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餅撒き鯛投げ!?桃×スサノオ「須佐神社」本殿左に磐座「立神社」名は体を表す【和歌山シリーズ】【和歌山紀中シリーズ】

餅撒きだけでなく「鯛撒き」がある!?出雲・スサノオを代表する「須佐神社」は高台にあり、社殿が素晴らしく、桃、榊、清めの塩など今でも神社神社している古社。そして、車で5分以内の「立神社」には息子・イタケルを祀る磐座の神社が!!

スサノオの末裔が宮司の出雲・須佐神社(私のNOTE)は次の通りです。本NOTEは和歌山です。

変更履歴
2024/07/06 初版


▼見どころ▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

▽立神社:和歌山県有田市野字御殿山700

  • 有田川の河口近くの御殿山の北麓に鎮座

  • 背後の剥き出しで屹立する岩盤を御神体としている

  • 創建時期などは伝わっていない

  • 『紀伊国続風土記』は、この岩盤に有田川の流れる川水が当たり、北側へ流路を変えていたと記されている

  • その岩下に深淵があり水主明神が祀られていた

  • 主祭神である大屋彦神は「五十猛神」である

  • 南東1km余りに鎮座する「須佐神社」に対して御子神・五十猛神を祀る社としたものか、純粋に樹木をまつる大屋彦神を祀る社としたものかは不明だが、水の神説もある

→手水舎・参道

→拝殿・本堂

 参道突き当りを右に拝殿と本堂。というか、拝殿が寺じゃないか??と思ってしまったり。

→磐座

→摂社・末社「鹿島神社・香取神社」

 春日大明神のうち、タケミカヅチとフツヌシですね。

▽立神社→須佐神社

 いきなり道が狭くなります。気を付けてください。車内から一の鳥居。

▽須佐神社:和歌山県有田市千田1594

 10世紀の「延喜式」に載っている有田唯一の式内社。出雲にある神社で祭神はスサノオ。子・五十猛命(イタケル)を祀る「伊太祁曽神社(私のNOTE)」と関係が深く、口須佐・奥須佐の地名も現存していて、お互いの社領が双方にあったといわれている。

  • 和歌山県有田市千田(ちだ)に鎮座する

  • 由緒ある式内社で、鎮座地名にちなみ「千田宮」とも呼ばれている

  • 参拝は階段上る系で高台に鎮座

  • 地元の方は階段の下から祈って、私たちに挨拶してくれた

  • 713年、山頂に吉野郡西川の峯より移されたというが、どこだ??吉野にスサノオ??

  • 海上を通る船舶が帆を下ろして敬意を表さないと難破をしたので、間もなく現在の地に移した

  • もともと剣難除の神として信仰が篤い

  • 豊臣秀吉の紀州攻めで戦火にあい、古文書は残っていない

  • 徳川時代は紀州藩の擁護を受けており、吉宗奉納の因州住景長作の大刀@重文がある

  • 神社の紋は全国でも珍しい夏桃

  • 毎年10月14日に行われる「千田祭」には、神前に供えられた6枚の鯛を奪い合う祭りで、鯛を手にすると一年間大漁といわれている

  • 古事記に『大名牟遅神が須佐能男神が坐す「根の堅州国(かたすくに)」に向かう際に、まず木国(紀国)へ向かった』と記されている。またその時、出雲国から追ってきた八十神から大名牟遅神を伊太祁曽三神が逃したとある
     ※大名牟遅神=オオナムチ=オオクニヌシの別名

  • 御神馬像の近くにある歌碑は、江戸時代の1794年(寛政6年)に、国学者の本居宣長が須佐神社を訪れた際に詠んだもの

  • 碑には「いたけるの 神のしきます 紀の国と いはふかぶろの 神の宮これ」と宣長の真筆が刻まれている

  • 五十猛命はスサノオの御子で、日本に木を植えてまわった神であることから「木の神」とされている

  • このため参道には、五十猛命を祀る「伊太祁󠄀曽神社(私のNOTE)」の遙拝所がある

  • 実は、須佐神社と伊太祁󠄀曽神社はいまでもつながっている

    1. 須佐神社の神戸が伊太祁曽神社の神戸の隣にある

    2. 須佐神社の祭りに伊太祁曽神社の神官が参加(伊太祁曽神社から神馬1が奉納されたりしていた)

  • 拝殿の前に「鈴門」があり「れいもん」と読む

  • 鈴門にも、桃を彫った扇形の扁額や桃を描いた提灯が掲げられている

  • 太い鈴緒は「蛇」をイメージしておりヤマタノオロチなのかも

  • 江戸時代には紀州藩主・徳川家の崇敬の社として崇められ、現在の社殿は、藩主・徳川頼宣が復興を図り元の姿に戻したもの

  • 平唐門の中門が建ち、さらにその奥には一間社春日造の「本殿」が建っている

  • 本殿は、第五代紀州藩主・徳川吉宗の命により1711年に造営されたもの

  • かつては山の上に社があり、海を望む西向きに鎮座していた

  • 海上を往来する船が敬意を示さないと転覆させるなどの神威が発動したため、707年から715年に、海から見えない現在地に遷座した(『紀伊続風土記』より)

  • 旧御鎮座地へは、神楽殿横の登山道から徒歩で約20分で行くことができるよう

  • 社紋の桃をモチーフにした「桃みくじ」がある

  • おみくじは、部屋に置いておくと、災難除や交通安全など運勢を良い方向に導いてくれるとか

 では、写真の入れ替えなしで載せます。

 後述する祭り動画の通り、御輿は担がず階段を滑らせます!?

→階段下から上へ

 なんか白馬、、いや、神馬が階段上に見えますね。

 階段下の右側には神社発行のものが掲示されていた。お祭りの説明がされているのだが、餅撒きと鯛投げ??

→階段下から上へ「子安社」

 祭神は、宗像三女神「湍津姫命(タギツヒメ)」で、オオクニヌシと結婚してコトシロヌシを生んでいる。

→階段下から上へ「南龍社と湊川社」

 南龍社の祭神は徳川家康の十男「徳川頼宣」。御三家の一つ紀州徳川家の祖。湊川社の祭神は、南朝初代天皇の後醍醐天皇に仕え、鎌倉幕府を倒し建武の親政を実現した南朝の忠臣「楠木正成」なのだが、ここは謎だ。。。調べたところ、1335年に楠木正成が社領としてここらあたりの一帯を残らず寄進したようなので、その関係で祀られ、ここに合祀されたのかも。

→階段下から上へ「金比羅社」

 祭神は大物主命で、香川・金刀比羅宮の主祭神ですね。海を見張っているのだろうか??由緒通り、後述の摂社・末社含め海の神が大集合のような気がする。

→階段下から上へ「伊太祁曽神社の遥拝所」

 神社コラボですね。

→階段下から上へ「神馬像」

→絵馬堂

 階段で上らなくても車でも来れるようですね。

絵馬殿を通り抜けると、右手に境内社が並ぶ。って、神馬がもう一頭いるな。

→神光谷社/厳島社/住吉社/稲荷社・五ケ庄社

摂社・末社が3社並んでいる。手前から「神光谷社」「厳島社」「住吉社」となっている。神光谷社の祭神は不明、厳島社の祭神は宗像三女神のイチキシマヒメ、住吉社は住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)なので、由緒から荒ぶる海の神を祀っているようだ。

神光谷社
厳島社
住吉社

 その左には「稲荷社と五ケ庄社」になっている。

 そして謎の春日大明神の神使いである鹿である。

→神楽殿、奥宮へ

 元宮があるようですね。徒歩20分ですが獣に注意!それなりの服装で参拝を!とのこと。

 行っている人いますね。


→鈴門

 「れいもん」と読み、桃を神紋にしているので色々なところに桃がある。この門は参拝者が鈴を鳴らすためのものとなっているよう。
 11月参拝時は柿が置かれており、裏側には榊が無料配布されていた。

→拝殿・本殿、東方殿「皇大神宮社」、→西方殿「伊弉諾社」

 神門に配置されている狛犬は、珍しく身体ごと正面を向いたものとなっている。1週間前に参拝した滋賀の神社もありましたね~。

 上の写真の狛犬のその先に釜があった。1月15日に「粥占神事」で使っているようだ。この神事は、釜がある釜殿で小豆粥を炊き、その年の最適稲種を10種の中から選び食すことで1年の無病息災を祈るもの。

正面からは本殿は見えないようだ。右に行くと「皇大神宮社」があり、姉・アマテラス、ツクヨミ、手力雄命を祀る。

逆サイドの西方殿「伊弉諾社」には神社名からするとイザナギですね。

→獅子祭

→千田祭

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これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

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