土方巽 1960 しずかな家 II - 概要

このマガジンは、2016年4月2日(土)に横浜・黄金町界隈で行われたアートプロジェクト「土方巽 1960 しずかな家 II」のオンライン・アーカイヴです。

※2014年11月8日(土)〜9日(日)に行われた「土方巽 1960 しずかな家」(第1回開催分)のアーカイヴは、以下のURLを御覧下さい。

https://note.mu/yanvalou/m/mf984ce68093a

【 アートの街・黄金町は、50年以上前からアートの街だった!?】

と銘打ったこの企画は、2014年の第1回に引き続くものとして行われました。前回同様、主催者/企画者である檀原照和の個人プロジェクトで、出演者の人選から広報、制作、当日の雑多な業務に至るまで、そのほとんどすべてを一人で切り回しています。

【趣旨】
 黄金町で「アートをつかった町づくり」をするのは、横浜市当局および神奈川県警の都合­でしかなく、それ以上の歴史的根拠も必然性ありません。住民からの要望があったわけで­もありません。いわば上からの要請です。
 住民はアートのことなどまったく分かりませんでしたが、「私たちのせいで町がこんな風になってしまった。お上の申し出を素直に受け入れます」と、当局の提案を諾々と受け入れました。
 しかし「世界的アーチストが住んでいたことがある。だから黄金町でアートなんだ」とい­う話になったらどうでしょうか?
 アートの歴史に沿って、正統な位置づけがなされるのではないでしょうか?
上からの押しつけられた政策を読み替え、より意味あるものにしていくことが、本企画の­狙いです。

【土方巽と黄金町】

 芸術の世界に強い影響を与えた前衛ダンサー・土方巽(1928〜1986年)は1960年から翌年にかけて1年間、京急・黄金町駅から徒歩5分の赤門町で暮らしていました。
 土方は後に婦人となる元藤あき子と黄金町に駆け落ちしてきました。したがって大っぴらに言える話ではなく、埋もれた歴史となっていました。
土方巽の存在は、アートの町・黄金町の成立に歴史的根拠と正当性を与えるのではないでしょうか?

▲チラシ(表面)

▲チラシ(裏面)

 当日はヨコハマの花見の名所・大岡川沿いで「桜まつり」が行われていました。
(黄金町駅のすぐ目の前で毎年やっています)
 川沿いの桜の総数はおよそ500本。二日間の人手は15万人。その賑わいは目黒川を凌ぐほど。
 屋形船が何隻も行き交うなど、祝祭気分が蔓延する黄金町でしたが、その街路から少々奥まった場所で本企画は行われました。

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