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タクフォレストリー
2024年3月22日 19:30
1.伝説の新聞勧誘員高校の同級生である福田のことを書こうと思う。それは21世紀を目前に控えた1998年、上京して、たまたま近くに2人は暮らしていた。彼は高校を卒業し、品川区の荏原中延にある独身寮に住んでいた。僕も近くの川崎市に居たので徳島の田舎者同士でよくつるんでいた。僕らは別々の会社に勤めていたが、常にお金がなく、蒲田駅のボロくて安い居酒屋で飲むことが多かった。そんな中、福田は給
2024年3月19日 10:34
1.レッスンコーチとメッセンジャーシドニーオリンピックが終了し、北京五輪が3年後に迫っていた。僕は社会人ランナーとして勤めていた会社を辞め、トライアスロンに挑戦するという暴挙にでた。3年勤めた会社を退職したのだが、しばらくは、辞めた会社の社員寮で暮らしていた。そこは、「退職しても1年間は残っていい」という親心のような緩い規則があった。今から思えば、会社を辞めた人間が、その社員
2024年3月12日 12:04
1.さらばゴールドコーストトライアスロンのプロになるとオーストラリアまで来たものの、すでに気持ちが折れ、限界を感じていた。クイーンズランド州ゴールドコーストにある、トライアスロンのクラブチームに通い出して、もう半年近く経とうとしていた。「自分じゃ、無理かも、、駄目だな、、、」と自己不信に陥り、半ば腐っていた。そんな中、雄一くんとの出会いによって、引退を意識し始める。僕はこっちのト
2024年3月2日 13:58
1.プロローグ夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、親父が癇癪を起こし、一方的に怒りつけ、それをオカンは「ハイ、ハイ」と聞き流す。そんな喧嘩というか、かなり激しめの癇癪は、日課のように起こっていた。瞬間湯沸かし器のごとく、癇癪を繰り返す親父は、ご近所の名物でもあった。子供の教育はビンタが基本。悪い事をしたら、怒るよりも先に、平手が顔や頭に飛んできた。しかし小学生の頃は、「当たり