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「土方巽 1960 しずかな家 II」アーカイヴ

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2016年4/2に横浜・黄金町界隈で行われたアートイベント「土方巽 1960 しずかな家 II」のアーカイヴです。2014年11月8日(土)〜9日(日)に行われた「土方巽 196… もっと読む
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土方巽 1960 しずかな家 II - 概要

このマガジンは、2016年4月2日(土)に横浜・黄金町界隈で行われたアートプロジェクト「土方巽 1960 しずかな家 II」のオンライン・アーカイヴです。

※2014年11月8日(土)〜9日(日)に行われた「土方巽 1960 しずかな家」(第1回開催分)のアーカイヴは、以下のURLを御覧下さい。

https://note.mu/yanvalou/m/mf984ce68093a

【 アートの

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土方巽 1960 しずかな家 II - 午前の部

≪舞踏とキャバレー:貴重な証人たちが語る知られざる歴史の詳細≫

【午前の部】

日時:2016年4月2日(土)
 午前10時〜12時(10:45開場)
会場:野毛地区センター会議室(横浜市中区野毛町3-160-4)
 JR 桜木町駅徒歩5分 京急線・日ノ出町駅徒歩5分

司会:武藤大祐(舞踊批評家) 
話者:大野慶人、小林嵯峨、田野日出子、川本裕子(東雲舞踏)

土方巽の弟子たちが、金塗りでキャ

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舞踏とキャバレー:貴重な証人たちが語る知られざる歴史の詳細-序

土方巽の弟子たちが、金塗りでキャバレー廻りをしていたことはよく知られています。
しかし土方が7軒とも8軒とも言われるキャバレーを自ら経営していた事実は余り知られていません。
土方の店では何が行われていたのか?
キャバレーと舞台公演はどんな関係にあったのか?
こうしたことを証言していただく機会を設けました。
(2016年4月2日 横浜市野毛地区センター会議室にて収録)
*このイベントは土方巽が横浜の

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舞踏とキャバレー:1 美術の純粋さと割り切れなさ

■1 美術の純粋さと割り切れなさ

武藤大祐(以下:武藤) おはようございます。本日は早い時間から「土方巽 1960 しずかな家」の午前の部にお越し頂きありがとうございます。この会の司会を務めさせて頂きますダンスの評論をやっております武藤大祐と申します。よろしくお願いいたします。
 まずはじめに今回の登壇者の皆さんをご紹介したいと思います。
 私の隣からですけど、ご紹介するまでもありませんが、大野

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舞踏とキャバレー:2 土方巽と大野慶人のショーダンサー時代

■2 土方巽と大野慶人のショーダンサー時代
 
武藤 早速今日の主題である「舞踏とキャバレー」の関係についてお伺いしていきたいと思います。
 皆さんのお手元に配られている「舞踏とキャバレー」という三枚綴りの資料(https://docs.com/dambala-tell-kaz/2499)があると思うんですけど、こちらを御覧になって頂きながらお話を伺って頂けるとよろしいかな、と思います。
 舞踏の

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舞踏とキャバレー:3 ショーダンスがやりたくて入ったら、舞踏になってしまった

■3 ショーダンスがやりたくて入ったら、舞踏になってしまった

嵯峨 私たちの頃は公演が多かったんですよ。次から次へいろんな公演があって一番盛んにやってた頃です。ショーの方はおざなりになってて、素人が(入った)次の日に行かされるみたいな感じでした。お金稼ぐ方はそんな感じで大きいところも行けるんだけれども、小さいところしか行けないとか。店にあるレコードでやるしかないとか。
武藤 いろんな演目があるな

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舞踏とキャバレー:4 キャバレーはもう夢のようでしたよ

■4 キャバレーはもう夢のようでしたよ

田野 キャバレーのフロアは、昔はすごく広かったのね。そんな土地を遊ばせるんだったらビルを建てて狭くして、という風に時代の変化と共に、歓楽街が段々と変化していく。そしてオイルショックの後、男たちは日活ポルノにかぶりつき。そういうのが出てくると純粋に踊りを見る人がいなくなるんですよ。それと共に(ショーダンスの)仕事が失くなっていったのね。
嵯峨 そうでしたね。

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舞踏とキャバレー:5 踊りは世につれ、世は踊りにつれ

■5 踊りは世につれ、世は踊りにつれ

武藤 川本さんはだいぶ世代が違ってきますけど、キャバレーと舞踏とに跨がった経験はお持ちですか?
川本裕子(以下:川本) わたしは「将軍」と「ブルート」「トップシークレット」というのに出てたんですけど、世代が違うので先輩方の当時の話をものすごく興味深く聞いてました。
 私は和栗さんの所に行ってアスベストで元藤さんから「(元藤さんの声色を真似て)裕子ちゃん、踊ん

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舞踏とキャバレー:6 あの頃、土方さんはひじょうに羽振りが良かった

■6 あの頃、土方さんはひじょうに羽振りが良かった

慶人 僕より10歳上が土方巽。それからまた23歳上が大野一雄なんだ。僕に言わせると土方巽と大野一雄は夢見る人なんだ。現実味が全然ないんだな。平気で夢みたいなことを考える。
 僕はいつも「お金はどうするんですか? やりたいのは分かるけどお金はどうするんですか?」と言ってお金の都合のことばかり考えてるんですよ。僕は横浜で17年間実業をしてましたから

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舞踏とキャバレー:7 流れと時間と身体のせめぎ合いを見ていた

■7 流れと時間と身体のせめぎ合いを見ていた

武藤 我々が「舞踏とキャバレー」と聞いてすぐに思い浮かぶのは「金粉ショー」のイメージなんですけど、それから先程からなんどかお話が出ている「レズビアンショー」ですとか。どういったことがどういった空間で行われていたのか、イメージを持ちたいな、とずっと思っていたんです。
嵯峨 レズビアンショーは、初期の「スペースカプセル」の頃から芦川さんと二人でやっていま

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舞踏とキャバレー:8 土方が手がけるショーの奇想天外な構成

■8 土方が手がけるショーの奇想天外な構成

武藤 話を少し戻しますと、田野さんが仰ったように土方は時間の構成が巧みだった、と。女の裸が見たくてお客さんが来るんだけれども、「それだったら裸を出せば良いんだろう」ということにすると、多分数分しか保たないと思うんですよね。「時間をどう保たせるのか」という所に時間の構成、別の言い方をすればドラマツルギーみたいなものが必要になってくる訳で、そこに踊りという

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舞踏とキャバレー:9 フィリピン人は土台がちがう

■9 フィリピン人は土台がちがう

武藤 徐々に、土方が経営していた「将軍」をはじめとするキャバレーにフォーカスを移していきたいと思います。
田野 あたしが(「将軍」に)いたときはフィリピンが入ってましたから。フィリピンが六本木に出入りして、そのときは全盛だったわね。それを目当てに来る方もいらっしゃる訳。そうすると前と後の振りをきちっとして、ステップをして……。
武藤 米軍との関係でフィリピンが入

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舞踏とキャバレー:10 娯楽が風俗と芸術に分裂して、真ん中が失くなった

■10 娯楽が風俗と芸術に分裂して、真ん中が失くなった

田野 あたしが60年代の前半に(キャバレーに)出て(ショーを)やったときに、岐阜に行くとパッケージショーというのがあった。3軒キャバレーがあって掛け持ちで行くんだけども、全部フルバンドで1回目がグループで踊って、2回目がソロの人が踊って、3回目がヌードが踊って、花魁の人の日舞ショーがあって、入浴ショーがあって、最後みなさんでご挨拶。そのくら

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土方巽 1960 しずかな家 II - 午後の部

≪舞踏の枠からはみ出る人選で野外公演≫

【午後の部・概要】
 土方巽が暮らしていた「赤門荘」と同じ通りに「東福寺」(高野山真言宗)という古刹があります。
この境内で脂の乗りきった実力派パフォーマー3組が熱演しました。

・奈佐健臣(一人芝居)× 河崎 純(音楽家)
・点滅(舞踏)× 落合敏行(音楽家)
・佐藤美紀(ダンス)× 大谷能生(サックス)

*各組約30分(上映予定時間:90分)
*各パ

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