紀元前95年!白山七社「金劔宮」なぜ日本三大金運?【北陸シリーズ/石川シリーズ】
紀元前95年に創建とする日本三大金運「金劔宮(きんけんぐう)」は白山七社の1つ。平安時代には、皇族や貴族たちが金運上昇や商売繁盛を願い参拝し、その名声は全国に広がったとする。
ということで、本当の金運神社をどうぞ!!!
変更履歴
▼HP▼アクセス
白山市鶴来日詰町巳118-5
▼祭神・本尊と脇時
護国の英霊
天津彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
菅原道真
大山咋命
少彦名命
▼見どころ
紀元前95年に創建されたと伝わる古社
古くは劔宮(つるぎのみや)と呼ばれ、鶴来(つるぎ)という地名の由来となっている
「鶴来」という地名の文字は、江戸時代の元禄以降使用されたものであり、元来は「劔」または「剣」と記していた
明治以降「金劔神社」の社名が用いられ、時代により、金劔神宮、金劔明神、劔明神と呼称される時期もあった
気多大社(私のNOTE)からわかるように古代出雲文化が早く海岸線を経て能登地方に及んだのに対し、ここは内陸部で霊山白山から生まれた白山信仰の地
中世以来白山七社の1つ
白山本宮・三宮・岩本とともに本宮四社といわれていた
神仏習合時代、七堂伽藍雲、神官社僧をようしていた
古来、白山七社の一つに数えられ「白山第一王子」とも
源平合戦の折には、木曽義仲が大勝を奉謝したり、奥州へ向かう源義経が参拝したりと記録や口伝も豊富なところ
毎年10月上旬には「ほうらい祭り」が行われ、高さ5mほどの造り物や獅子舞が、鶴来の街を練り歩きます。
1183年、木曽義仲が倶利伽羅谷合戦の大勝を奉謝し、鞍置馬二十頭を寄進
1186年、奥州へ向かう源義経が金劔宮に参拝し、よもすがら神楽を奉納したと『義経記』に記されている
また、義経奉納の太刀一口があったとの口伝がある
足利・富樫・前田等、歴代武門藩主の崇敬が篤かった
岐阜県郡上郡大和町字「劍」には「金劍神社(こんけんじんしゃ)」があり、御祭神も同一なので、ここからの分霊とする
また、福井県遠敷郡上中町武生にも「金劔神社」がある
1906年、新町の恵比須社、古町の大国社、知守町の日吉社、日詰町の大鳥社の四社を合祀
日吉社、井守社、金刀比羅社の境内三社
1914年、日吉町の日吉神社を合祀
2004年、コンサルの船井総研創業者が金運神社として紹介されたことから「日本三大金運」になったようで、ソフトバンクの孫正義氏も参拝したとか
厳密には、周辺で「金属加工」を生業とする人々が信仰したことから、金の「剣」の宮と呼ばれるようになったとされる
秋の例大祭「ほうらい祭り」は、神輿を先頭に獅子舞と巨大な「つくりもの」が巡行する鶴来最大のお祭り
→境内
→拝殿・本殿
祭神は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、オオクニヌシ、大山咋命(オオヤマクイノミコト)、ヤマトタケル、コトシロヌシ、サルタヒコなど多くの柱を祀る。もしかしたら周辺の神社を合祀したのかもしれない。
金運の神様は後述の境内社です。
→乙剱社/金毘羅社/天の眞名井/義経腰掛石
「乙剣社」の御祭神は、山幸彦こと「彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)」で、金運パワースポットとして知られているのはココ!
ただ、冒頭の通り神社としては金運神社ではないとのこと。ただ、白山信仰として素晴らしい神社には間違いない。
「乙剱社」左に「恵比寿社」で、その左に「金毘羅社」です。恵比寿社は大阪今宮戎社の分霊のようです。金毘羅社の祭神は崇神天皇で、本宮は香川・金刀比羅宮(2025年4月までに公開する私のNOTE)ですね。
境内に湧く水がある。1300年ほど前から伝わる古池で、雨が降り続いても、大干ばつの時でも水量が変わらないとか。
京都から奥州へ向かう源義経が座ったとされる「義経腰掛石」ですね。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
◆石川①◆和倉温泉でまったりしつつ、水族館&パワースポット巡り、田んぼの真ん中で混浴
その他の北陸旅行記は次の通り。
▼セットで行くところ
▼仏像展
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