通常非公開「高林寺」元興寺塔頭!中将姫ゆかりの尼寺【奈良まちシリーズ】
東大寺三昧堂の旧本尊・千手観音像は、ここの本尊であったとか・・。まっ藤原豊成の菩提寺なのでおかしくはない?その娘・中将姫ゆかりの寺が集まる地域にある寺。本NOTE公開翌日からの称念寺、誕生寺、徳融寺とセットで行くべきところですね。
2024年2月に行われた『奈良市街地をぶらりと巡る冬のキャンペーン「路地ぶら」』で公開!!
変更履歴
2024/12/15:初版
▼HP▼アクセス
奈良県奈良市井上町32
▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
770年か781年、藤原魚名の娘が中将姫に仕えて尼となり、現在の奈良市高御門町で中将姫の父・藤原豊成の廟塔を守って居室を尼寺とした
1180年、平重衡の南都焼討によって焼失し、永く再興されなかった
元興寺の一院で、奈良時代の右大臣・藤原豊成の菩提所
藤原豊成公の屋敷跡に建立された
境内には藤原豊成の古墳がある
藤原豊成の亡き後に、藤原南家の興隆を願い、「豊成山高坊高林寺」と名付けた
本堂には藤原豊成と娘・中将姫(ちゅうじょうひめ)の木像が安置されている
1534年、現在の地に尼室を移し、寺を再興し、法相宗から融通念仏宗に改宗
安土・桃山時代には奈良茶人「高坊一族(たかぼういちぞく)」が住み、ならまちの数寄者の一大サロンを形成した
茶室「高坊」はこの数寄者を顕彰するために建てられた
本尊は阿弥陀如来
門前の「中将姫修道霊場 豊成卿古墳之地」と刻まれた石碑がある
→山門
下の写真の標石には「豊成卿古墳之地 中将姫修霊場」、右の標石には「高林寺高坊旧跡」と刻まれている。
→茶室高坊
安土・桃山時代に奈良茶人「高坊一族」が住み、奈良南の下町町民文化の一大中心地として大いに発展した。茶室「高坊」はこれを顕彰するために建てられた。
→参道
→本堂
中央須弥壇に、藤原豊成と中将姫の坐像が安置されている。
市松人形が沢山あり、明治天皇の御局として仕えた高倉子爵の息女「紅葉の内侍」の持ち物なんだだそうな。
寺のことに詳しく説明していただいた人も初めて見たと言われる「豊成卿・中将姫父子対面図」があった。二上山の男峰・女峰の重なっているようすは、この屋敷から眺めた二上の山なのかも。
→藤原豊成の古墳
本堂前には中将姫の父で、右大臣・藤原豊成の古墳がある。意外や意外円墳だった。
藤原豊成は、奈良時代の政治家で、南家藤原武智麻呂の長男で母は阿倍御主人の孫娘。737年、父と叔父の病死により参議となり、749年に右大臣になる。弟・藤原仲麻呂の勢力におされ、橘奈良麻呂の変により左遷されるが、仲麻呂の失脚で右大臣に復活する。享年62歳。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
通常非公開!特別開扉「路地ぶら ならまち」レア仏像と中将姫!!2024年2月分◆奈良㉘◆|やんまあ@旅行記
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