏休みにまとまった金を手に入れるだろう。

「けど、その前に、とりあえず、試験やで」
 わたしがプリントを手に言うと、エリカは肩を落とした。

「ほんま、面倒やわ」

 それでも、試験を受けないことには「可」の単位も出ない。
 わたしたちはプリントをバッグに放り込み、カフェテリアを後にした。



 自宅の最寄り駅のバスロータリーは、閑散としていた。日曜の朝八時から、バスに乗ってどこかに行こうという人は少ないのだろう。おまけに、八月に入ると、朝から強い日差しが肌を刺す。外出する意欲を奪うような暑さの中、蝉の鳴き声だけが響いた。

 わたしは日陰を探し、駅の改札口の横に立って、譲さんの車を目で探した。しばらくすると、なにわナンバーのグレーのアウディーがロータリーに止まり、窓から譲さんが顔を覗かせた。

「ナオミちゃん、こっちや」
 小走りに駆けて、助手席に滑り込む。クーラーの効いた車内で、ゆっくりと汗が引いていく。

「すみません、迎えに来ていただいて」

 譲さんは、
「かめへん、かめへん。撮影に来てくれるんやから」
 とカーナビの画面にタッチした。

 八月に入った今日、譲さんのリクエストで、わたしたちは大阪府の南部の公園に、撮影をしに行くことになった。ひまわり畑が有名だというその有料公園は、公共交通機関で行くには辺鄙な場所にあり、譲さんが車を出すことになった。わたしの家は公園とは反対方向だが、譲さんは最寄り駅まで迎えに来てくれた。

 男の人の車に乗るということに、普段なら抵抗を感じるところだが、相手が譲さんということで、なぜだか不安も感じることなく助手席に座っていることができる。

 GパンにTシャツといったラフな格好の譲さんは、カーナビをセットし終えて、車を走らせた。

「白いワンピース、着てくれたんや」
 と譲さんは満足そうに微笑む。

 ノースリーブの白いワンピースは膝丈で、体のラインに沿っている。足下は色を揃えて白のサンダル。日焼け防止に白の薄いパーカーを着込んだから、全身が真っ白のコーディネートだ。

「バーゲンで安かったから、買ったんです」
「わざわざ買うてくれたん?」

「わざわざというか……せっかくやから、きれいに撮って欲しいですし」
「そら悪いことしたなぁ。服のお金も出さなあかんわ」

 撮影することになったとき、譲さんは、もしあれば白いワンピースを着てほしいとリクエストしてきた。ひまわりと白を対比させたらきれいだと言う。なければ違う色でいいとは言われたが、ダイヤモンドのバイトの前に、駅ビルでバーゲンになっていたこのワンピースを見つけた。白地にレースの模様が美しいが、ぴったりと体のラインを拾うデザインだから、売れ残っていたのだろう。元値が一万を越えるのに、七割引きで購入できた。

 信号待ちで、譲さんはわたしの姿を見て、
「うん、やっぱええわ。よう似合うてる。ええ写真が撮れそうや」
 と笑った。

 車はナビの指示通り、高速道路に入っていく。
「そういえば、昨日はダイヤモンド入ってたん?」
 譲さんは運転しながら聞く。

「昨日は休みました。今日早いし」
 ダイヤモンドは一週間前にシフトを出す仕組みになっている。そのため、金曜はシフトに入ったが、撮影の前日となる土曜はシフトを入れていなかった。

「悪かったなぁ」
「いいんです。わたし、お客さん少ないし」

 金・土は客が多く、バイト代も稼げるため、女の子達は基本的にそこをメインにシフトを組む。わたしのシフト表を見た村田は何か言いたそうに口をモゴモゴ動かしたが、結局、何も言わずにその表を受け取った。

 車はインターチェンジを経由し、次の高速道路に入っていく。べったりと塗りたくったような青空が、窓に広がる。

「平日は何してんの?」
 譲さんは前を見たまま、声を出した。

「今は夏休みですけど。普段は学生なんです。大学生」
 譲さんは、小さく、へぇ、と相槌を打った。ダイヤモンドでは、ガールズバー専業で働いている女の子はほとんどいない。学生やOLが多いから、大学生という答えは意外性がなかったのだろう。

「何の勉強してんの?」
「音楽です」
「それはええなぁ」
 譲さんは指でハンドルを軽く叩く。

「お嬢様って感じやなぁ」
「そんなんちゃいますよ。うちは普通の家庭です」
「それかて、大学で音楽してるんはすごいわ」

 車は高速を降り、一般道に入る。交差点を越え、二車線の道を進む。道の左右は点在していた木々が徐々に増え、鬱蒼とした木々が日差しを遮るようになった。

「ほな、今は夏休みか?」
「ええ。九月末くらいまで、休みなんです」

「そしたら何してんの?」
「何も。特にすることもないんで」

 譲さんは、また、へえ、と相槌を打った。

 木陰を越えると、急に周りが開け、大きな駐車場が顔を出した。譲さんはそこに車をつけた。

「道が空いてて助かったわ」
 後部座席のシートから、譲さんは大きなリュックを取り出す。以前夜景を撮ったときと同じものだから、今日も撮影機材が入っているのだろう。

 車を出ると、太陽が容赦なく降り注ぐ。
 公園の入場ゲートを越えて、園の奥に進む。角を曲がると、急に、広大なひまわり畑が広がった。

「すごいですね」
「きれいやろ?」
 譲さんはリュックからカメラとレンズを取り出した。

「ほな、はじめよか」
 白いサンダルで畑を進む。ぬかるんでいないかおそるおそる歩を進めたが、日差しのせいか、土はやわらかく乾いて、サンダルを汚さない。わたしは羽織っていたパーカーを譲さんに預けた。

「ほな、まずはこっち向いて」
 ひまわりの長く伸びた茎に手を当て、譲さんの方を向く。譲さんは少しずつ位置を変えながら、シャッターを押さえる。連写モードなのか、シャッター音が連続して響いた。

「ほな、ひまわり見て」
 背丈より高い位置にある、ひまわりの花を見上げる。まぶしくて目を細めると、またシャッター音が響いた。

「ナオミちゃん、なんや足、きれいやな」
 腰を落として撮影していた譲さんが、何気なく言った。

「ペティキュアのことですか?」
「そう、それや」

 昨日の夜、ピンクのペティキュアを塗った。足の指先は陽の光を反射して、光っている。

「なんや、今日の服によう似合うてるわ」
「ありがとうございます」
 笑うと、またシャッター音が響いた。

「せっかくやから、全身撮らなあかんな」
 譲さんは地面ぎりぎりにカメラを持ち、見上げるように撮影する。

「パンツ見えません?」
「あほ、そんなん撮るかいな」

 譲さんのポーズ指示は続く。その度に、シャッター音が響いた。

 畑の中を、時折、家族連れやカップルが通り過ぎていく。カメラ機材を抱えた四十男と若い女の二人連れに、時折好奇な視線が刺さる。撮影に他の人が映り込まないよう、人影を避けながら、指示された通りポーズを撮った。

 一時間くらい経っただろうか。譲さんのTシャツが汗で染まったころ、ようやく、
「ほな、このへんにしとこか」
 という声が聞こえた。

 太陽はちょうど真上にいる。
「暑いですね」
「ほんまや。よう頑張ってくれたなぁ」

 畑を出て、小さな販売所で水を買う。冷えた水は、喉を通って全身の熱を剥いでいくようだった。

 販売所の中で、譲さんはカメラの小さな画面を確認する。
「いいの撮れました?」
「うん。かなりええんちゃうかな。ええやつはまたLINEで送るわ」

 駐車場に戻って、譲さんは後部座席から今度はパソコンを取り出し、カメラのSDカードを差し込んだ。

「見るか?」
 ようやくクーラーが効き始めた車内で、譲さんのパソコンを覗く。サムネイルで表示されている画像は、どれもさわやかで、いやらしさはない。譲さんがリクエストした通り、ひまわり畑に白いワンピースはコントラストが効いている。ただ、数枚、誤って撮ったのだろう、空だけの写真や、ひまわりだけのピンボケの写真、足先がアップになった写真が紛れていた。

 汗で化粧が剥げることを気にしていたが、写真ではそんな様子は見られず、胸をなで下す。

「どうや?」
「きれいに撮れてますねえ」
「せやろ。モデルさんがええからな」
 譲さんは満足そうに笑って、タオルで顔の汗を拭った。

「この近くに、美味いイタリアンあんねん。ランチ食べよか」
 パソコンや機材を後部座席に片づけ、譲さんは車を動かし始めた。

「しっかし、夏休み、することなかったら暇やろう」
「めっちゃ暇です、予定ないんで。それに、自宅があんまり居心地よくないんですよね」

「なんで?」
「母がずっと家にいるんです。何するにしても母に見られてるような気がしてしまって」
「実家やとそんなんあるよなぁ」

 車は来た道を戻り、高速を越えて反対の方向に走る。海の近くにあるイタリアンの店は、海鮮料理が美味しいのだと譲さんは話す。

「そんなんやったら、昼間、うちのマンション使うか? 昼間誰もおらんし」
 譲さんは笑って言う。

「え、さすがにちょっとそれは……」
 真面目に答えたつもりだったが、譲さんは笑った。

「冗談や」
 曖昧にうなずく。譲さんとの会話は、どこまで本気なのかがわかりにくい。

「マンションに住んでるんですか?」
「うん。一人で暮らしてる。せやから、家事が困るねんな」
「ご自分でされてるんですか?」
「一応な。適当やけど」
「すごいですね」
「せやけど、面倒やねんな」
 譲さんは首の後ろを掻いた。

「あ、そや。うちで家事してくれんかな? 掃除とか、洗濯とかしてくれたら、お礼するけど」
「はぁ」

 家では母が家事をしてくれるから、わたしは家事らしきものをしたことがほとんどない。人の家事を請け負うような自信はないが、譲さんがくれるであろうお礼を考えると、魅力的なバイトのような気はした。

 車は交差点を曲がり、海沿いの道を進む。しばらくすると、白い箱のような建物が見えた。車は広い駐車場に入る。

 店に入る前に、
「そうや。大事なん忘れてた」
 と譲さんはお礼が入っているのだろう、Gパンのポケットから折れた封筒を取り出して、わたしに渡した。

(続く)

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