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生き方は2つしかない

こんにちは!やんちゃんです🍫生き方。これは、いろんな本読みまくったり、学習しまくってる人。つまり知識とかやり方の世界に埋没した人は混乱するような話かもしれません。


生き方なんてそれぞれやんけ!とか思っちゃうのが普通やし、まあそれはそうなんですが、根源的に言えば生き方なんてたった2つなんです。

結論は最後に伝えますね( `ー´)ノまずすこーし背景を知って欲しい。

忙しくて暇な人


世の中の多くの人。サラリーマンであることが社会の大半であるように、平均点なんて概念が常識であるように、多くの人はこういう生き方をします。


他人の価値観の中で自分を評価し評価されることを選び、いつも自分から離れていく。こういう生き方は、リスクを避ける意味でとても安全な生き方。落ちる事もなく、出っ張ることもない。


ただ、所属した環境の中の、集団や他人の意思で自分を定義していくので、いつも自分が満たされずめちゃめちゃ退屈でおもんないんです。だから、なんか面白いことないかな~。。とか感じながら、いっつもせわしなく何かに刺激を求めているわけです。


例えば一時的に何かで満たしても、自分から離れ続けるから、またすぐに何かを求めないといけない。○○起業家セミナー!とか自分発見なんとかー!とかにいきまくってる人は大体そう。


其の1 不安を避ける安全で退屈な生き方


1つ目はこれ。不安や恐怖とは感情です。自分の感情を避ける生き方ってこと。別の言い方をすれば、感情を感じないように生きる。


いつも言うけれど、どうあがいたって、人間は感情の生き物です。思考の生き物ではない。生まれた頃を思い出してみて。


感情の生き物が感情を避けると何が起きるのでしょう。


不安は感じない。恐怖も感じない。ほいで、、喜びも、楽しみも感じない。感情を避けるとはそういう事です。刺激のない生き方になるわけです。


なんか、感情はコントロール出来るなんて思ってる人がいるけれど、そんなもん無茶な話です。思考で喜びだけ作る!なんて事は出来ないし、そんなもん頭で考えるだけでお腹減らす!!とかやってるのと同じです。人間じゃないww

だから、忙しくて退屈な人生になる。そういう人は社会や他人のせいにするけれど、ちゃんと自分の願いはかなってるじゃないか。と思う。


其の2 不安を感じる刺激的な生き方


これが2つ目。めちゃくちゃシンプル。自分の中に起こる感情を濁りなく感じていくだけ。不安もある、恐怖もある、そして、楽しみも喜びも十分にある生き方。


こういう生き方をすると、常に何かが起こる。平坦なものではないけど、だからこそ、生きている事そのものが刺激的で他人や社会の価値観に目を向けている暇なんてない。外側に刺激を求める必要がない。


まさに自分自身。そういう在り方。

不安や恐怖?怒ってるよ、、。


言葉遊びのように、不安が、恐怖が、、とか言うけれど、その恐怖が起こったら本当はどうなるんでしょう。死ぬの?餓死するの?そんな事ほぼほぼ起こらない。そういう意味で、失敗なんて絶対にない。


最近こんなことが良く浮かびます。

80年前、戦時中に生きた人達は、死を知りながら、戦場に向かって行った。きっと本物の恐怖や不安を感じたでしょう。涙を流しながら、大切な人を想いながらその瞬間に向かって行ったんだと思います。

そう思うと、僕は自分を感じながら本気で生きる!終わるまで自分で居続けるんだと力が沸きます。


僕は、社会の中ではずっと孤独だったし、孤立してきました。でも自分であることをずっと諦めなかったと思っています。諦めずにいたら、気づいたらフリーのセラピストになってました。

僕の周りには沢山の仲間がいて、泣いたり笑ったり怒ったりして、刺激のある生き方をしています。クライアントは僕にとってクライアントじゃない。
その人だ。そう関わり続けていたら、こうなった。

あ~。また熱くなってきたので、後は自分で感じておきますww

では。









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