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“昴”と“浪花恋しぐれ”で脚光を浴び人生が変わった気がする大阪のアノ日の夜

今朝は、谷村新司さんの訃報が各局の番組で報じられていました。
ヒットした曲を流しながら、谷村新司さんが歌う姿を織り交ぜて回顧する追悼コーナーが、各局の番組で放送されていましたね。(^_^)b

1つの局で追悼コーナーが一区切りすると、すぐにチャンネルを他の局に変えて、また同じような追悼コーナーを夫婦して視聴していた朝でした。

追悼コーナーでも取り上げられていましたが、中国政府の外務省報道官までが「谷村さんが亡くなったことについて哀悼の意を表します」と公式会見の場で、わざわざ哀悼のコメントを表明してくれたことが異例でしたよね。😲

中国のSNSでも谷村新司さんの訃報によって、検索ランキングの2位にランクインしたそうなので、中国の国民にも慕われていたのがわかります。


チンペイさんの楽曲の中で、代表曲といえるのが「昴ーすばる」だと思いますが、ちょうど30歳でしたが大阪の企業に転職した頃に、盛んに歌われていたカラオケの人気曲だったんですよ。

大阪といえば、よその土地から引っ越してきたニワカ住民からみて、大阪人のしゃべくり合う様子は、そのまんま漫才でした。

鹿児島から大阪に転居した当時は、朝や夕方の通勤時間帯に耳にする大阪弁がまるでお笑い番組をみているかと、錯覚を起こすほど、おもしろかった。

そんな大阪人の同僚たちと繰り出すカラオケで、無粋な鹿児島県人の私は笑わされてばかりでした。

新しい職場に転職して10ヶ月ほど過ぎた年末に、職場を挙げての忘年会が会社の大会議室で開催されました。その余興のメインイベントが、各職場対抗のカラオケ歌合戦という企画だったのです。

当時、事業開発部という組織に配属されていた私は、中途採用された身だったので、職場の年下の若手社員たちを先輩と仰ぎ、彼らと親しくしていたのですね。

さて、我が職場からの歌合戦の選手を誰にするか。そう幹事から求められた若手社員たちが私の名前を出すと、職場中がそれはおもしろいと。

そういう経緯で歌合戦の選手に選ばれてしまったのです。😨

カラオケにも慣れず、歌もそんなにうまくない私は苦笑いしながら職場の期待に応えようと、選曲に頭を悩ましたのです。

そこで鹿子島時代に買い求めてい、チンペイさんのカセットテープのアルバムです。当時はまだCDも出回っていなかったので、アルバムと言えばカセットテープでした。

そのアルバムの中からカラオケで人気の「昴」にしようとしたものの、イマイチ盛り上がらんだろうなと。だって「昴」は歌う本人だけが酔いしれているだけで、聞かされる側からすると「はよ、止めろ」って曲ですもんね。

それで練った作戦が、経営トップである社長とナンバー2の専務が、ともに同じ鹿児島出身であることに賭けてみようと企んだのです。

はい、審査結果の決定は、たぶんお二人の意向に沿って決まるのだろうという読みからですね。

で、選んだ曲がその年に発売されてヒットしていた「浪花恋しぐれ」です。
この「浪花恋しぐれ」というデュエット曲を、男役と女役の二役を裏声を使って歌い分けようという魂胆です。

歌合戦で歌う曲を決めてから、北新地のスナックに出かけてカラオケ練習を始めました。

いよいよ今夜は、会社の忘年会、という日がやって来ました。


と、ここまで書いたところでずいぶん長くなってしまったので、この続きのクライマックスは、サブアカウント『やらぽん塾長★のほほんnote塾』の本日投稿の記事にするというリレー投稿にさせていただきます。😆

初めての試みですが、長くなってしまいそうな記事を2日間に分けて投稿するより、同じ日付で投稿できる『やらぽん塾長★のほほんnote塾』の記事として、2つのアカウントをリレーする形をとってみました。🤗

どうぞ、この続きはサブアカウントのこちらの記事でご覧下さい。



ってことで、今回は
“昴”と“浪花恋しぐれ”で脚光を浴び人生が変わった気がする大阪のアノ日の夜」という人生の転機になった気がする大阪での思い出の話でした。😓
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。


では!

歌うより  聞き続けたい  のほほんと


<昨日投稿のサブアカの記事がこちら!>


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