見出し画像

時間とモノと思い入れ。

近況報告

留学のため、アメリカのテキサス州のデントンという街のホステルに今はいる。入寮まで、一応10日間は寮ではない宿で過ごさないといけない。だから、今は毎日自分の時間がたっぷりある。久しぶりに立ち止まれている気分だ。ここ最近は忙しくて、noteと向き合う時間がなかった。noteを始めてからずっと、時間を見つけてはフォローしている人の記事を読んだり、自分でもnoteを執筆して楽しんでいた。でも、試験前になってパソコンと向かう時間が一段と長くなると、画面に向かうのが億劫になってしまった。しばらくはnoteを開いてすらいなかった。だけど、今はこうして少し一息つけている。だからまたnoteの時間を作ろうと思った。せっかく異国の地にいるのだから、別にnoteは後回しにしても良いとは思った。けれど、今その選択をしたら、一年後にはもうnoteを開く発想すら無くなってしまうかも知れない。それが少し怖いと言うか、何か失ってしまう気がして、今書くことにした。車を持っていないし、寮の友達もいない今は、夜に一人で出歩けない。必然的に夜は部屋で過ごすことになる。どうせ携帯、パソコン、テレビくらいしか構ってくれる相手はいない。こう書くとすごく惨めだけど、毎日外食に行ったり買い物をするだけでもたくさんの新しい事に出会えて、楽しい。注文のシステムをまるで理解していない自分は、毎回色々とこのメニューとドリンクのコンボは出来るのか、などと質問をしまくる。それをきっかけにちょっとした世間話が出来たり、他愛もない事だが、楽しい。日本との時差は14時間あるけれど、久しぶりに友達と通話もたくさんしている。だから、気が狂ったりだとか、そんな事はないと思う。笑(現在は午後6時前)

試験期間

2021年の7月は、この先もずっと忘れられない一ヶ月だった。大学四年生の夏、みんなは就職活動が終わってやっと余裕が出てきた頃。だけど、自分はたくさん取った授業に追われて、パソコンに向かう毎日を過ごしていた。なんでこんなに授業を取ったのかと言われれば、8月から留学で一年間アメリカに行くのが決まっていたから、帰ってきた時に単位の事で心配になりたくなかったからだった。大学一年生みたいな量のレポート試験で手こずっていた。22日で一旦は統一締切日を乗り切ったと思ったけれど、まだ月末締切のレポートをやらなければならなかった。試験期間とはいえ、ほぼ毎日のように友達と会っていた。一年間会えなくなるということでみんなと会いたかった。自分から会いたい友達に連絡したのと、友達が連絡をくれたのとの両方で、ほぼ毎日誰かと会う予定があって、忙しかった。でもこれは、悪い意味での忙しさではなかった。友達と会う予定の前後で課題に集中するしかない状況だった。自分は欲張りな性格だから、先に予定を詰めてしまいがちだ。だが、自分で立てた予定に合わせてなんとか頑張ると、意外と乗り切れてしまう。もう少しゆとりを持ったほうが良いのは重々承知の上だけど。結果なんとかなるなら、忙しいのは自分だから、それで良いということにしている。予定がずれ込んで、とんでもない目に実際に遭ってみないとこのクセは直らないんだと思う。

お引越し

そんな訳で、忙しいながらも、月末締切の課題も締切3日前までには終わらせられた。それは、大学に通うために一人暮らしをしていた京都の家の明け渡し作業をしないといけなかったからだ。もうかれこれ三年半住んだ自宅にはたくさんモノがあった。最初は空っぽだった家にも、暮らしているうちにアレコレとあったら便利な物を買い足していたら、かなりの量になってしまっていた。とてもじゃないけど、一人ではどうにも出来ない。今の実家がある札幌から、母親が荷物をまとめるのを手伝いに来てくれた。必要なモノをダンボールに詰めた。これらは大阪にある母の実家に運んだ。スペースの問題で、母の実家になんでもかんでも持っていくわけにはいかなかった。これを機に、優先順位の低い物は、友達に譲ったりして手放した。まだまだキレイなハンガーやタッパーは、使ってくれそうな友達に声をかけて、受け取ってもらった。タイヤを3セット分履きつぶすくらいよく乗っていた自転車も、友人に譲った。梅雨や、雨の日に大活躍していた洗濯物干しも、友人が使ってくれる事になった。物は物だけど、三年半も使っているとなんだか愛着を感じてしまっている。これは言い過ぎかも知れないが、どれも自分の生活を助けてくれていた「かけがえのない物」だと思う。だからこそ、まだまだ使える状態でそのまま捨てることには、強い抵抗感があった。自分がケチ臭いのはもちろんあると思うけれど、モノを大切に使うことは大事だと思っている。携帯アプリのジモティーも駆使して、なるべくゴミとして焼却処分しなくてはいけないものを減らそうと努力した。一例として、自分のベッドは、台湾出身の留学生が使ってくれる事になった。誰かが使ってくれるという事はすごく気持ちの良い事だ。やむを得ず手放さなくてはいけない自分の状況に対して、それを必要としてくれる人が見つかるなら、それが最善の策ではないだろうか。もちろんまとめて処分してしまえば一瞬で終わるから、時間的にはコスパが良いとも言える。だけど、そのやり方では自分の心がスッキリしないのは目に見えていた。どこから来ているのかはよくわからないけれど、正義感のようなものだ。だから、色々な友達に連絡したり、ジモティーで取引相手とのやり取りをする手間には、価値があったと思っている。こういう考え方も行き過ぎると、何も捨てられずにモノが溢れかえってしまうのだと思う。だけど、心持ちとしてはやっぱり大事だと思う。何にでも感謝出来る人になりたいと普段から割と思っている方だが、モノも例外ではないと感じた。

虚しさ

留学が終わって帰っても、もう京都には家はない。小学校から高校までを過ごした地元札幌にしか、帰る家はない。両親はもちろん、小学校からの幼馴染達もいるし、札幌に帰れれば満足と言えば満足だ。だけど、自分が予想していた以上に、自分は京都にお世話になっていた。三年半、初めて実家を出て、たくさんの経験をした。本当にたくさんの人に出会ったし、たくさんの思い出が出来た。地元札幌よりも、ずっとずっと詳しくなった。自分の足で歩いたり、自転車に乗ったり、バスに乗ったりしながら、本当によく街を見てきた三年半だった。高校生までは外食なんか少しもしなかったのに、大学生になると急に友達とご飯に行くようになって、美味しいお店もたくさん見つけた。こんな短文では語りきれないけれど、京都は将来の自分にとっての思い出の地になるんだと思う。京都で出来た友達とは、一生涯付き合って行くんだと思う。まだ日本に戻って実感した訳ではないけれど、もう京都に自分の家は事実に、どこか悲しさを感じてしまう。でも、この少し寂しい気持ちも、これからの一年間に自分が経験出来る事との交換条件だと思えば、どこか納得できる気もする。そんな訳で、文章を書いているともうすでに京都が恋しくなってしまっていたが、これからの一年間は目一杯新しいことを吸収していきたい。また、次のnoteでアメリカに着いてからのことについては書こうと思う。いつもオマケを書いているけれど、今回はもう既に3000文字近く書いてしまったので、オマケはなしにしておきます笑そういえば、丁寧語でnoteを書くって前に決めたはずが、気を抜くとまた雑な文体になってしまっていました。どうかお許しください!

最後まで読んで下さってありがとうございました。
また次回のnoteでお会い出来るのを楽しみにしています!

僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。