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大神神社勧請まさに御神木「美和神社」山頂鎮座!車幅1台爆走!広高神社との関係【岡山シリーズ】

須恵古代館・築山古墳から車一台の細道の広高山(166m)の山頂に鎮座している。天気が良ければ、小豆島の大観音も見えるらしい。奈良・大神神社(私のNOTE)から勧請したそうな。ただ、口伝では同市邑久町尻海の広高神社より遷座したと伝えられている。この名残から、秋季大祭では神職・祷主・従者数人が尻海に出向いて海水を浴びて、広高神社に酒・米を奉納する儀式が行われている。境内内にある「広高神社遥拝所」の意味が理解できた。

変更履歴
2024/08/01 初版


▼HP▼アクセス

岡山県瀬戸内市長船町東須恵1064

▼祭神・本尊と脇時

オオクニヌシの奇魂「オオモノヌシ」

▼見どころ

 須恵古代館・築山古墳から車一台の細道の広高山(166m)の山頂に鎮座している。天気が良ければ、小豆島の大観音も見えるらしい。奈良・大神神社から勧請したそうな。ただ、口伝では同市邑久町尻海の広高神社より遷座したと伝えられている。この名残から、秋季大祭では神職・祷主・従者数人が尻海に出向いて海水を浴びて潮垢離を行い、広高神社に酒・米を奉納する儀式が行われている。境内内にある「広高神社遥拝所」の意味が理解できた。

  • 延喜式に記載されている古社

  • 祭神は奈良・大神神社と同じく大物主神で、大神神社から勧請

  • 勧請時期は明らかではないが、須恵器の陶工集団と深い関係があると言われている

  • 鎮座の場所は標高166メートルの広高山の山頂で、広高山は「三和の峰」とも呼ばれていた

  • 1558年~1570年、城主・松田左近が日蓮宗を信奉し旧社を弾圧したとき、難を避けるため「広高八幡宮」と改称したとも

  • 明治に、美和神社に復称(戻した)

  • 山頂には「磐座」が存在する

→随身門

 向かって左に奇磐間戸(クシイワマド)神、右に豊磐間戸(トヨイワマド)神となっている。

 厳島神社(私のNOTE)などにも寺でいう金剛力士像的な位置づけで拝殿・本殿の主祭神を守る神様ですね。

→拝殿・本殿

 祭神はオオクニヌシの奇魂「オオモノヌシ」で八幡神、アマテラス、天日方奇日方命を祀っている。「天日方奇日方命」は古事記によるとオオモノヌシと活玉依毘売の間に生まれた子供で、大神神社の摂社・神坐日向社にも祀られている。

→摂社・末社

 やっぱあった「大田多根子」。奈良県桜井市にある三輪山神・大物主神の子で、三輪氏と葛城・鴨(賀茂)氏の祖。

 広高神社遥拝所ですね。大祭には東須恵と西須恵の祷主と神職および従者数名が、潮ごりで身を清めて尻海の広高神社へ酒・米など供えてお祭りをする行事が現在まで続いている。

→本殿裏の御神木

 そして御神木みっけ。ただ、磐座は無かったな。三輪氏=磐座信仰なんだけどな~。まあいいっか。

→公園

▽山麓「須恵古代館/築山古墳」

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

◆岡山③◆牛窓は日本エーゲ海!33年に一度の御開帳!!(瀬戸内/備前)

以降は次を参照

▼セットで行くところ

▼仏像展


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