R.N.幸福ペンギン

なんか週一で書いてる時もありました

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最近の記事

2023 乗り越えた

今年もあれよあれよと終わっていきました。 今年も、観たものたちを貼り付けます。わざわざメモしているから。 今年は社会人1年目で本当にしんどいことが多かったです。 人生の岐路という岐路で自分が努力をしない道を選んでばっかりだったことを改めて思い知らされました。でも、これまでと比べ物にならない環境で過ごしたこの一年、自分は間違いなく頑張りました。そしてまた今年も、自分の好きなものや、気にかけてくれる人たちに何度も心を救われました。本当にありがとうございました。 辞められるもんな

    • 周りのみんなは完璧じゃないけど、うまくやるのが上手くて羨ましい

      • 見聞き 2022

        年末特有の寂しさとか焦りみたいなものを感じながら一年を振り返ってみると、変わらずメールを送ったりライブに行くだけではなくて、なんと今年は生大喜利に行ったりTwitterの人と会ったりしていました。またしても予想しなかったことばっかり起こった年だなと思います。 友達がいろいろあって学生芸人になったのもあり出会いも多かったですが、みんな魅力的で、面白い人は物腰が柔らかいんだと思いました。 僕が直接話した人にどんな印象を与えたかは分かりませんが、全部必要な出会いだったと思っています

        • 悔しいのはありがたいこと

          「ママタルトのラジオ母ちゃん」ガチの大喜利Season7を3位で終えました。 3位になったのは2回目。でも単独で3位は初めて。よくやった。自分のレベルからしてどう考えてもよくやってる。 初めて3位になれたときも、Season6で2位(同率)になれたときも、もう二度とこんなにポイントは取れないと思った。でも、今回は過去最多の9ポイント取れた。本当によくやってると思う。 自分はSeason1からずっとこのレースに挑戦している。最初は1ポイントでも取れれば嬉しかったし、ずっと

        2023 乗り越えた

          トム・ブラウンのオールナイトニッポンで読まれた興奮そのままに書いたけど出すタイミングを逃した乱文

          霜降り明星のオールナイトニッポンの代打で行われた、トム・ブラウンのオールナイトニッポンで採用された。 オールナイトニッポンで採用されるのは初めてのこと(2部を含めれば2019年の佐久間宣行のオールナイトニッポン0以来)だった。 こんな無名も無名のリスナーの喜びのツイートに50もいいねしてもらって、それ以上に何を望むのかという話だが、これだけはとりあえず文字にしておきたかった。 何がそんなに嬉しかったのか。 まずはそのまま、オールナイトニッポンでの採用が初めてだったこと。

          トム・ブラウンのオールナイトニッポンで読まれた興奮そのままに書いたけど出すタイミングを逃した乱文

          2021年お疲れ様でした

          今年ももう終わろうとしています。あっという間だったとも思えるし、人生で1番能動的にコンテンツに触れたので、振り返ると濃ゆくて長かったような気もします。 ラジオ母ちゃんのガチの大喜利で3位になったり2位になったり、プリ右から24時のハコに連れて行ってもらったり、ここオズにした投稿がマンガになったり、ラジ父で初採用されたりと、年始にラジオへの投稿を頑張るというツイートをしたのですが、割とその通りにできたなと感じています。 あと関係ないですが画像ツイートがバズった年でした。M-1

          2021年お疲れ様でした

          数字以上の差

          22週目。 先週、ママタルトのラジオ母ちゃん「ガチの大喜利」シーズン6を同率2位で終えることができました。ラジ母の話題でnoteを書くのはもう何回目でしょうか。 正直2位になれた嬉しさより、優勝できなかった悔しさのほうが大きく残っています。以前同率3位になれたときは素直にめちゃくちゃ嬉しかったのに何故なのかと考えると、やっぱり優勝者の顔パンパンさんと1ポイントしか差がなかった(僕の集計ではそうでした。)からだと思います。 3位になれたシーズン4では確か5ポイントくらい差が

          怒涛

          13週目。 色々あった。俺の友達に恐るべき行動力があったおかげで色々あった。 9/18にライヴ喫茶亀で初舞台を経験させて頂きました。これはひとえに友達の行動力と、ライヴ喫茶亀のご厚意のおかげです。ただの大学生が舞台に上がっていいのか、正直怖くて仕方なかったですが、ヤングのお二人もお客さんもとても暖かくて、本当にありがたい限りでした。 M-1に出ようと自分が決断するまでが遅かったせいでエントリーがギリギリになった中、舞台に立つ機会をもぎとってきてくれた、そもそも漫才をしよう

          この日を良い日と呼ばずして

          8週目。 先週の8月18日は、三つの目標を達成した日になりました。 一つ目は、しゃれこめカナメストーンを見て惹かれてしまった、PROPPERのパンツを買うこと。いつもは専らズボンと呼んでいますが、パンツと言わせて頂いております。黒色のスキニーだけに逃げていた自分のファッションに、一筋の光が差したのです。 良いおズボンなので、今まで買ったおズボンで1番良いお値段がしました。でも、絶対に買うと決めていた私は一度試着してから、他の商品に目もくれずお会計をしました。そのスムーズさは

          この日を良い日と呼ばずして

          2年ぶり二度目

          7週目。 久しぶりに会う友達に、「最近何してんの」「なんか面白いことあった?」みたいなことを聞かれても、「いろんなラジオに投稿していて、いくつかの番組ではそこそこ採用されてる」という自分の周辺から見たら珍しい話はあるもののTwitterがバレるので言えるはずもなく、たまに映画を見たりする以外何にもしてない人として過ごしています。これはラジオリスナーなら分かってくれる人が一定数いそう。 先週もラジオ関連のことしかここに書けることはなかったです。身バレが怖い。 まずはプリ右で

          2年ぶり二度目

          やなパワポ

          6週目。自分で勝手に始めたものなので、今週はですます調で書きます。 先週の初めに黒帯会議を観に行きました。森ノ宮漫才劇場に行くのも、ゲストの侍スライスを生で観るのも初めてでした。侍スライスが森ノ宮でネタをするのも初めてだったらしくて、偶然にも貴重な場面を見ることができて嬉しかったです。 そして図らずしてその日は緊急事態宣言発令の初日でした。発令以前から入っていた予定なのでもうそれは許して欲しい。隣に座ったサラリーマンが「緊急事態宣言の初日にこんなに集まってw」みたいなことを

          行ってこい

          5週目。 今回はラジオのことで書きたいことがいっぱいある。 元なかよしビクトリーズの下村さんは芸人を引退したけど、テレビ朝日の寒川さんとradiotalkで「もへの方向性ブレブレィディオ」という番組を続けていて、自分はこれを初回から聴いている。もへというのは下村さんのあだ名らしい。何それ。下村達也→もへ マジで何それ。 この番組を聴けば、本を一冊も読んだことがなかったり、理科はいらないと言ったり、下村さんの人として珍奇な部分が存分にわかる。10年以上芸人を続けて、メディアにも

          止まれないのが本マグロ

          誰かが浅草キッドを匂わす発言をしたときには、すぐに「煮込みしかない鯨屋ええねん」と言えるように準備している。でも誰もそんなボケはしない。「煮込みしかない鯨屋ええねん」って言いたい。 無事に2週目。 先週は配信でママタルトの単独ライブ「エキサイティングステーション」、よしもと漫才劇場でねこ屋敷の単独ライブ「ぴ」を観た。生でライブを見るのは4ヶ月ぶりだった。 ママタルトの単独は、「うどん屋」「バスガイド」「川」が特に好きだった。「私が小麦粉であったら、参っちゃいますよこんな

          止まれないのが本マグロ

          多分、続かない。

          noteは毎週投稿したとか、何回投稿したとか、何回スキ(いいね)したとか、事あるごとに褒めてくれて気分がいい。 ただ最近noteをほったらかしにしているところがあるし、褒められたいので、できれば毎週月曜日に何かしら書こうと思う。できれば。 とりあえず今思っていることといえば、とにかく霜降り明星ANNで読まれてみたい。一回でいい。でも、メール投稿しているラジオは一つではない。ラジ父でも読まれてみたいし、ラジ母でもプリ右でもできることなら毎週読まれたいし、ここオズでもまた読ま

          多分、続かない。

          有頂天

          ママタルトのラジオ母ちゃん「ガチの大喜利」シーズン4で3位タイになれました。 放送後はかっこつけて落ち着いた文体でツイートしたんですが、本当は部屋の中をウロウロウロウロしていました。 こういうのは優勝してから書くべきだし、というか優勝するほど面白い人はnoteに書かないんだろうと思います。いや、もちろん書くのは自由ですよ。 でも嬉しかったんですよね。とにかく嬉しかった。運動できなくて、頭も悪くて、経験した3位といえばサッカー部の時3番手だったことくらいだから、大袈裟です

          許そう。だが忘れない。

          許そう。だが忘れない。第二次世界大戦で、過去の戦争の歴史についてシンガポールが日本に対して言った言葉だそうだ。 中学生の頃、テレビを見ているときに目に飛び込んできた。直感的に、大事な言葉な気がした。 自分は根に持つタイプだと思う。嫌な気持ちにされたほうが、それを忘れないから人間が小さいみたいな風潮は嫌いだ。 自分は小学生の頃いじめられた経験がある。何年もとかじゃなくて、多分あれは2ヶ月くらいで断続的に、いじめに一般的もクソもあってはいけないが、一般的なものより短かったと

          許そう。だが忘れない。