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仕送りとアルバイト。

効率

唐突だが、アルバイトは、正社員として働くのと比べると「自分が提供している労働」に対して貰えるお金の効率が良くない。コンビニの夜勤をしていた一年間、ずっとこう思っていた。学生身分で大した能力もないのに、こんな横柄な事を言うべきではないとは思う。だが、一つの事実として書いてみた。生活リズムを犠牲にして、身を擦り減らしているのに、深夜手当は少ししか出ない。週に3回ほどシフトに入って、10万円近いお金を貰えていたのだが、自分の健康面を考えると、夜勤は決して良いアルバイトではない。一時期は、そんなアルバイトで「自分の時間を切り売り」するのはもったいない、と思っていた。だから、親が自分のためを思って渡してくれている仕送りのお金で上手くやりくりしながら、必要なお金(交際費や趣味にかかるお金)はバイトで最低限補うのがベストだと考えていた。親が、仕送りを通して子に与えたいのは、「バイトに明け暮れなくてもいい環境」だろう。その分、バイトよりももっと有意義な事に時間を使う事がきっと親の期待することなのだと思う。だから、夜勤をしていると、親のその優しさと思いやりを踏みにじっている事にもなってしまう。

コンプレックス

仕送りは当たり前ではない。仕送りがあるのを前提に、ものを言うべきではないと思う。自分はここまでの人生で、金銭的に苦しい思いは一切せずに生きさせて貰ってきている。本当に両親への感謝の気持ちでいっぱいだ。だが、それは、自分のコンプレックスでもある。「親にお膳立てしてもらう快適な暮らし」は、社会人になって独り立ちしてからの「自立した暮らし」からは程遠い。血の繋がった家族とはいえ、仕送りも「人から貰ったお金」には違いない。親からの無条件の愛を受け取っているだけで、悪いことではないのかも知れない。しかし、「独り歩き出来ていない自分」という現実を常に突きつけられるような感覚がある。やっぱりまだまだ「こども」で、親の助けなしには何も出来ない。そんな感覚だ。小中高の間はこういた感覚は薄かったが、大学生になってからは、かなり感覚が変わったように思う。まだ学生の身分だから、自分を責めなくても良いのかも知れない。だが、「そんなのはただの甘えだ」と言われても何も言い返せない。親が自分のためを思って渡してくれているお金が、自分の小さな悩み(=コンプレックス)になっている。だから、罪滅ぼしの意識もあって、自分はアルバイトをずっと続けていた。とても悲しい構図だと思う。こんな複雑な心境になっているのも、全て自分のモノの見方、受け取り方次第なのはわかっている。仕送りから来る「罪悪感」にも近い感情を、自分の中で見つける度にやるせない気持ちになってしまう。わかっているだけに、余計に辛い。なんて贅沢な泣き言だろうか。でも、このやりきれない思いが、原動力になるのも確かだ。今はもう、「しょうがない」と割り切るしかないのだろうか…

喜び

少し話が変わるが、初めてアルバイトをした高校生の頃の話をしたい。初めての給与で、欲しい物を買った瞬間は、忘れられない。自分の力で稼いだお金で欲しかったモノを手に入れるのは実に悦ばしいことだ。「自分の生活のコントロール感が増す」という表現がピッタリだと思う。「自らが長時間のシフトを一週間に何日もこなし、手に入れたお金」の使いみちの決定権は、全て自分にある。親の仕送りの使い方も自分で決めて良いはずなのに、心の中には「自分で手に入れていないお金」だから…というモヤモヤ感が常に存在してしまう。自分で稼いだお金を使う時の満足感は、「親の仕送りをやりくりして貯めたお金」では得られない特別なものだ。こういった満足感や達成感、大切だと思う。

再発見

一番最初に、「アルバイトは効率が良くない」と書いた。これはあくまでお金のことだけを考えた場合で、そこで得られる経験を完全に無視してしまっている。大学生として過ごす時間は、今しかできない経験がたくさんできる時期であり、とても貴重だ。アルバイトは、給料は安いかも知れないが、色々な職場を覗かせて貰える機会だ。自分が日頃世話になっているレストランやカフェを始めとして、本当にたくさんの業種の現場に、お金を貰いながら潜り込める。社会人になって、会社勤めの生活が始まってから、アルバイトをするのは難しいと思う。その意味では、アルバイトは「期間限定」だ。
この発想に加えて、お金が欲しい一心で、大学に入ってから私は色々なバイトをしてきた。だが、途中で少し考え方が変わって、アルバイトで時間を無駄にしたくないと思うようになった。しかし、今もう一度考えてみると、大切な部分(アルバイトを通して得られる経験の価値)を見失ってしまっていたように思える。

近況報告

2021年秋から留学に行っていて、noteをしばらくおやすみしていました。ですが、7月末に実家に帰ってきて、また自分の好きな書くことを再開したいと思い、パソコンに向かうことにしました。私は留学先で1年間、バイトはしていませんでした。というよりは、バイトをするような余裕が自分にはありませんでした。先程も言ったとおり、本当は「罪滅ぼし」をしているべきなのに出来ていない…という思いもあったのに、「バイトは時間効率が悪い」を口実に、自己正当化をしていたのかも知れません。しかし、今はまた「経験」の部分の大切さを思い出して、久しぶりに戻ってきた地元で新しいバイトを探しています。大学一年生のとき、個人経営の和食屋でバイトをしていました。このバイトをしていない生活では、決して話すことがないであろう人たちと、カウンター越しで話すのが楽しかったのを思い出しました。常連さん達と、歳は違えど仲良くなれるのが好きでした。そこで、今回はバーでのアルバイトに応募してみました。カウンターに座るのはいつでも出来るけれど、その逆側に立てるチャンスはなかなかない、との思いからです。まだ決まってもいないのに、ワクワクしています。

最後に

文章をここまで書いてみて、まとまりがないな…という感覚が強いです。
ですが、書き続けていたら、良くなってくるだろうと思っています。ですので、これから先も僕の書く文章にお付き合いいただければ嬉しいです。この記事が誰に読んで貰えるのかはわかりませんが、私と同じ大学生で共感してくれた人、大学生の親御さんで「こんな発想は無かった」と思ってくれた人がもしいれば、コメントで思ったこと、感想等聞かせてくださいね!

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています!

僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。