やんきち

哲学とは言いきれない、"哲学もどき"をしている人です。 世界を見る…

やんきち

哲学とは言いきれない、"哲学もどき"をしている人です。 世界を見るためのオリジナルの眼鏡をつくることを目指して思考しています。 小説家を目指しています。 日々、本や対話から学び・気づきを得ています。

最近の記事

騒音セッション

金曜12時4分。 この場のいろんな音が耳に集まり、騒音セッションに気づく。 プシュッとビールを開けたくなるような日差しがぺかぺかといろんなものを照らしいる。 ぺかぺかを眺めながら、大きな建造物の下で私はうす暗い日かげに避難している。 名前も顔も知らない子どもたちはあっちで遊び、スーツ姿の人たちは私の仲間。 長い椅子の意図通りに等間隔に座り、離脱する人がいればあっちからこっちへやってくる。 前方、右方の大通りを走る車の音はセッションの中では控えめで、影をつくる高速道路の、

    • 理不尽は不幸なのか #7

      ※この「哲学もどきnote」は、音声コンテンツ「哲学もどきラジオ」をテキストにしたものです。 ラジオで話した内容だけでなく、考えが進んだ部分や補足等も含まれます。 逆に、考えが進んでいなかったり、補足事項がないものは記事にしていないため、エピソード番号が飛び飛びになっています。ご了承ください。 太陽が眩しいから、人を殺した。 このあらすじで知られるカミュの『異邦人』。 不条理小説とも呼ばれています。 人間は筋の通らないことを一つの不幸な状態と考えることがあるようです。

      • 次は何を読もうかと本を選び 使い古された栞をはさむ 読み始めて 数ページ ふと気づく あ、この本、栞ついてるやつか ハードカバーの小説 久しぶりに買った気がする だからかな この瞬間 いつかぶり いつぶりかはわかんない このひも 栞って呼んでいいのかな この子には 栞って名前以外に なにかもっとかっこいい名前がありそうな気もする でも知らないから 栞って呼ぶ ひもの栞がないと思って はさんじゃった私の栞も ひもの栞も どっちも栞 はりきってた私の栞をテー

        • 換気扇

          たばこを吸いながら、 換気扇に貼り付けられたフィルターを見る。 空気の流れに合わせて、 微かにふわふわ動いている。 大掃除でいつも一番苦労する、換気扇のフィルター掃除。 ぎっしりとこびりついた茶色くねばっこいぎっとぎっと。 そいつらをやっつける最適解がいつもわからず、自分の腕の筋肉と大量の洗剤に頼って、どうにか終わらせる。 もうこんな労働はごめんだと思い、昨年末に100均でフィルターを買った。 こいつが身代わりになってくれるらしい。 けれど、たばこを吸うたび毎日眺めていて

        騒音セッション

          授業にぬいぐるみを持ち込むのは良いこと? #5

          ※この「哲学もどきnote」は、音声コンテンツ「哲学もどきラジオ」をテキストにしたものです。 ラジオで話した内容だけでなく、考えが進んだ部分や補足等も含まれます。 逆に、考えが進んでいなかったり、補足事項がないものは記事にしていないため、エピソード番号が飛び飛びになっています。ご了承ください。 『ナチスは「良いこと」もしたのか?』という本を読みました。 その本の中で定義されていた「良いこと」は 「オリジナルか」「目的が良いことか」「結果が良いものだったか」という3点でし

          授業にぬいぐるみを持ち込むのは良いこと? #5

          えぬえーしーけーすうじのご

          今、ラジオをつくっている。 はじめてつくったのは大学のとき。 放送研究会という、本当に放送を研究しているわけではないサークルに入って、ラジオの台本をばりばり書いた。 思いつくことを、良いと思われるかどうかなんて構わずにバンバン書いて、それに付き合ってくれる仲間たちとどんどん録って、いっぱい編集した。 いつからラジオを聴くようになったのか。 ドリカムとか、まーわるまぁーわるよーとか、やがてっリングとぉ拍手の渦ぅがぁーとかが流れる車に乗って、習い事に行ったり、学校に行ったり

          えぬえーしーけーすうじのご

          ハニーラテ

          ががががぎゅるーんじゅぼーと、おしゃれとはかけ離れた音をたててコーヒーメーカーが絞り出したエスプレッソ。そこにはちみつをだくだく、マグカップの限界値まで牛乳をたっぷり入れ、レンジで1分加熱。ハニーラテをおともに小説の執筆作業を始める。 といってもはじめは溜まっている日記を書く。2,3日分。その日のうちにメモしておいた日記のタイトルを見て、あ、これが書きたかったんだなと思い出しながら書く。今までは今日あったことやしたことを業務日誌みたいに記録してたけど、今年からは自分の感情や

          ハニーラテ

          「精神科に行くべき」という勧めへの違和感 #4

          ※「哲学もどきnote」は、音声コンテンツ「哲学もどきラジオ」をテキストにしたものです。 ラジオで話した内容だけでなく、考えが進んだ部分や補足等も含まれます。 逆に、考えが進んでいなかったり、補足事項がないものは記事にはしません(前回、予告#3の内容を告知しましたが、#4の記事を投稿したのはこのためです)。 みなさんは「精神疾患の疑いがある人は精神科へ行くべきだ」と思われるでしょうか? 私はそういった発言を聞いたとき、なんとなく「そうなのかな?」と違和感を持っていました。

          「精神科に行くべき」という勧めへの違和感 #4

          踏絵的質問「なぜ人を殺してはいけないのか」 #2

          目の前にいる人が、ぎらついた目で私を見ている。 手にはナイフを持っている。 息は荒く、 私に向かって走ってきて 「死ねー!」と叫ぶ。 なぜだか私の手にもナイフがある。 この凶器で、その人を一刺しすれば、もしかしたら私は生きられるかもしれない。 一刺ししなければ、もしかしたら私は死んでしまうかもしれない。 そんなとき、私はその人を殺してはいけないのだろうか。 殺してはいけないとしたら、それはなぜだろうか? 「なぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたら、どう答えま

          踏絵的質問「なぜ人を殺してはいけないのか」 #2

          5ちゃんねるのおしゃべりは有罪? #1

          あなたは今日、誰かと「おしゃべり」をしましたか? 今までにおしゃべりをしたことはありますか? 声を発したり、文字でやりとりしたり、手話で話したり、いろいろなおしゃべりの方法があると思います。 今までの人生でおしゃべりをしたことがないという方はあまりいないのではないかと思います。 おしゃべりは、「演説」や「発表」、「会議」というコミュニケーション方法より、なんだか軽い、気軽なコミュニケーションのような感じがあります。 ですが、この気軽なコミュニケーションには重たい罪が

          5ちゃんねるのおしゃべりは有罪? #1

          私は声をあげるべきなのか|哲学もどき素描1

          最近新しいコミュニティに参加するようになって、社会運動に参加する方々に出会いました。 今まで社会運動に参加したことのある方に出会ったことがなかったため、単純に「なぜ社会運動に参加するんだろう?」という疑問と「なぜ私は社会運動に参加しないのだろう?」という疑問が浮かびました。 そんなときにシンポジウム「なぜ人々は社会運動に参加しないのか」というものがあることを知り、2023年6月18日(日)にオンラインで参加してきました。 この記事では今まで社会運動に参加しなかった私がこ

          私は声をあげるべきなのか|哲学もどき素描1