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スサノオ末裔・須佐氏が社家「須佐神社」姉・アマテラスに謝りに行く【出雲シリーズ】

須佐氏出雲国風土記に見えるスサノオ御終焉の地。社家は須佐氏で、スサノオの子・八島士奴美神(ヤシマシヌミノカミ)を祖とすると伝えられている。スサノオは言う「ここは小さい国だが良いところである。自分の名前は石や木には付けるのではなく、この土地に付けよう」と、自らを鎮めるこの地に「須佐」という名を付けられたのだそうです。
 元々は宮山に鎮座していたが800年あたりに今のところに鎮座したそうな。って、歴史ありすぎですね・・。

変更履歴
2022/02/24 初版

▼HP

▼アクセス

島根県出雲市佐田町須佐730
 ※宮尾山に鎮座していた。824~834年に現在地に遷座

▼祭神

スサノオ、妻・イナダヒメ、
妻の両親・足摩槌命 (アシナヅチ)、手摩槌命 (テナヅチ)

▼見どころ

 島根県中部を南北に流れる神戸川の支流・須佐川のほとりに鎮座。社家は須佐氏で、スサノオの子・八島士奴美神(ヤシマシヌミノカミ)を祖とすると伝えられていることから、スサノオの本宮と言われている。
  スサノオが諸国を開拓し須佐の地にこられ、最後の国土経営をされたところ。 この神社はスサノオとアマテラスが向き合っています。

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 参道左右の東末社・西末社にはアマテラスとスサノオの誓約で誕生した神様が祀られている。まっすぐ参道に向かうと出雲らしい拝殿になる。

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 本殿横の大木です。拝殿からぐるっと周れば、樹齢1300年と推定される大杉が立っている。宮司曰く、江戸時代に大木を頂きたいという申し出があったが、断ったそうな。権力者でもスサノオには強行できなかったのかも(笑)。

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 本殿は1861年建築の大社造りで県の文化財にも指定されている。

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 須佐神社7不思議です。法隆寺などこの手の奴は必ず7不思議です。それが不思議。

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公式HPの解説をどうぞ!

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 「塩井(しおのい)」は、スサノオノミコトが土地を清めるために使った水とされている。内陸部だが塩分があるよう・・・。

 最後に、神社名の変更が激しい・・。ということで8不思議ですね!?
 奈良時代には須佐社、平安時代には須佐神社、室町時代には十三所大明神、天文年間には大宮大明神、近世では須佐大宮、出雲大宮、そして明治に今の須佐神社とした。

 なんか、祭神を見ていると、京都・出雲大神宮繋がりもありそうな気が・・。

▽スサノオがアマテラスに謝りに行く「お詫び神事」

 4月18日・19日には天照社にスサノオが謝りに行く珍事がある。ワッショーイという声もなく、覆われた神輿がトボトボと天照社に進むそうな。記紀を知っていると何に謝っているのかは分かりますかね。

▽天照社

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▽須佐神社の念仏踊

▽スサノオ&須佐神社

 和歌山県に3社。広島に1社。福岡に1社である。和歌山県に3社あるのは納得ですかね。御子が眠る神社多し!

▼旅行記

▼セットで行くところ

↓NOTE版はこってり。↓じゃらん版はあっさり。

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