おみゅりこ。詩を語る
(๑•ૅㅁ•๑)『詩を語りたいでしこ。語るでしこ』
うんわかった‼️
――詩は意志、そして日常と虚空的な想像世界の変換作業だ。
最近は他人の詩を積極的に読むようにしている。以前はそれがノイズになると思い込み、意識的に避けていた。
が、今やってる詩に関する創作の過程で、大きな手応えを感じ考えを改めた。
去年、このnote上に居る詩人のコメント欄に『とても参考になりました』と書いてあった。今にして思えばbot的なヤツなんだろうが、当時の私はブチ切れた。
【詩は眺めるものだ】
あたかも、それぞれが屹立した鋭い岩の上に立っている感覚。『お前も大変だな💦』と危ういバランスの中思う程度で、参考云々どころじゃない。
さて、私は自分の記事内で散々この言葉を使ってきた↓
【事実の羅列はつまらない】
そこに需要と使用用途(記録等)があるのは理解できる。でもな、コレ、貶してるわけじゃないんだ。私は散々人生で誤解されまくりで疲れたが、主張はやめない。
ただ単に『もっと面白く書けるのになぁ』って悔しみに近い感情が湧いてるのだ。
プラス、何度も何度も日記を始めては三日坊主を繰り返した私は断言したい。
日記書いてて面白いと思った事がない
……実際そうなんだ❗️
そりゃ三日坊主になるって。だって面白くないから。
でも巷にゃあ、『魔法のような日記(メモ)術♪』的なハウツーと自己啓発を混ぜたような意味不明な書籍が乱発されている。
他人にとっては魔法かもしれないが、私にとってはクソだった。あれに書かれてるのは『他人の結果』だ。
あんな引き伸ばしの集大成のような本はオススメしない。私のメソッドはシンプルだ。参考にしてくれ。
『自分が楽しいって思えるフォーマットを選びゃあ……いんじゃない⁉️』
……だ。続けていくウチに段々楽しさがわかってくるとか、そんな感覚や強迫観念的モノは無視していい。
今のお前が楽しけりゃ それでいい
もーうほんまシンプル。
楽しいから継続→もっと楽しくなる❗️
――ね?
私の場合それが詩とか物語を作るだった。
『ひとつのコトも継続できないなんて……お前はダメ人間で集中力も志もない自堕落野朗だ』なんて思わんでええで。『今』の自分が『楽しくない』と感じたらポイっです。
そんで新しい楽しさを探せばいいでしよ❤︎
他人の詩ってのは、そりゃワケわからんさ。
きっと私の詩もワケわからんだろう。
でも、それでいいんだ。
『このように思わせたい!』とかイチイチね、思ってちゃあ固くなる。
読む時も『この作者はこの詩を書いた時、こういう境遇でこんな場所に居て、その経験から――』
みたいな事を考えてたら授業みたいでつまらない。
私はただ『思考の形跡』を感じ取れればそれでいい。
これを感じられるのは日記でもエッセイでもなく『詩』のみなのだ。
変換された意味不明に近い形跡
ぐらいの存在が丁度いいと思う。
とはいえ私だって『ムズイんじゃボケェ❗️』と放り出した詩集もある。でも、それでいいんだ。爽やかな旅行の車中でデスメタルが大音量で流れてたらイヤでしょ?(実体験)
気分に合わない詩も歌も、無理に『理解しなきゃ……』って自分を追い詰めなくていい。
とある作家が自分のエッセイの中に書いていた。同じく作家の先輩に師事を乞うと『カフカを読め』の一点張り。それくらいの態度でいいんだ。
こんこんと説明をおっぱじめる先輩作家なんて私もイヤだね。
それと一緒。
私の一点張りはこうだ。
なんかスッと入ってくる詩を読めばぁ❓
……だ。
ビール愛好家にウォッカを差し出しちゃならん。アルハラならぬポエハラだ。
えっとあと……日記みたいな事実羅列物には『行間』が不在のように思いますねぇ。なぜなら事実であり、想像の余地が少ないから(ゼロではない)
それを『詩/歌』に変換すれば、人は勝手に想像を始める。この自動運転的な感覚が日常を満たせば、生きるのが楽しくなる。じゃ、結論。
詩は人生を楽しくするよ❗️
みんなもやってみよう❗️
あと加えるなら心の奥底の汚ねぇぐちゃぐちゃを噴出させたような作品が好きだ。
春風のように爽やかで人間賛美的なモノや世界賞美的で流麗な詩は、どうもウソ臭く感じる。
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