舞踏とキャバレー:5 踊りは世につれ、世は踊りにつれ

■5 踊りは世につれ、世は踊りにつれ

武藤 川本さんはだいぶ世代が違ってきますけど、キャバレーと舞踏とに跨がった経験はお持ちですか?
川本裕子(以下:川本) わたしは「将軍」と「ブルート」「トップシークレット」というのに出てたんですけど、世代が違うので先輩方の当時の話をものすごく興味深く聞いてました。
 私は和栗さんの所に行ってアスベストで元藤さんから「(元藤さんの声色を真似て)裕子ちゃん、踊んない?」とかって言われて(会場笑)「将軍」に行くようになったんですけど、92年、3年なのでもうほとんど「将軍」の最後の方の時期です。
 諸先輩方がまだいて、わたしからするとカオスだったんですね。白桃房の結構年配の方たちが振付をやるって言ってツン一(* 舞踏家が穿くヒモパンだけを身に付けて)で「枝があるのよ」と言って白目むき始めるんですよ。「これがショーか?」と思って(会場笑) これがエロティックショーで白目を剥くこの人たちは何だろうと。
 日出子(* 田野)さんの振付とか、この通りの人なので「二人でこう胸板をすりあわせるのよ〜」とか言ってレズショーをやって下さるんですけど、床にはゴキブリがタタタターと走って(会場笑) すりあわせてるところにゴキブリが走り〜。ものすごい世界だなっていう。
 みなさん仰有るとおり、キャバレーというのがものすごく煌びやかな夜の世界で、みなさんそういうところに行っていてという話は聞いていたんですけど、最後の頃の「将軍」はお客さんもまばらでした。そのなかで残っている猥雑なショーというのは、「ここに来ないと見れないよな、この時代」という貴重な資料館みたいな感じで。わたしの時代は世の中にそれこそいろんな表現というのが出ていたので、「マンボ!」とかって「こういう振付、今時ないよな」っていう。逆に新鮮さがあって「この文化を残さなきゃいけないんじゃないか」という使命感に駆られる不思議な玉手箱みたいな、すごく猥雑なところでした。
武藤 川本さんがキャバレーに出ていたのは何年くらいまで?
川本 「将軍」には、わたしは2、3年しかいなかったんですけど。その後「ブルート」「トップシークレット」に移って7〜8年。
武藤 そうですか。1990年代の前半から2000年前半という感じですか。
川本 ええ。
武藤 その頃にはリアルタイムの芸能というよりは、ちょっとノスタルジックな世界だなと。むしろそれが大事だな、と思うような段階に来ていたという感じですか。
川本 そういう感じです。その頃にはダンサーだけでなく美大の人たちも多かったので、ダンスという表現と言うよりは芸術的興味で素敵だなと思う人がいっぱい来ていた、というのが文化の流れの……。
田野 やっぱりキャバレーの話っていうのは文化と背中合わせって言うか、時代とともに変わってくる訳ですよ。「このご時世だとこうだった」だからそれが面白かった。
 土方さんの振りっていうのはね、ダンス出来る出来ないじゃなくても美しさを出してたわね。「88(エイティエイト 土方が取り仕切った最初の店)」ってご存じかしら? 狭いところでミュージックホールの流れの人たちが出てた。あたしも1回くらいしか行ったことないんだけど。
 いま思い出すと、土方さんが振り付けられたものには「88」の流れもそのままがあったんじゃないかと思うの。ちょっとベアズレー(*註 イギリス・ヴィクトリア朝の世紀末画家オーブリー・ビアズリー)的な、ロココ風の……シャンデリアにしてもライトにしても女の子のお尻がポンとそこに置いてあるような感じで(笑 (*註 「将軍」の壁面には女の子のお尻の形の照明が輝いていた)
「将軍」は何回か改装なさったって。あたしが2回目に行ったときにはシロクマの剥製があってね。すっごい大きいんですよ。
檀原 (プロジェクターの絵を指して)これですね?
田野 そう。あの近くでよく振りをやったりしたね。
 土方さんは音楽の使い方がじつに上手いと言うことと、やっぱり時代のことがちゃんと分かってたんじゃないかな。キャバレー廻りしてても、これからのことだとか。
 私は「ゴステロ」でお目にかかって2時間ほど話したことがあるの。それは亡くなる2年くらい前でしたけど「一度見にいらして下さい」なんて言っている間に亡くなって、その一年後に元藤さんと話して(「将軍」に)伺ったの。それから5〜6年くらい振り付けしてたんだけど。
 その頃の振りは前からいらしていた方に聞くと、身体の中から「ふうう〜〜」と出ていくように曲線的にやったって言うの、川本さんが言っていらしたようにね。ちょっと座ってて斜めからライトを当てると、ものすごい女性の身体が曲線的に出る。だけどそれだけでは客が来るとは思わない(笑 しゃがみ込んでる振りが多いからヒールが少し内股になっているのね。ヒールを履く足じゃない訳ですよ。だけどそれが土方さんの振りにぴったりなの。
 あたしにはそれは出来ないな、と思って。それからステップ始めた。古いお客さんも多いから、マンボからジルバ、それから細かいステップを。どうしてかっていうと、動きのないときは、ダンサーがたちが休んじゃうのね。若けりゃいるだけで良いんだけど、ある程度年齢来た人には無理なのね。あくまでも「裸が美しいんだ」ということと、そこにプラス段々世の中でリズム的なものが流行ってきたから取り入れていった。女性同士が接触するときの角度だとか。そういうことはあたくしの方が「将軍」で勉強したような気がします。
 (土方さんは)本来のキャバレーと比べたら随分マヌカン的な振付をしてらしたと思います。じっとしててふうっとそっちへ向くときの間の取り方で出てくる色っぽさとか。
 それから土方さんはレズビアンショーというのをやってらした。それはものすごく綺麗に振付してありました。土方さんが亡くなった後、芦川さんが振り付けした部分もあったと思う。それを継続して……。
 ただね、時代と共に踊りが段々スポーツっぽくなってくる傾向がありますよ。リフトでもバレエでもスポーツ的な意味でどんどん技術が上がっていくというようなことにおいては、「将軍」は懐かしい世界ではあった。
武藤 土方さん自身もスポーツっぽくなっていった?
田野 いえ、土方さんはスポーツっぽくはしていません。してないけれども、そういう時代を感じてたんじゃなあい? 
武藤 そうですね。
田野 その後はまた違う時代を、彼らは歩んでいったと思います。ちょうど4年間(舞踏を)休んでいたときに、私は土方さんと「ゴステロ」で会った。
武藤 「ゴステロ」というのは、スパニッシュのコンセプトでつくられていたんですよね?
田野 雰囲気はそうね。
武藤 お店ごとにパリっぽいとか江戸っぽいとかといったデザインをされていた?
田野 うーん、というか「ゴステロ」は船の中のような空間でしたよ。とても広いところで、そんなに長くは経営していなかったという気がしますけど。
武藤 それではフラメンコをやっているような場所ではない?
田野 タブラオ(* フラメンコ・ショーが毎晩行われる酒場)的なことではないわね。広くて、真ん中に大きい机があって。時々はショーをしていたようですが、フラメンコショーはしていないです(*註)。フラメンコした人がそこで打ち上げしたのは行ったことあるけど。乃木坂と青山一丁目の間のとても広いところでした。

*註 田野さん自身は「ゴステロ」でフラメンコのショーをやっていたという話を聞いていないそうだが、もしかしたら一応フラメンコのショーをやる機会もあって、その流れで打ち上げも行われていたかも知れない、と後日「?」つきでフォローしていた。

ー構成・檀原照和ー

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